昨日1月26日山田洋次監督の「母(かあ)べえ」が全国いっせいに封切されました。
「人々から平和な暮らしを奪った激動の時代。しかし、そこには、父と母が信じ合い、子供たちを守り抜く家族の愛があり、他人同士でも困った時は助け合う思いやりがあった。そんな今の日本が失いかけている心を描き、困難な時にこそ信じるものは何かを問いかける感動作・・・それが『母(かあ)べえ』である」<括弧チラシより転記>
前日テレビで 山田洋次監督と吉永小百合のこの映画についての対談を見ていたので、早速行ってみました。
戦争反対を唱えることが罪だったこの時代のこと、ドイツ文学者である父滋は検挙され投獄されます。母佳代は一家を支えるために早朝から深夜まで奔走します。しかし、年が変わっても滋は帰らず、やがて日本はアメリカとの戦争に突入します・・・・・
私は 幼い頃戦争を体験し、この映画の時代を現実に生きたひとりの子どもです。
慣れない鍬を手に汗水たらして 私たち6人の子どもを必死に守ってくれた母の姿と重ねあわせ 涙する場面もありました。
男たちは戦地で次々と死んでいく、私の親戚の兄さんも海軍に入隊しそのまま帰らぬ人となってしまいました。そんなひどい時代を静かに耐えて生きた昭和の「母べえ」たちは優しく美しくそして強かったのです。
吉永小百合演じる母親の強さ、獄中の夫は殺され 男不在の野上家を暖かく見守ってくれた夫の教え子の戦死など、母親のやり場のない悲しさや切なさが心に迫ってきます。
治安維持法という名のもとに 悲惨な「戦争のみち」へと人びとを引き込んで行く、この世にそんな悲しい時代があっていいのでしょうか。忘れてはいけない時代だと思います。
↑ 映画「母(かあ)べえ 」感動の一場面です(水彩絵具でスケッチしてみました)
「父べえが獄中死んでだ、母べえ(吉永小百合)は悲しみに耐え、娘照美をしっかりと抱きしめる」
↑ 霧氷のような?離山 (家の近所から)(2008.01.27)
私も見に行きたかったのですがこの寒さで行って風邪
でもひいたら如何しようと思って考えていましたが、
月の兎さんの説明で大体のことはわかるような気がします。
あの頃は何処でも同じような生活でしたものね、私の所などは田舎でしたからそんなに深刻な事はなかったですが、高崎の田舎で父の妹が大きな農家をしていて
食べる事に困ることはありませんでしたが、家の二階に、疎開して来ていた家族のあったのを覚えています。
いいたい事も言えない時代でしたからつらい思いをした人も沢山いたんでしょうね。
「母べえ」の吉永小百合さんの絵凄くよく似て書けていますね、凄いです。
もう映画に行ったような気分です、有難うございました。
いつも大変お世話になっております
私のブログに頂いたコメントを辿ってきました
素敵な写真がいっぱいですね!
カメラ片手に飄々と軽やかに撮影されている、月の兎さんの姿が浮かびます♪
軽井沢周辺は良いスポットがいっぱいですね・・・また順々に教えてくださいね
そしてなんといっても、この絵が素敵です!
展覧会などで何度か見せていただいていて、そのたびに感激していましたが、ますますファンになりました♪
こんにちわ
コメント頂き有難うございます。
miti さんも たまには忙しさから逃れて 映画でも見に行かれたら如何ですか。
私たちは、この時代の映画がくると すぐに見に行って、昔を懐かしんでいるんですよ。
吉永小百合嬢は、私たちが若いころ 男性陣の憧れのマドンナでした。
気持ちを込めて描いたので、似ているといわれると光栄です。
訪問して頂きうれしいです。
近頃は雑誌などの写真を見ることが多くて、絵の方はトンとご無沙汰しているんです。
写すほうは、フルを手にしても棚に置いたままで、コンデジばかりです。
今朝はいつもよりちょっと早く外に出て、RAW で周りの雪景色を撮ってみました。
今年はRAW現像のテクニックを習いたいと思っているんです。
これから 私でも参加できる撮影会がありましたら是非知らせてくださいね。
これからもよろしくお願いします。
いつも、大変お世話になっています
戦後生まれなので、戦争のことはよくわかりません
父が軍隊に行きましたが、あまりつらいことは
話しません。男のひとが、戦争に行ってる間、留守を守る母たちは、必死だったのでしょう。
心をこめて描いた水彩画…とてもいいですね
トップページの写真いつもすばらしいです
早速に「母(かあ)べえ」をご覧になられたんですね
私も戦後生まれですのであまり苦労をしたという思いはありません
でも、給食の「脱脂粉乳」の不味さは覚えています
この映画、私は吉永さんと母をダブらせて観てしまうと思います
きっと大泣きすることと・・・
水彩画素晴らしいです!
吉永さんの優しい眼差しがなんともいえません
うさぎさんもきっと優しいお方なんでしょうね
「母べえ」へ訪問していただき有難うございます。
戦後生まれでしたか!!! いつもにこにこ はつらつと・・・若くていいですね。
私の父も記憶にはないのですが2,3歳のころだと思います。日中戦争で満州にいた頃の写真を見ました。
確かに戦地のことは一言も聞いたことはありません。
内地の生活とは全く違ったものだったのでしょう。
小百合さんの水彩画 褒めていただきありがとうございます。
実物の絵はほんの雑な水彩なのですが 写真に撮ってパソコンで見るとプロのような絵に見えるんですね。
rie さんも描いて写真に撮ってUPしてみてください。
きっと自分でも え~と思えるものができますよ。
こんばんわ
年齢とともに涙もろくなるものですね。
辛いこと悲しいことが自分の過去と重なるとつい感動してしまいます。
当時の母親たちは精神的にも肉体的にも大変な苦労をしたように思います。
小桃さんは戦後の人だったのですね。
お若くてうらやましい限りです。
水彩褒めていただきありがとうございます。
吉永さんのまなざし 優しく感じていただけただけでうれしいです。