
去年11月の大阪版小泉劇場と言われた市長選は、全く田舎芝居以上に面白くもないものでした。(市長選のいきさつは去年の10月20日に「出直しですって」に書いています。遅くなりましたが、これはその続きと結果報告になります)
関淳一現市長がもし自民・公明の大阪市議団の応援を得ずに孤軍奮闘していたならもっと盛り上がっただろうにと思うと残念です。与党の指示を得ることは改革を円滑に進める上でも大事と考えての判断だったのかもしれません。しかしこの選択が選挙を面白くないものにしてしまったのです。大阪市長選の投票率は、前回より数パーセント上回っただけで市民の関心がイマイチに終わってしまったことがその現れ。
それでも関氏は改革に一歩踏みだしているので、私はそれなりに評価をしていました。その矢先・・・
今年の正月明け、関氏は去年、氏と共に辞任した大平光代氏に再び助役を要請し、大平氏も快諾する様子とのニュースが流れ、大阪市の改革に真剣に取り組んだ弁護士の大平光代氏の復活に私は期待しました。
ところが与党市議団は、大平氏の再任に難色を示し、結局、大平氏の助役再任は実現せず。助役の要請、解任は市議団の承認を得ずにできる市長独自の権限であるにも関わらず、関氏は断念してしまったのです。
この後、大平光代氏に大手新聞社数社がインタビューし、去年の辞任騒動の顛末が報道されました。記事の一部はこちら↓
http://www.asahi.com/politics/update/0112/003.html
この記事はいずれ更新されて消えるので、その概要は、
「昨年10月に関氏と共に辞任して以来、その理由を明らかにしなかったのは
市議の口利き問題に手をつけようとしたところ、一部の有力議員から発言を封じられ、今後一切記者会見も取材も受けないという約束をしたからだとのこと。(関氏に迷惑をかけてはいけないとの思いから)
助役に就任して改革に手をつけて以来、関氏を差し置いて厚顔づらする影の市長等と誹謗中傷されてきた。それでなおさら関氏自身の力で選挙を勝ち改革を進めてほしいとの願いもあった。(しかし関氏は自信を無くし、自民・公明の支持をとりつけて選挙に臨んだ。所詮ぼんぼん市長だ。←私の声)
今回の再任要請で議会がクレームを付けるのは不当な人事介入。
大阪市政は今後外部の人間に頼らず内部から改革していくことを望むが、一番改革が遅れているのは議会である」と。
議会としても改革に取り組んでいるとのたまうある大阪市議。
それじゃなぜ大平氏を拒否するのか、本当の理由を聞いてみたいものです。
市民は市長をリコールすることはできても市議会をリコールすることはできません。どうしたもんか。ほんま情けないです。
私は今も大阪市民ですと、大きな声で言えないほど恥ずかしい思いをしています。
大阪市はどうなっていくんでしょうか。
市民・国民の立場に立たない人を選んでしまう。私はときどき選挙にむなしさを感じます。
ところが今まで応援してくれていたボランティアが、じつは自公のの応援によるものだったと途中で気付いたのでした。
そんな事を今まで知らずにいたボンボンの関さんは慌てて公認に動いたのでした。
何と情けない世間知らずの市長なのでしょうか?!笑ってしまいます。
確かに大平さんは市政改革に貢献したとは思います。できればもう少し市にとどまって力を尽くして欲しいとは思います。
市議会が腐っているの事もよく分かりました。
ならば今回の記者会見の場で大平さんにそう言う発言をした市会議員の名を実名で公開してもらいたかった。
それが最後の御奉公だと思うのですが・・・・。
コメントありがとうございます。
みなさんに同じご返事になると思うので、まとめてコメントさせていただきます。
おーちゃん、そうです。法律顧問も辞退してしまいました。選挙のたびにこの候補者でほんとにいいのだろうかと悩みます。どうしても選べない時は白紙投票にしていますが。それにしても選びたいと思う候補者がないということのほうが多いです。
酔歩さん、応援していたボランティアが自公がらみであったことは知りませんでした。なるほど、勝手連が政党がらみだったのですか。それにしても大阪市民を信用していないということですね。ばかにすんな、そう言いたいです。でも大阪市が無くなるのはやはり困ります。
sakuraさん、大阪市の実態をご存じなくてはコメントのしようもないのもわかります。説明不足でかんにんです。
poloさん、再訪ありがとうございます。
sakuraさんや他に実態が分からない方のために簡単に大阪市の顛末を説明します。
大阪市は無駄な第三セクターの建設に市の財産を浪費し、何百億という市財を無くしました。大阪は元々お上が音頭を取っても簡単に動かない市民性があります。損得勘定もありますが、見栄にお金を掛けない合理性もあるのです。それを考えず、東京のマネをして派手な商業ビルを造り結局不良債権を作ってしまったのです。
財政赤字をかかえたこの大阪市政を引き受けたのは助役から横滑りした現大阪市長の関淳一氏。
御堂筋を作くり、現在の大阪城を市民の寄付で再建し、大阪市を立て直したと言われる関一(せき はじめ)氏の孫にあたる人です。この名声だけで4党相乗りで誕生した市長でした。
関氏は医師上がりのまじめな実務家で、何とか大阪市を立て直すために、助役を外部から要請しました。助役を外部から任命することは大阪市にとって異例なことでした。その外部から要請した助役というのが弁護士の大平光代氏。
大平光代氏は学生時代から暴走族でならし16歳で暴力団組長と結婚するも、きっぱりと任侠の世界から足を洗い、司法試験の勉強をし弁護士資格を取った異例の弁護士です。著書も多数。
この人が助役についてから、関氏の希望もあり、職員の厚遇を追求し、議員の業者との癒着を追求したのです。
大阪市役所職員のばかげた厚遇ぶりは世間に公表されたので皆様もご存じの通り。職員の厚遇は要するに労働組合への厚遇でした。
労組幹部から、市議から誹謗中傷され罵倒される矢面に立ったのは助役の大平氏でした。
関氏自身も助役時代の不良債権の不始末の責任を負って、また自信の提示した改革案を議会で否定されたため、辞任し再出馬という形で市民に信を問う選挙に打ってでました。その時の大平氏と議員とのいきさつは上の記事に書いた通り。
最初は自公民の指示を得ず単独で立候補する予定が、大平氏が離れ、市民の応援にも自信をなくし、最終的には自公の協力を仰ぐ形となりました。民主党への要請は、自公の議員が反対し、また諸悪の根源とされた労組をバックに持っているということで民主党は切り捨てました。
めでたく市長に返り咲いた関氏にとって与党の協力は必要であったのでしょうが、やはり真の改革をするために再び大平氏に助役の要請を出したのだと思います。その任命を与党の自公は拒否したというのが事の顛末です。
長くなって申し訳ありません。
poloさん、市民運動が必要なことは重々分かっているのですが、どのようにしたらいいのか私には分からないのです。ここ、ブログで自分の思いを書くほかなかったのです。これではまだまだ消極的ですよね。
もしかしたら、呼応してくれる人達がいるかも知れません。庶民は決して馬鹿ではないのです!
一度UPしてからも、ですます調に書き換えたり、何度も文を書き直しました。
政治のことはなかなか書きづらいですが、ブログで自分の考え方を述べるのもひとつの手かなと。
大阪市のオフィシャルサイトには市長に直接メールを出すコーナーがなくて、もう少し一般庶民との繋がりを大事にしてくれないかなぁとも思います。
glimiさん、激励ありがとうございます。
ありがとう熊子さん。
政治難民かぁ。言えてるかもしれない。
大阪市民の中には必ず私と同じ思いをしている人もいるに違いない。
普通に新聞に目を通してればこんなことすぐに分かること。
ただ政治家とのつながりもなけりゃ、訴える手段も持たないから、酒の肴にしているだけかもしれないしね。
ここで思い切って書いてよかったと思ってます。
熊子さんのエネルギー波で力づけられたで。おおきに。