Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

洗礼を受けたユダヤ人(2)

2022年10月20日 06時30分55秒 | Weblog
 ヘルマンの例から分かるとおり、割礼を受けることと洗礼を受けることは両立する。
 キリスト教の洗礼とユダヤ教の割礼は、社会人類学的にはいずれも「加入礼」と位置づけられるが、この両者には根本的な違いがあると考えられる。
 まず、キリスト教の洗礼は、何らかの外形的な痕跡を残すようなものではないし、それ自体が決定的に重要というわけではなく、信仰を受け入れたことの結果のようである(但し、信者ではないので誤解があるかもしれない)。

【解説】洗礼式(バプテスマ)とは?やり方もクリスチャンが解説
 「教会によっては年齢制限もあるかもしれませんが、最も大切な条件は、本人がイエスキリストの救いを受け入れているかという点です。これが唯一の条件と言ってもいいですね!
 「つまり、
洗礼を受ける➡イエスキリストを信じる
ではなく、
イエスキリストを信じる➡洗礼を受ける
というのが正しい順番だということです。


 これに対し、ユダヤ教の割礼は、「痕跡を消し去ることが出来ない」ものであり、儀礼それ自体が決定的な重要性を持つという点で、洗礼とは大きく異なる。

通過儀礼(岩波文庫)ファン・ヘネップ 著 , 綾部 恒雄 訳 , 綾部 裕子 訳
 「身体に何らかの毀損を受けた人は何らかの分離儀礼(切断、穿孔などはこのため)によって一般の世間から隔てられ、同時にある集団に自動的に統合されるが、痕跡を消し去ることができないようなやり方で傷をつけるため、この統合は終身的なものとなる。ユダヤ教徒の割礼も例外ではない。これは明らかに特定の神との「契約のしるし」としてなされるのであり、また同じ信徒共同体への所属のしるしとしてなされるのである。」(p99)

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