「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

「我慢すると心が腐るんだよ」?

2012年04月26日 18時14分46秒 | Weblog
 
「我慢すると心が腐るんだよ」

最近始まったある連続ドラマのサブタイトルだ
いかにも現代の「我慢できない」世代の言い分だ
仏法では、「我慢できる人間」こそが高い境涯の
人間、つまり「仏」であると説いている。逆に言
うと「我慢できない者」は、人間のランクが低い
「仏とは遠い存在」「わがままな子供」ということ

つまり、境涯としてランクの低いところの思想を
拠り所としたドラマなのだが、世間を見渡すと、
こういったトンチンカンは枚挙に暇が無い

例えば「心の命ずるままに」が、最高の教えのように
説く宗教屋や教師がいるが、それは間違いだ

人間の心は常に変わる。人に影響され、環境に動揺し
沸き出る欲望にも決意が揺らぐ。そんな心の移ろいを
仏典には「六窓一猿」と説かれている。つまり「眼・
耳・鼻・舌・身・意」という六つの感覚器官の窓から
心という名の猿がせわしなく顔を出しては騒いでいる
様子が、心の実相そのままというのだ

そんな、煩悩や欲望、人や環境などに振り回される心
のままに生きるのは、まるで付和雷同の愚か者ではな
いか。そんな愚を「最高の教え」のように説く奴らの
滑稽さ。笑止千万、まさに笑いが止まらない

そんな低い次元の教えで生きてるから「心が腐るんだよ」

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マスコミ」を傲慢たらしめているもの

2012年04月26日 13時55分58秒 | Weblog

被害者の電話番号などの個人情報を加害者側に渡したとして
京都の警察に批判が集まっている。確かに、警察の対応は言
語道断。小学生でも判る道理さえ判らないようでは正義を守
る組織どころか、不必要な社会の害と言われても仕方が無い
腐りきった組織といった感が否めない警察批判は当然だが、
それ以上に強く批判されるべきグループがある

傲慢な権力、マスコミだ

今回の京都の事件でも、某病院がマスコミに対して怒りの
コメントを出している

【 病院職員らが1つの命をすくい上げようと誰しもが全力を
尽くしている最中に、取材を断っていたはずのマスコミ、特に
読売新聞、毎日新聞、朝日新聞の記者が、霊安室の前に
カメラをかまえ、身内の死を悲しむご家族の映像を勝手に撮影
していました。再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていた
にもかかわらず、一番大切にしたい瞬間に、ズカズカと土足で
割り込んできました。ご家族、医療者、関係者の心情を考えら
れないくらいマスコミの人間の心は腐っているのですか】と…

以前、末席を汚していた者として、取材側の行動は手に取るよ
うに判る。常識ある人からの痛烈な批判は仕方が無いと思うし
当然だ。彼らの行動に弁解の余地はない

けれども、だ
そもそもマスコミに被害者への配慮を求めること自体が間違って
いるのだ。何故なら、彼らの仕事は「不幸」報告業だからだ。被
害者の悲しむ様子を撮ることは彼らの最も大事な仕事なのだ。そ
れは空腹なライオンに「目の前にある生肉を食うな」と言ってい
るに等しい

以前、米兵が戦地で敵兵の死体に放尿するなどの“非人道的行為”
をしたとして責められた際、僕は客観視した論をここに掲載した
《 そもそも、前線の兵士に「人道的行為」を望むことは絶望的に
無理なのだ。何故なら、彼らは「敵とはいえ、同胞の人間を殺害す
る」という“非人道的野蛮行為”を強制されている。戦争で人間を
殺し、倫理観が崩壊した兵士にとって、強姦や略奪、麻薬服用など
は、殺人以下のことと認識してしまう。だから非人道的行為が横行
する》と…

繰り返すが、マスコミの目的は「不幸」の報告だ。その仕事遂行の
過程で、前線の兵士のように常識的な倫理観は崩壊し、人が触れて
ほしくない悲しみにも土足でドカドカと踏み込んでいくようになる
のだ。そんな彼らにとって「霊安室から出てくる悲しみの遺族」を
撮るなどということは、些細な日常であり、そこにひと欠片ほどの
罪悪感も感じない。「取材お断り」の紙は、狡猾なセールスマンに
とっての「押し売りお断り」程度の紙としか映らない。それを責め
られても傲慢なるがゆえに「聞こえない」「心に届かない」のだ

傲慢な彼らの目は永遠に覚めない
だから、彼らに改善を求めても無理な話だ

解決方法はひとつ。視聴者・読者が賢くなることだ。被害者に更なる
被害を与える報道のニュースは観ない。新聞や雑誌を買わないことだ
視聴率が落ちた報道番組はスポンサー料金が下がり、局の収入は激減
する。新聞社や雑誌社も同様。経済が苦しくなったマスコミは方向転
換せざるを得ない。つまり、彼らの基準は「金」だ。傲慢なマスコミ
を叩くには“兵糧攻め”以外ないのだ

しかし…
多くの視聴者は、そして読者は他人の「不幸」が好きだ。「人の悪口」
が好きだ。子供を亡くした母親の涙を覗き込むように見ようとし、「人
の悪口」が聞こえると、走り寄って耳をそば立てる。そんな人たちが
いるかぎり、傲慢なマスコミは安泰とし、心ある人たちに被害を巻き
散らしていく

何を隠そう、彼らを生かし、傲慢たらしめているのは「自分」なのだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする