「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

人生の師

2010年03月28日 07時56分33秒 | Weblog
                    ソクラテス  

中井国家公安委員長の“女性問題”について
千葉景子法相が、ある日の記者会見で
「普通の大人の行動であろうかとは思う」と発言

国民の血税で食っている老人議員の
30代の銀座のホステスとの
多分、金が絡んでいるであろう性的関係が
「普通の大人の行動」と捉える事が
僕にはとても普通とは思えない
もっとも、偽装献金や選挙違反による逮捕
学歴詐称や暴言、脱税行為が横行しているし
それでも辞職しない議員の集まり民主党だから
この程度のだらしの無い異性関係は
まだ「普通のこと」の範疇に入ってしまうのかもしれない
しかし、これを「普通」という感覚が判らないし
その感覚を持つ人間が法務大臣をやっているというのが
日本国の悲劇ではないかとも思う


それはともかく
問題を起こす政治屋が多すぎる
そして、性的虐待を教え子にする教師や
金のために不必要な手術をする医師
欲望に食い荒らされた俗坊主
聖職とは名ばかりの鬼畜人間が多すぎる

さらには、人間の幸福より
利益のみを追求する犯罪者もどきの
エコノミック・モンスター

これらの人間が世の乱れを生み
肥溜めのような社会を作りあげている

けれども、だ
彼らは自分たちが世の中を
汚している元凶とは思っていない
少しばかり善から離れてはいるが
まだ「普通」の領域にいると思っているのだ

しかし、彼らが輝かしい正義感を持っていた
少年期・青年期に、もし仮に戻ったならば
自らの行いによるコールタールのような身の汚れに
悶絶し、身悶え、頭を抱えてしまうはずだ
そう、誰もが青春期は清かったはずなのだ
それが加齢と共に精神と心は汚れ
次第にそれが「普通」になってしまっている


これは一体どういうことだ?
年を重ねるということは
善から遠のき悪に染まるということか?
善として生まれ悪に染まり死に行くのが
人間の運命なのか?

そんなはずはない

事実、ガンジーやタゴールや
キング博士等は清い善の一生を終えたし
過去の偉人たちだけではなく
私の知っている植木職人のCさんも
寿司職人のKさんも、作家のHさんも
皆、清い人生を送って旅立った

清く生きる人と
そうではない人の差は何か

それは、生きる手本・目標とする
師匠がいるか、いないかの違いと思う

最も、とある政治家のように
師匠の政治家が悪を重ねた人物なら
その弟子もまた悪を重ねることになるのだが…

ともかく、善の人生を送った人には
必ず手本となる善なる師匠がいた
ソクラテスとプラトンのように

偉大な師匠がいる人間は
いつも師匠に問いかけながら進む
師に褒められる生き方をする

行動の基準、善悪の基準は明確だ
法律に触れるか触れないか
他人にバレると困るか困らないかの
小狡い基準ではない
堂々と師匠に報告できるか否かが基準だ
ゆえに堕落する隙は無い

結果的にそれは
親や子供に誇れる生き方となり
国民に誇れる生き方となる
決して、何処かの大臣のような生き方はしない

だから、公職・聖職に就いている者は
絶対に、ブレない善なる哲学を持った
師匠が必要なのだ


では、正しい師匠を持たない彼らを正し
社会を健全化するにはどうすればいいか
それは言論による糾弾以外に無い
「あなたは間違っている」と
繰り返し声を発するしかない
そうしなければ悪が蔓延る
声を発しないのは悪を
容認したことになるのだから

その声を発する我々も
正しい基準を持たなければならないが…


最近の政治家などをみると
善悪・正邪があまりに曖昧なため
多くの事件を起こしているように思え
憤慨しつつ以上のようなことを思ったのだった
たまには、真面目に語るのも大切だ
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