「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

昨日も歩いた 井の頭公園&小平近辺

2009年08月05日 07時57分12秒 | Weblog


昨日は井の頭公園近くの知人宅へ
公園を歩き通り抜け
目指す家に伺ったが
生憎と留守




続いて…吉祥寺からバスに乗り
小平方面へ



凄いのだ
小平には まだ 
こんなポストが残っていたのだ
鑑定団に出したら
幾らの値がつくだろう



こういう看板は
つい目が行くが
昨日もラーメンを食べたので
さすがに今日は禁止
「恨めし~やぁ~」



ところで、脚本家の中島丈博氏をご存知だろうか
NHK大河ドラマでは『草燃える』(1979年)
『春の波涛』(1985年)、『炎立つ』(1993年)
そして『元禄繚乱』(1999年)の脚本を担当
昼ドラ『真珠夫人』や『牡丹と薔薇』などを書いた
超一流ライターである

昨日、その氏の私邸に伺った
氏はカミサンの高校の先輩
先輩後輩といっても面識はない
それでもカミサンは小さなツテを頼りに
まさに突撃したのである
僕はへっぴり腰でカミサンの袖を掴み
後ろからついて行った
カミサンの鬼気迫る迫力にたじろぎながら…

ドアホンを鳴らすと
家人であろうか
落ち着いた男性の声がした
後輩であることを伝え
中島氏に取り次いでもらいたい旨を告げると
「そうですか…少しお待ちください」

少ししてドアから初老の紳士が出てきた
中島丈博氏本人である
「どうぞ お上がりください」
初対面の僕らに対して
家に入れという
僕の方がビックリした

カミサンは上機嫌で
「いいんですか?
 じゃあお邪魔します」
僕はその後から
オドオドとついて行った
広い邸宅の居間に通され
僕ら夫婦は中島氏を前にした
カミサンは早速用件を伝える
氏は、実に真摯に誠実に応えられた


中島氏といえば僕には遠い存在
輝かしい経歴の大先輩である
僕は断じて三流ではない
けれども一流とは言えない
そんな仕事はしていない
だが、中島氏は紛れもなく
超一流の仕事をしてこられた

「お会いできて光栄です」
僕は頭を垂れた

仕事での接点は皆無だが
中島氏とはつながりがある
実は、僕がお世話になった
先輩ライターH氏と同期の友人で
H氏から中島氏のことは伺っていたのだ
そのH氏が亡くなって6年
中島氏にH氏の最期の様子を伝えると
「そうでしたか…彼はお酒が好きでしたからね」と
感慨深げに遠くを見た


その日、H氏は晩酌をしながら
奥方と談笑していた
いつもの夕方の風景である
奥方は旦那であるH氏が大好きで
H氏が酔って何度も同じ話をするのに
初めて聞くみたいに
「へぇ、そうでしたか」と
身を乗り出して聞くのだ
その光景を、苦笑しつつ何度も見てきた僕は
その日の様子も容易に想像できる

H氏は そうやって奥方相手に話をし
話疲れて寝てしまうのが常だった
だが、その日は違っていた
奥方が、空いた皿を流しに持っていった時
バタンッという音がした
何事かと戻ってみると
H氏は椅子から落ちて
仰向けに倒れていたのだ
その顔は「フ~酔ったぁ」という顔だったので
「アラアラ大変」と奥方はH氏を起こそうとした
と…息をしていない
奥方の慌てた声、やがて聞こえてきた救急車の音
それを、霊山に旅立つ途中のH氏は
遠くで吹く風の音のように聞いていたに違いない
「大丈夫だよ、安心してなさい」
そんな、いつもの口癖を言いながら

葬儀は盛大だった
「悪意」というものが
これっぽっもなかったH氏を慕って
皆が最期のお別れに訪れた
棺に横たわるH氏の穏やかで
満足げな顔が印象的だった


「Hさんは、作家として
どうだったかは判りません
ただ…一人の人間として
二人の立派なお嬢さんに恵まれ
愛する奥様といつも一緒で
近所の皆からも慕われ
幸せな晩年だったと思います」
僕は中島氏にそう言った

氏は「そうでしたか…」と
少し安心したように頷かれた

穏やかで思慮深く
人間として温かい
懐の大きな人物と推察した
10年ほど前にご自身が書かれた大河ドラマ
『元禄繚乱』の打ち上げの席で
大石内蔵助役で主演の中村勘九郎に対し
「目が死んでいる」と大いに非難
勘九郎とつかみ合いの大活劇を繰り広げた氏とは
全く印象が違う

もっとも、勘九郎に対しては
僕も全く同じ事を言うだろうが…

氏の邸宅を辞した後
僕ら夫婦は温かい後味に
幸せな気持ちになった
「人物」に縁すると
こちらの命が歓喜する
僕らも精進して
人を歓喜させる人になろう
そう決意したのだった

実に有意義な日だった

コメント
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