ビルの話は1972年、夏の夜から始まる
ベトナム戦争の真っ最中だ
ジャングルを飛ぶ大型輸送機に、彼はいた
彼は泣く子も黙るグリーンベレーの軍曹
多くの部下(何人いたかは失念)と共に
パラシュートでジャングルに降り
敵の基地を攻撃する作戦が、これから始まる
彼の専門は爆破だ
背中の荷物の殆どは爆薬だ
百戦錬磨の彼も、下っ腹に悪寒が走る
「今度は生きて帰れるだろうか…」
パイロットから合図が出た
彼を先頭に、兵士たちは飛行機から一斉に飛び出す
最初に飛び出した何人かが風の影響で
少し北に流された
その中にビルもいた
不気味な静寂の中
パラシュートを突き上げる
風の音だけが聞こえる
顔を上げると満天の星空だ
「綺麗だ…」
一瞬、戦場にいることを忘れたという
もうすぐ着地という時
ブスッという鈍い音と
小さいが激しい悲鳴が漏れる
彼らの着地地点には
鋭利な刃物のように切られた竹が
何十本も天空を向き刺さっていた
敵兵が仕掛けた罠だ
ブスッ、ザクッという音が続く
「ウーッ!」
着地した兵士の足の裏や
ふくらはぎに竹が刺さったのだ
ビルの両ふくらはぎにも竹が刺さり
肉を引き裂いた
彼は奥歯が砕けるほど歯を噛み締め
悲鳴を押し殺した
どうやってそこを脱出したかは憶えていない
だが、同じく怪我をした何人かの部下を引き連れ
彼は本部隊に合流した
その後、彼は負傷兵としてヘリで運ばれた
沖縄の病院に彼はいた
陽気な彼は病院で人気者だった
日本人の看護婦も大勢いた
BOXという姓から、彼は「箱(はこ)さん」と呼ばれた
ようやく傷も癒え、除隊になり、彼はNYに帰る
敵と戦った“ヒーロー”のはずだったが
帰国した彼に仕事はなかった
幼馴染がギャングとして顔を効かせていた
そうして、彼は裏の世界に入っていった
敵対するマフィアの経営する店を
彼は“得意の”爆弾で次々と破壊した
彼は恐れられる存在となった
(その爆破で何人死んだ? とは聞けなかった)
売春婦を30人ばかり使って女衒(ぜげん)もした
銀行に金を預けると税金で取られるからと
稼いだ札束はベッドのマットの中に隠した
だから、いつもベッドは硬かった
裏社会は裏切りの連続だった
気の休まる時がなかった
「そろそろ足を洗うか…」
金はタンマリあった
彼はその金を持って街を出た
フロリダで雑貨を売る商売を始めた
女衒ほど稼ぎはないが
安全に暮らせる
文句はない
数ヶ月して、NYの例の幼馴染が
彼を探しているとの情報が入った
「ビルが組織の金を持ち逃げした」ことになっているという
後で分かったことだが、幼馴染が金を使い込み
それがバレそうになったので、ビルの名を出したのだ
逃げても、いつかは所在がばれる
彼は対決の道を選んだ
金を詰め込んだでかいバッグを肩に
彼は幼馴染の前に現れた
そして銃を突きつけ
「俺は足を洗う。金は全部やるから、
俺とはもう無関係と誓え」
幼馴染はバッグを抱え、彼の前から消えた
当時を振り返り、ビルはため息混じりに言った
「戦場にいる時より、多くの殺し合いを見た」
そして「もう、あんな世界は嫌だよ…」
それからのビルは、警備員や清掃業など
地味ながら全うな仕事で生計を立てて暮らした
この頃、僕の親友ヒロさんの住むマンションの
警備員をやっていたことで、
気さくなヒロと知り合いになり、友情が芽生えた
貧乏だったが、いつも陽気なためか
「小金を溜め込んでいる」と思われた
そして1999年の冬…
仕事に行こうとしていた時、誰かがドアをノックした
無防備にドアを開けたが、すぐに後悔した
ドアの前に、近所の少年がいた
右手に拳銃、左手にナイフを持っていた
元グリーンベレーは、体に染み付いた動作で
まず少年の拳銃の引き金に親指を入れた
引き金を引かせないためだ
次に、ナイフを握った手を掴もうとしたが
少年はビルの手を払い、ナイフで深々と腹を刺した
激痛より先に、何か取り返しのつかない過ちを
自分が犯したような錯覚に見舞われた
それから、激痛が襲った
この事件は、過去に犯した罪の報いのように感じた
少年の顔が、一瞬、死神のように見えた
刺したとたん怖くなったのか
少年は泣きそうな顔になった
「行け」と少年に言った
少年は走り去った
膝から崩れた
腹から腸が出てくるのが分かった
右手で腹を押さえ、隣りの部屋のドアを叩いた
隣人の太った婦人は、彼の様子を見るなり絶叫した
本当なら死んでいたという
しかし、隣人が近くの巨大病院
ハーレム・ホスピタルに走り
医者がストレッチャーと共に駆けつけたため
彼は一命を取りとめた
(ビルが笑って言うには、
刃傷沙汰の治療ばかりやっている
ハーレム病院だから処置が早かった
あれが、ヒロの家の近くの
金持ち相手の病院なら
俺は確実に天国に行っていたよ)
入院して一ヶ月目に
僕は見舞いに行くというヒロさんに連れられ
初めて彼に会った
彼は、初対面の人を信用しないタイプらしく
紹介されても「やぁ」という程度で
その時は会話らしい会話はしなかった
まあ、重症を負って、まだ一ヶ月ということもあっただろうが…
2000年の初夏
再びビルと会った
今度は彼の部屋で
(写真はその時のもの)
食事もご馳走になり、ジックリと話した
その際に聞いたのが、前述の物語、武勇伝だ
実はこのとき、彼はガンを患っていた
僕はそれを知らなかった
帰国して、少し後に、ヒロさんから教えられた
余命いくばくもないとのこと
怪我で入院した際、ガンが発見されたのだという
彼と別れる際、本通りに向かう僕を、玄関先から
いつまでも見送ってくれていたことが思い出された
彼のために、何か出来ないか…
僕はビデオを手に都心に出た
東京を撮りながら、拙い英語で街を紹介した
笑える場面をふんだんに入れた
友人・知人にも協力してもらい
「ハーイ、ビル 元気出して」
「ビル、ファイト!」など
見知らぬビルへのメッセージを貰い
それでビデオレターを作った
それを、彼の住所
122.w.139th St NY.C 100…
に送った
間に合ってくれればいいが…と
一ヶ月ほどして、ヒロさんから電話があった
「ビルが亡くなった」と…
穏やかな、笑みを浮かべているような死に顔だったとのこと
生前、ビルは、僕が送ったビデオレターを何度も観て
何度も同じところで笑っていたという
ヒロさんもつき合わされ、
「2度も見たよ」と苦笑していた
「良かった、間に合ったんだ…」
僕の机には、ビルから貰った香水がある
5センチほどの小瓶だが、値段は25ドル…
裕福ではなかったビルにとって、高級品だ
「もらえないよ」と遠慮すると
「とっとけよ。俺はもう色気は卒業したんだ」
時折、小瓶のふたを開けてみる
日本人が使うには強すぎる匂いだ
しかし、嗅ぐとなぜか温かい気持ちになり
ホッとするのだ
一期一会という言葉が胸に迫る
↓↓↓クリック宜しく (^^)