ガラパゴス通信リターンズ

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千鳥が淵に立つさざ波

2006-08-17 07:28:00 | Weblog
 小泉首相が靖国参拝を強行した。やめる間際になって、何故国益を損なう愚行に固執するのだろうか。不思議でしかたがない。それにしても財界は小泉がやめてくれるので、ほっとしていることだろう。日本経済は、東アジア諸国との関係抜きには成り立たない時代に入っている。中韓両国との友好関係は、財界の望んでやまぬところであろう。であるにも関わらず保守党の首相が、中韓との関係を損ねる行為を意図的に続けているのだ。資本主義国家において政府は独占資本の利害を代表しているというマルクス主義によっては、まったく説明できない事態が生じている。

 政府部内では靖国の非宗教化という、とんでもない議論が盛んだ。宗教施設でない神社って一体なんだ。神主はどうする。遊蹴館はどうなるのだろうか。戦争体験世代が、完全な少数派になりつつある現在、靖国が政治の争点になるということ自体が摩訶不思議である。戦争の記憶は語り継がれるべきものであろう。しかし戦没者の慰霊がいま、喫緊の国家的課題であるはずがない。

 近代化論の泰斗、アイゼンシュタットは『日本-比較文明論的考察』のなかで、次のように述べている。幕末や敗戦直後のような混乱と再生の時代にも、日本では至福千年的なユートピア志向の運動が起こらなかった。未来志向的な創造的観念がこの国のなかで生まれることはなかった。国民統合の理念は常に過去のなかに求められてきた。この国での革新とは常に復古だったのだと。

 日本はいま、どうしようもなく行き詰まっている。しかし、創造的な理念はどこからもあらわれてはこない。そこで「日本国」を生み出した戦争の記憶へと、「右」も「左」も回帰している。戦前への回帰が「右」の宿願。だから靖国が重要な政治的シンボルとなる。そして「左」の側は、敗戦がもたらした憲法と平和主義に固執する。しかし平和憲法のもとでこの国は、数多のアメリカの戦争に間接的に「参戦」してきたのではなかったか。小泉は、参拝は心の問題だといっていた。君が代日の丸に反対する人たちも、「内心の自由」を唱える。「右」と「左」はそっくりだ。