ビルクル・ティーケ!

~パキスタン見聞想録~

いざウズベク!

2006-08-10 23:34:42 | 旅先・出張先
仕事をバタバタと片付けて、仕事の合間に実家の母から頼まれた用事を片して
今日はどんなに遅くとも夕方18時には職場を後にしなければなりません。

なぜって?これからラホールに飛ばねばならないのです。
そう!ウズベキスタンに行くためです!

パキスタンとウズベキスタンは、ラホール~タシケント間にダイレクト便が
就航していますが、bilkulが住んでいるのはイスラマバード。
イスラマバードからラホールまでは陸路で4時間半。空路で1時間弱。
時間と労力を考えればここは当然空路です。

しかし、先月の国内線墜落事故のあおりを受け、イスラマバード~ラホール間のフライトが減少。
おまけにラホール~タシケント間も突然のフライト時刻変更で金曜日は深夜便に。
金曜日の深夜便に乗るためには、今夜中にラホールに移動せねばなりません。
何が哀しうて、旅程の前後1日をパキスタン国内の移動に費やさにゃならんのだ(泣)

20時のフライトに乗るためには、19時にはチェックインしたいところ。
んがっ!退社した時点で18時20分。自宅に戻ったのが18時35分。
着替えてから最後におみやげを詰め込んだらもう19時!

ようやく準備ができ、ズルちゃん!と呼ぶとなんとこの緊急時に体調不良!
結局大家パパが空港まで送ってくれることに。
この時点で、旅の同行者Aさんが退社できたのか確認できておらず。
このところの大雨で各地で洪水が起きており、その緊急支援対応に追われていたのです。
果たしてAさんは無事に退社できたのか???

Bilkulは大家パパのお陰で19時半に空港に着いて無事チェックイン。
なかなか退社できなそうだったAさんとも機内で合流。よかったよ出発できて。

次のフライトまで時間がたっぷりあるので、ラホール市内まで繰り出して夕飯。
17世紀後半、ムガル帝国最盛期の第6代皇帝アウラングゼーブが建設したという
バードシャーヒー・モスクを望めるレストランでお食事。これが、ナイス
昼間に見ると正直なんだかパッとしないバードシャーヒーですが、これは是非
夜間ライトアップしてるところをご覧下さい。なかなか幻想的で素敵でした。

食事を済ませ、また空港へと戻ります。夜中の2時25分までひたすら待つのみ。
待合ロビーにある"Duty Free Shop"を冷やかしながら時間をつぶします。
興味のある方、機会のある方はこの"Duty Free Shop"をのぞいてみて下さい。
かな~り笑える品揃え・・・というか、ああいうパチモンを国際空港で売ってはいかんと思う。

慌しい一日ではありましたが、何はともあれ、2時25分のフライトでいざウズベクなのだ!

昼食会

2006-08-09 22:00:56 | 日記
本日のランチは、大ボスのお取り計らいで大ボス邸で昼食会でした。

5月に着任なさった大ボスは、社内のスタッフ全員から広く意見を聞きたいという
方針の方なので、本日のランチもその延長上でのお気遣いなのでしょう。
海外でのご経験が豊富なのに加え、開発分野における新しい情報をネット上で
頻繁に収集なさってらして開発業界の方のブログもよくご覧になっているご様子。
とにかく話題が豊富です。

大ボスの着任に伴い、シェフも新しい方に。
独創性豊かな方で普段見慣れないお食事でした。

【お品書き】
前菜  :日本の子供達の未来の為に (コンソメ風味のムース)
スープ :タイ風冷たいスープ
魚料理 :烏賊と海老の石焼き 酒盗風味
肉料理 :仔羊のカフェ風 ラタトゥイユとクスクス添え
ご飯物 :香味ご飯天ぷら添え
デザート:紅茶ムース

大ボス邸でのプライベート・ランチなんて初めての経験だったので、
ちょっぴり緊張しつつも楽しい午後のひとときでした

久々の困惑

2006-08-08 23:12:55 | 日記
今夜は、友人宅に招待されて夕食(&お酒も)をごちそうになりました。
パキスタン人の4歳の女の子が来ていたので場が和み、同じく招待されていた同僚と
久しぶりにゆっくり話したりで、それなりに楽しい時間を過ごしていました。

が、帰る時にホスト(仮名Aさん)に車の所まで送ってもらった時に事が起こりました。
雇用主であるbilkulが見ている目の前で、ホストがズルちゃんに心づけを渡したのです。

え???なんで???

一瞬の出来事で、しかももう車も動き出してしまったので何も言いませんでしたが、
内心とっても腹が立ったというか、居心地が悪いというか、みじめな気分になりました。

なんでみじめかって?

そりゃ、ズルちゃんは雇用主であるbilkulを迎えにその家に来たからです。
それは彼の仕事です。そしてbilkulはその仕事に対し、対価を払うのです。
いわば当然のことをしたまでのことなのです。
数日前に働き出したばかりですから、まだお給料を渡したことはありませんが
他人から施しを受けなければならない程低いお給料にするつもりはありません。

それに、もうひとつ。
「これじゃ、まるでbilkulがあなたの愛人みたいじゃない!?」と思ったからです。
ズルちゃんはbilkulのドライバーだし、ズルちゃんはbilkulに対してサービスを
提供しているのに、なぜ他人からお金をもらわなきゃいけないのでしょう?

それじゃまるで「おう若いの。俺のオンナのために悪いな」って感じじゃない?
こんなこと考えるのbilkulだけなんでしょうか?
なんかおかしいこと言ってますか?

では、逆のパターンを想定してみましょうか。
もし、Aさんがbilkulの家に遊びに来た際に帰ろうとして、bilkulがAさんの
ドライバーにチップを渡したらどうでしょうか?
おそらくAさんは怒ると思います。「そんなことするな」って。
それならば、なぜAさんがチップを渡すのは許されて、bilkulがやると怒られるのでしょうか。

Aさんはbilkulより20歳近く年上ですが、bilkulの上司でもなければ、利害関係もないし
立場的には「同等」と言ってもよいであろう友人関係です。
同等である以上、同じ行為をして一方はよくて片一方だけ怒られるのって変ですよね?
何かしらの力関係が作用している、ということですよね?

つまり、そこにジェンダー問題が潜んでいるのだと思います。
男性のAさんがやったら許されても、女性であるbilkulがやったらダメ。
男性のAさんが上から施しをしてもいいけど、女性であるbilkulがやったらダメ。
男性のAさんが女性であるbilkulのプライドを無視してもいいけど、女性である
bilkulが男性のAさんのプライドを傷つけることは許されない。

なぜなら、それが男性の沽券に関わるからでしょう。

お金にまつわる事はセンシティブなので、bilkulは他人のドライバーに勝手に
チップを渡すことは絶対と言ってもいいぐらいしません。必ず雇用主の許可を得ます。
例えば、友達のドライバーに空港まで迎えに来てもらったとしたら、ちょっとした
おみやげを渡すとか極力直接現金を渡さないようにします。
慎重すぎるかもしれないし、ドライバーとしては訳のわからないおみやげより現金の方が
ありがたいと思いますが、雇用主やドライバー本人とのトラブルを避けるためです。

なんだか久々にこういう困惑にぶち当たりました。
Aさんが善意でやっているのは承知ですが、だからこそ困惑するのです。
たとえ善意に基づいて行動しても、行為の受け手が困惑しているのであれば
結果的にAさんが取った行動は善意ではなくなってしまうと思います。
そう。まさにジェンダー問題にぶち当たって途方に暮れる時と同じ心境なのです。

学生時代にジェンダー問題を(一応)勉強してたので、久々に真面目に書いてみました。
むむむ・・・Bilkulが考えすぎなんでしょうかねぇ・・・?

"The Mushroom Club"

2006-08-06 21:06:22 | 映画・本&時々音楽
久しぶりの晴天ですやっぱりbilkul晴れ女だ!
よーし洗濯するぞ~と思ったら、使用人としてのズルちゃんも同じ事を考えたらしく、
たまりにたまった大家一家の洗濯物と格闘していました。なんせ6人分。大変だ。
洗濯を終え、広島出身の友達が携わっている原爆関係の催し物へ出かける。

本日8月6日。Bilkulの誕生日。そして広島原爆記念日。
小さい頃から毎年誕生日になると、朝から黒い服を着たたくさんの人がうつむき加減に
お祈りしているのが不思議でならないのと同時に悲しくもありました。
小学校高学年ぐらいになって初めて歴史を勉強し、広島に原爆が投下されたということを知る。
その頃の私はボーーーっとした子供だったのですが(今もだけど)、実はいろいろと問題を
抱えており、高校生、いや大学1年生までかな、割と生きてることが苦痛でした。

そこへきて原爆の話です。
「(私が生まれる○年前にあれだけ亡くなった人達がいるのに)なぜ私が生きているんだろう?」
「私はなんで生まれたんだろう?」
「なんで生まれちゃったんだろう?」
「なんでこんな思いして生きていかなくちゃいけないんだろう?」
などと、かなり後ろ向きに思ってました。

広島出身でもないし、長崎出身でもないけれど、原爆に関しては勝手に何かしらの
思い入れがあるので、昨年に続いて催し物に出かけたのです。
昨年は原爆そのものより、核保有国であるパキスタンでの原爆展に興味があったのですが。

今日の催し物での興味は "The Mushroom Club"というドキュメンタリーでした。
2006年度のアカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品です。
以下、感想をつらつらと。

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【The Mushroom Club】2005年作品
監督/ Steven Okazaki

"The Mushroom Club" とは、胎内被爆した子供達の保護者達によって設立された
いわば犠牲者の会のような会の名前。日本名は「きのこ会」。

戦後、通常の被爆者への身体的影響に関する研究は次々となされたが、
胎内で被曝した子供達への影響はなかなか実証されなかった。
そのため、両親は「遺伝ではないか?」と自分を責め、周囲からの理解を得られずに
通常の被爆者よりもさらに苦渋の日々を過ごしたという。

ドキュメンタリーに登場する被爆者のおばあちゃんが「私は友達を置いて逃げてしまった」
とか「あの混乱の中で人としてしてはいけないことをしてしまった」と自分を責めている。
米国政府の首脳陣、エノラ・ゲイ搭乗員が「戦争を終わらせるために正しいことをした」
と自信満々に発言するのとは真逆の発想だ。
所詮あの惨劇を、地獄絵を目の当たりにしてないから言えるのだろう。

だって、被害者のおばあちゃん達は何もしてない。
原爆投下の瞬間まで普通に生活し、真面目に働いていた市井の一市民。

戦争を始めたのはおばあちゃんじゃない。
戦争をしたかったのはおばあちゃんじゃない。
人を殺したのはおばあちゃんじゃない。
自分を責め、悔い改めるべきはおばあちゃんじゃない。

・・・それなのに、やっぱりおばあちゃんは自分を責めちゃうんだ。
どうして?どうして、被害者であるおばあちゃんが自分を責めなきゃいけないの?
家族や友達のほとんどを亡くし、自分の人生だって他人に勝手に塗り替えられてしまったのに。
おばあちゃんだって後遺症で苦しんでいるかもしれないのに。

今だって、きっとレバノンで同じようなおばあちゃんがいるはずだ。
「自分だけ逃げてしまった」とか「助けを求められたのに何もしてあげられなかった」って、
一生かかっても拭いきれない罪悪感、無力感に苛まれるおばあちゃんが次々
生まれているんだろう。
何もできない(してあげられない)ことって、身を裂くようにつらいことだもの。

催し物から自宅に帰り、2階に行くとちょうど大家パパがレバノン空爆のニュースを観ていた。
2人でニュースを観ながら、大家パパに思わず聞いてしまった。
「異なる宗教が共存するということはそんなに難しいのか?」と。
「日本は他国と国境を接していないし、日本人にとっては宗教が異なるが故に
殺し合いまでしなくてはいけないという状態を想像するのが難しいんだよね」とも。

どうして人は争いをやめられないんだろう?
どうして違う宗教の人と共存できないんだろう?
素朴かつ極めてシンプルな問い。
人はこれを永遠に問い続けなければならないんだろうか?

Bilkulは今はもう生きてるのが苦痛なんて思わないけど、こういうドキュメンタリー
を観ると自分がいかに甘っちょろいかを痛感する。
物理的な痛みや感情は単位にして測ることができないし、他人と比較しても仕方ないこと
なのだけれど、世の中には想像を絶するような凄惨な出来事に遭遇している人達が
たくさんいるってことを忘れてはいけないのだと思う。

想像を絶する出来事はたくさんあるけれど、想像を絶してはいけないんだと日々思う。
想像力をなくしたらオシマイ。いろんな意味で。

大前夜祭

2006-08-05 23:58:51 | 日記
本日は自ら企画した飲兵衛の会(またの名をM&A誕生会)

以前から酒豪友達と「焼酎の飲み比べしようね」とか「夕方からダラ~ッと飲みたいね」
と話していたのですが、偶然誕生日が1週間違いだということが判明。
これはもう合同誕生会するしかないでしょ!と思い、普段から仲良くしてもらっている人は
もちろん、最近なかなか会えずにいる人にも声をかけて楽しく飲もうということに。

開始時間は17時。ところが主役がお仕事のため少し遅れるとのこと。
しかし、もう1人の主役bilkulは17時過ぎから最初のお客様と早速乾杯。
次から次へと駆けつけて下さるお友達を相手に、ホストひたすら飲みまくり。

なんと!ゲストの中にさらに1人8月生まれがいたことが発覚!
パキスタン育ちのK君。8月1日に2歳になったばかりとか。
ビバ獅子座!ってことで、3人で記念撮影をしました。

いつも素敵な本日の主役。変なこと言って笑せてくれる友。
昨年も誕生日を祝ってくれた友。一家で遊びに来てくれた友。
昨夜も一緒だった酒豪仲間。先月偶然bilkulの職場の廊下で再会した
短期間だけど同じ職場(@日本!)で隣の席だった元同僚。
同じ頃に同じゲストハウスでパキスタン生活を始めた友。
毎日言いたい放題を聞いてくれる現同僚。
そして、いつもわがまま&グチを聞いてくれるシェフ。

友達が友達を呼んで、最終的に総勢14人(大人12人子供2人)の大パーティーに。
本当にたくさんの方々に集まって頂いた上に、(ムリヤリ)お祝いして頂いて
皆様どうもありがとうございました。お陰さまで楽しい一年になりそうです

実は夜中にハプニングが起きて、急遽運転することに。
あれだけ(17時過ぎから夜中2時過ぎまで)飲み続けて運転して、
帰宅後明け方近くまで後片付けできる私はもしや「わく」???

本日のメニュー
すし・牛の土佐造り・鯖のみそ煮・焼き鳥(プロのシェフ作)
里芋の煮物・ゴーヤチャンプルー・チリコンカン・Feta+クリームチーズのねぎ鰹節のせ(bilkul作)

イブイブ

2006-08-04 23:03:29 | 日記
夕方、同僚パキスタン女性が帰り際に、ちょっと恥ずかしげに「bilkulさ~ん」とやってきました。
彼女は何か言いにくい事があると”ちょっと恥ずかしげ”なのですぐにわかります。

すると、「6日はお誕生日よね?」と言いながらプレゼントを渡してくれるではありませんか!
うぉ~!超嬉しい!覚えていてくれたなんて!!!
「ありがとう!」と言って、パキスタン流にハグして、両頬にチュッ×2。

彼女は超ベテランさんなので、職場の女性スタッフの相談役のようでもあり、
若いスタッフが突っ走りそうになった時の防波堤でもある重要な存在。
日本人のメンタリティもよく理解してくれているので、bilkulも毎朝挨拶の他に
必ず何かしら話をします。世間話や真面目な話、時にはくだらない冗談だったり。
とってもかわいらしくて大好きな人です。

夜は、イスラマ三大美女(もちろん自称)でバースデー・イブイブ・ディナー!
も~!この3人だと何の気兼ねもなくバカ話ができて、楽しすぎる!

とあるスジでは3人とも「酒豪」ということになっており、もちろん今夜も飲みました。
気づいたら縁起よく赤&白のワインボトルが空になってました。
その前にさんざんビールで乾杯したんですけどね

誰も知らない土地に来て早1年3ヶ月。
こうして大好きな人達に恵まれてハッピーです。
とってもとっても楽しい一夜でした。

「スタン」

2006-08-04 22:23:45 | 日記
8月中旬に夏休みを取り、ウズベキスタンに遊びに行くことにしました
今日はランチタイムを少し早めに抜け出し、一緒に行く同僚のビザ申請と
既に申請していたbilkulのビザを受領しにウズベキスタン大使館を訪ねました。

大使館の門前で担当官に電話をしたのですが、待てども待てども出てきてくれない。
雨は降ってるし、狭いチョキダール小屋(下記注参照)の中で3人待ちぼうけ。

30分以上待った挙句・・・マヌケなbilkulはパスポートのオリジナルを持参するのを
忘れたため、今日申請した2人と一緒に水曜日に再度取りに行くことに。
とほほ。何やってんだbilkul。

この時点でまだ門前。担当官が外で書類をチェックしていると突然
「こんな所にいるのはよくない」と言いだして、どういう訳か大使館内に入ることに。

さすがに雨の中チョキダール小屋で待たせたのを悪いと思ってくれたのでしょうか?
ほんの数分前までの扱いとはえらい違い!ドライフルーツやお茶まで頂いちゃいました!
ビザを申請しに来ただけなのに、えらく丁重なおもてなし。
やっぱり「スタン」の国だなぁ。なんだかちょっぴり不思議です。

*** 注 ****************************************************************
チョキダール小屋とは、ゲート前にあるチョキダール(門番・守衛)用の小屋です。
イスラマ居住の外国人家庭や各国大使館等は、大抵チョキダールを雇っています。
(Bilkul邸はパキスタン人家庭なのでいませんが、隣のチョキダールが門をあけてくれます)

1日2交代制で、朝と夜で人員が代わります。銀行や大使館等セキュリティが厳しい所は
銃を持ったチョキダールがいかつい顔して見張っていますので、イスラマ市内で生活すると
毎日どこかで銃を目にすることになります。最初はビビリますが、徐々に慣れます。

ちなみに日本人社会ではチョキダールを「チョキ」、銃を持ったチョキダールを「ガンチョキ」
と略す傾向にあります。Bilkulは略語があまり好きではないのでめったに使いませんが。