ビルクル・ティーケ!

~パキスタン見聞想録~

初点火

2005-11-28 23:59:32 | 日記
部屋のストーブを初点火してみました。
今夜はさほど冷え込んではいませんが、昨日つけ方を教わったので。

ガスストーブなので、寝る際にはガスの元栓も締めるよう厳命されました。
一般的にこちらはガス栓の締りが悪いので、ガス漏れが頻繁に起こるそうです。

明日、無事に目を覚ませますように

Balakot

2005-11-26 23:59:55 | 旅先・出張先
昨夜は同僚(パキスタン人)の学生時代の友人宅に泊めて頂く。
こちらの「裕福」な家庭というのは、Bilkulのような庶民が
想像できないほど果てしなく財産を保有しています。
この方もその範疇の方で、お偉方のご友人もたくさんいるそうです。

アボタバードという町にある立派なお宅を朝7:30に出発し、
一路バラコートへ。昨日の山道も結構しんどかったのですが
今日はまた一段とアップダウンが激しい。

バラコートは震源地に近く、バタグラムよりもはるかに状況はひどかったです。
政府系、民間を問わず、建物という建物は軒並み倒壊していました。
断層がゆがみ、同じ敷地内に高低差ができていました。
「本当にここに人が住んでいたんですか?」と思ってしまうぐらい。

訪れた学校の敷地内にも、亡くなった生徒達のお墓がありました。
こちらは土葬なので、その小ささに胸が痛くなりました。

もう1つの学校を見せて頂きましたが、すでに再建途上で
トイレもあり、パイプも敷設して水も出ていました。
しかし、そのサイトの前の瓦礫の山・・・
再び「ここに本当に家があったの?」と思いました。

斜面に瓦礫の山。(画像がそれです)
ただの巨大な岩山に見えるけど、そこにはたくさんの人が住んでたはず。
ここの住民はどうしたんだろうか。
しばらくなすすべもなく見上げてしまいました。

Batagram

2005-11-25 23:42:48 | 旅先・出張先
北西辺境州のバタグラムという町に行きました。
バタグラムは、10月8日に起きた地震の被害を受け、
日本の緊急医療チームが医療活動を行った地です。

朝8時過ぎにイスラマバードを出発し、カラコルム・ハイウェイを通り、
四輪駆動車で山道ウネウネを抜け、当地に着いたのは午後1時過ぎでした。
早速、当地のお役所に出向いたのですが、担当官は最近着任した
ばかりらしく、どこにどのようなニーズがあるか把握していませんでした。

政府系の病院、学校等が軒並み崩壊していました。
画像は崩れた県の中央病院です。
正面側から見ると被害の大きさはわかりにくいですが、裏の
婦人科があった場所は瓦礫の山となっていました。

同州出身のパキスタン人によれば、政府が工事費を適切に使わずに
セメントの質を落としたから政府系の建物だけ倒壊したのだと言っていました。
彼が「セメント」と呼ばれるかけらを打ち付けると、簡単に崩れてしまいました。

彼の言葉が100%正しいかどうか、それはわかりません。
しかし、Bilkulが目にした光景はリアルです。
この病院の横にある学校も、両側の壁が崩れて一方の壁から
向こう側の外の景色が見える有様でした。

宿泊地であるAbbottabadまでの帰り途中にも、いくつかの
診療所や学校を見ましたが、2階建ての学校が完全に
崩れて天井が目の前にある光景は実に異様でした。

Bilkulは初めてこの地を訪れましたが、この町に住んでいる人々は
変わり果てた故郷をどのような思いで見ているのでしょうか。

ドナー会議

2005-11-20 20:44:59 | パキスタン事情
2005年10月8日、パキスタンで未曾有の地震が発生しました。

今回の地震では、昨年のスマトラ沖で起きた津波の時のように国際社会からの
資金援助を受けられず、復興に必要な資金がまだまだ不足しているようです。
昨日、イスラマバードでは「復旧・復興のためのパキスタン政府主催
主要ドナー・国際機関会議」が開かれ、パキスタン政府が各国ドナーに
さらなる支援を要請しました。

国連からはコフィ・アナン事務長、日本からは先頃就任したばかりの
塩崎外務副大臣が出席しました。
今日の新聞の一面にも、各国から表明された支援額がデカデカと載っていました。

ドナー会議の詳細は、外務省のHPで読むことができます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/asia/donor_gaiyo.html

どうやら当初懸念されていたよりも資金が集まったようで、
「パキスタン政府の外交政策が成功」したからなのだそうです。
きっと政府は、地震直後の初動の遅延を挽回したかったのでしょうね。

嬉しい偶然

2005-11-17 23:12:18 | 日記
9月末にこちらでの任期を終えて日本に帰国した友人が、
地震後に新たな職を得て、再びイスラマに戻ってきました。
今日、新しいお家に引っ越したというので見に行くことに。

夜8時近く。あたりはもうすっかり真っ暗です。
友人に教えられた住所に着くと、真っ暗ではっきりとは見えませんが、
なんだか見覚えのあるバルコニーが。

そこはなんと、Bilkulが5月に家探しをしていた時に、
最も気に入ったお家たっだのです。

そのバルコニーが気に入ったばかりでなく、大家さんがとてもジェントルマン。
確かイギリスに留学経験があり、とてもきれいな英語を話す方で、
日本にも仕事で行ったことがあるんだと話していました。

しかも日本へは、Bilkulが以前勤めていた団体が非常にお世話になっている
国際機関に行ってた or 研修を受けていたとか。

5月はタッチの差で他の人の入居が決まってしまい、しばらくショックで
新たに家探しをする気にもなれなかったのですが、こんな風に再会するとは。

ちょうど友人に門の施錠の仕方を教えに外に出ていらっしゃったので、
思い切って「こんばんは。私のこと覚えてますか?」と挨拶してみたら
「いやぁ、びっくりしたよ。久しぶりだね。仕事はどう?今はどこに住んでるの?」
と、すぐに思い出してくれました。

「いつでも遊びにいらっしゃい。また会えてとても嬉しいよ」とも。
我が家の大家さんもいい人ですが、彼もとても穏やかでいい人。
この大家さんのところなら、友人も安心して住めるでしょう。よかった。

地雷

2005-11-16 23:02:06 | パキスタン的出来事
みなさんは、プライドの高い人の機嫌を損ねた時はどうしていますか?

仕事柄、保健、教育、インフラなど様々な分野の書類を取り扱っています。
素人ながら建物や配水管の図面を見たり、医療機材を調べたり。
未知の分野について調べるのは楽しいですが、それはそれでやはり大変です。

パキスタンのwell-educatedな方々は、英語がやたら上手です。
それでもスペルミスがあったり、文章が凝りすぎてよくわからないことも。

わからないことは書類を作った人に聞くのが一番と思い、先方に確認すると・・・
怒られた

会った時に聞いたらOKだけど、電話や書面で聞くと・・・
また怒られた

一度提出したもの(=自分の手を離れたもの)は、そっちで処理しろってこと?
会った時に答えたことがすべてなんだから、それ以上聞くなってこと?
俺(エライ人)が作った書類なんだから、そのまま通せってこと?
(ま、こういう人も実際いるのですが)

わからないのをこちらの不手際にされるのが腑に落ちない。
各方面の専門家に聞いてもわからないから、本人に再確認してるんですけどね。
自分に自信を持つのはよいのですが、人の話も聞いて欲しい。

こちらのwell-educatedな方々は、プライドがとても高いです。
そして、地位が高い人、よい家柄の人はとんでもなくプライドが高いです。
彼らの地雷原がどこなのかいまいちよくわからん、今日この頃です。

Lahoreへ

2005-11-12 23:51:21 | 旅先・出張先
突然ですが、Lahore(ラホール)に行くことになりました。
「なりました」と言うより「しました」かな。

先日から、身体障害者のことを調べています。
各方面の方々から貴重なアドバイスを頂いていて、その過程で
Lahoreで身体障害者の自立生活についてのセミナーが開かれて
いることを知りました。今回はそのセミナーを聞きに。

Lahoreまではイスラマバードのお隣の市、ラーワルピンディ(Rawalpindi)
からバスで4時間半の旅。
韓国製の大型バスが30分毎(ぐらい)の頻度で出ています。
日本の高速バスと同じような感じです。
なんと、機内食ならぬ車内食(上の画像)が出るんですよ。びっくり。

話を元に戻しましょう。
一般的にパキスタンで身体障害者は、家から出ないようです。
「出ない」のか「出られない」のか、はたまた「出してもらえない」のか・・・
少なくともBilkulは、イスラマバード市内で車椅子の人を見たことがありません。
「身体障害者=恥ずかしい」ということなのでしょうね。

貧富の差が激しいパキスタンでは、貧しい人は路上で自分の障害を
見せて物乞いをする人もいます。(中には障害がある”ふり”をする人も)
裕福な人は、家族の誰かが面倒を見るため、外に出る必要がありません。

BilkulがLahoreで出会った人達は、生活に相当ゆとりのある方々だと思います。
障害の程度にもよりますが、彼らは日本でいう「訪問介護」のサービスを
受けて介護というサービスを買っています。
パキスタンでこのようなサービスがあること自体に驚きました。

今回のセミナーに行ったのは、日本で自立生活を目指し、様々な公共サービス
(例えば新宿駅のエレベーター設置とか)を促進させた方がわざわざ日本から
いらっしゃっていて、その方の経験談を聞きたかったからです。

その方いわく、「社会的サービスを手に入れるためには、まず身体障害者の
人権を認めてもらわないといけない」と。
Bilkulには非常にわかりやすい話でしたし、参加者の方々もうなずいていました。
しかし、この国で人権。。。日本と同じ土台で語るのは難しいと思いました。

ミリオネアで家族団欒

2005-11-11 23:47:41 | パキスタン的出来事
パキスタンのウルドゥ語とインドのヒンディー語は、音が一緒なので
(使い方が異なる言葉もあるようですが)お互いに会話ができます。
そのような訳で、こちらでCATVに加入すると、お隣インドの映画や
ドラマのオンパレードです。

仕事から帰り、大家パパかママに用事があったので2階(大家一家が上階に、
Bilkulは1階に居住)に行くと今日も当然のようにテレビがついていました。
この一家は、テレビがついてない時がないのでは?と思うぐらい
いつでもテレビがついています。

大家ママは、インドドラマを観ながら「この人達本当にばかよね~」
とかなんとか言いながらも、テレビにかぶりつきです。
確かに「ばかよね~」と言いたくなる程、「そんなわけないじゃん!」
という摩訶不思議な展開なんです、これが。

やたら効果音が多くて、日本のドラマを見慣れているBilkulからしてみれば、
主演女優が視線をずらすだけで音が出るので気になって仕方ありません。
しかし、彼らは効果音などまったく気にもせず、いろんなドラマを毎日観ているようです。

今日はあの「ミリオネア」。インド版があるのです。
元はイギリスですから、もしかしたら日本版よりインド版の方が先の可能性あるかも!?
インドの国民的俳優、アミターブ・バッチャンが司会をしています。
みの○んたさんのように、やたら間を持たせることなく淡々としてます。

インドドラマを観ている最中は、娘(7歳)が話しかけても気づかないぐらい
集中していて「お母さん・・・娘の話ぐらい聞いてあげようよ」と思いますが、
クイズ番組だとパパ、ママ、娘が答えを言い合いながら観ているので
なんだか家族団欒という感じです。

Iqbal Day

2005-11-09 22:07:52 | パキスタン事情
今日はIqbal Day(イクバール・デー)で祝日。
Allama Mohammad Iqbal(1877-1938)は、偉大な詩人・思想家です。
国父Mohammad Ali Jinnah(ムハンマド・アリー・ジナー)も非常に尊敬していたとか。

昨日、勤務先で「Iqbal Dayというのは、彼の誕生日?それとも亡くなった日?」
とローカル・スタッフの同僚に聞いてみると「誕生日じゃないか?」との答えが。

今朝の新聞(上の画像。鮮明でなくてすみません)にも
"Birth Anniversary of Allama Mohammad Iqbal"とはっきり書いてあるのですが、
同じページのプロフィールには1873年2月22日パンジャーブ生まれと書いてある。
どっちやねん???

さて、Iqbalは詩人としてのみならず、政治家としても活躍なさった方です。
現在のパキスタン国家の土台となる「ムスリムのための国家を作ろう」という構想は、
彼が政治家としてムスリム連盟で提唱したとか。

インドの建国の父がM.K. Gandhi(ガンディー)なら、パキスタンの建国の父はJinnahです。
Jinnahは、Quaid-d-Azam(カーイデ・アーザム=偉大なる指導者)と称されるほど
国民から非常に尊敬されていますが、Iqbalの存在なしにはパキスタンという
国家は誕生しなかったのですから、そのお方の誕生日は国民の休日になるわけですね。

やればできるんだからさ・・・

2005-11-07 19:48:54 | パキスタン的出来事
お昼休みから帰ろうと思ったら、大統領がお出かけらしく足止めを食らう。

Bilkul勤務先は大統領府のすぐ近く。
理由も知らされないまま、足止めを食らうこともしばしば。
そんな時は大抵、大統領のお出かけである場合が多いです。

警察側は、バスを1台道路を横切る形でとめて道を封鎖してました。
「大統領公務につき・・・」といった公共の道路を封鎖する説明も、
「みなさんお急ぎの所、ご面倒をかけてすみません」のような
アナウンスも一切なし。

この時ばかりは、誰もクラクションを鳴らさずにおとなしく待ちます。
大統領の時だけでなく、普段の生活でもおとなしく待とうよ・・・