ビルクル・ティーケ!

~パキスタン見聞想録~

"The Mushroom Club"

2006-08-06 21:06:22 | 映画・本&時々音楽
久しぶりの晴天ですやっぱりbilkul晴れ女だ!
よーし洗濯するぞ~と思ったら、使用人としてのズルちゃんも同じ事を考えたらしく、
たまりにたまった大家一家の洗濯物と格闘していました。なんせ6人分。大変だ。
洗濯を終え、広島出身の友達が携わっている原爆関係の催し物へ出かける。

本日8月6日。Bilkulの誕生日。そして広島原爆記念日。
小さい頃から毎年誕生日になると、朝から黒い服を着たたくさんの人がうつむき加減に
お祈りしているのが不思議でならないのと同時に悲しくもありました。
小学校高学年ぐらいになって初めて歴史を勉強し、広島に原爆が投下されたということを知る。
その頃の私はボーーーっとした子供だったのですが(今もだけど)、実はいろいろと問題を
抱えており、高校生、いや大学1年生までかな、割と生きてることが苦痛でした。

そこへきて原爆の話です。
「(私が生まれる○年前にあれだけ亡くなった人達がいるのに)なぜ私が生きているんだろう?」
「私はなんで生まれたんだろう?」
「なんで生まれちゃったんだろう?」
「なんでこんな思いして生きていかなくちゃいけないんだろう?」
などと、かなり後ろ向きに思ってました。

広島出身でもないし、長崎出身でもないけれど、原爆に関しては勝手に何かしらの
思い入れがあるので、昨年に続いて催し物に出かけたのです。
昨年は原爆そのものより、核保有国であるパキスタンでの原爆展に興味があったのですが。

今日の催し物での興味は "The Mushroom Club"というドキュメンタリーでした。
2006年度のアカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品です。
以下、感想をつらつらと。

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【The Mushroom Club】2005年作品
監督/ Steven Okazaki

"The Mushroom Club" とは、胎内被爆した子供達の保護者達によって設立された
いわば犠牲者の会のような会の名前。日本名は「きのこ会」。

戦後、通常の被爆者への身体的影響に関する研究は次々となされたが、
胎内で被曝した子供達への影響はなかなか実証されなかった。
そのため、両親は「遺伝ではないか?」と自分を責め、周囲からの理解を得られずに
通常の被爆者よりもさらに苦渋の日々を過ごしたという。

ドキュメンタリーに登場する被爆者のおばあちゃんが「私は友達を置いて逃げてしまった」
とか「あの混乱の中で人としてしてはいけないことをしてしまった」と自分を責めている。
米国政府の首脳陣、エノラ・ゲイ搭乗員が「戦争を終わらせるために正しいことをした」
と自信満々に発言するのとは真逆の発想だ。
所詮あの惨劇を、地獄絵を目の当たりにしてないから言えるのだろう。

だって、被害者のおばあちゃん達は何もしてない。
原爆投下の瞬間まで普通に生活し、真面目に働いていた市井の一市民。

戦争を始めたのはおばあちゃんじゃない。
戦争をしたかったのはおばあちゃんじゃない。
人を殺したのはおばあちゃんじゃない。
自分を責め、悔い改めるべきはおばあちゃんじゃない。

・・・それなのに、やっぱりおばあちゃんは自分を責めちゃうんだ。
どうして?どうして、被害者であるおばあちゃんが自分を責めなきゃいけないの?
家族や友達のほとんどを亡くし、自分の人生だって他人に勝手に塗り替えられてしまったのに。
おばあちゃんだって後遺症で苦しんでいるかもしれないのに。

今だって、きっとレバノンで同じようなおばあちゃんがいるはずだ。
「自分だけ逃げてしまった」とか「助けを求められたのに何もしてあげられなかった」って、
一生かかっても拭いきれない罪悪感、無力感に苛まれるおばあちゃんが次々
生まれているんだろう。
何もできない(してあげられない)ことって、身を裂くようにつらいことだもの。

催し物から自宅に帰り、2階に行くとちょうど大家パパがレバノン空爆のニュースを観ていた。
2人でニュースを観ながら、大家パパに思わず聞いてしまった。
「異なる宗教が共存するということはそんなに難しいのか?」と。
「日本は他国と国境を接していないし、日本人にとっては宗教が異なるが故に
殺し合いまでしなくてはいけないという状態を想像するのが難しいんだよね」とも。

どうして人は争いをやめられないんだろう?
どうして違う宗教の人と共存できないんだろう?
素朴かつ極めてシンプルな問い。
人はこれを永遠に問い続けなければならないんだろうか?

Bilkulは今はもう生きてるのが苦痛なんて思わないけど、こういうドキュメンタリー
を観ると自分がいかに甘っちょろいかを痛感する。
物理的な痛みや感情は単位にして測ることができないし、他人と比較しても仕方ないこと
なのだけれど、世の中には想像を絶するような凄惨な出来事に遭遇している人達が
たくさんいるってことを忘れてはいけないのだと思う。

想像を絶する出来事はたくさんあるけれど、想像を絶してはいけないんだと日々思う。
想像力をなくしたらオシマイ。いろんな意味で。