松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅44 ウズベキスタン・サマルカンド

2013年02月20日 | 赤道直下と陸路国境148か所

青い空に碧(あおい)タイル・・ウズベキスタン・サマルカンド・レギスタン広場。この広場の前に旧い家屋の食堂がある。孫悟空のモデル三蔵法師もきっと来ていたに違いないと想像しながら・・・いつもここにきて飲んで食っていた。(あー食堂の写真がない・・)

2003年9月6日土曜 あつい あつい 夕立雲だったが雨降らず
昨晩スイカを喰ったあとスイカの皮をもらって塩漬けにして置いた。皮の部分をそぎ落として白いところを塩漬けにする。幼いころからおんぼしゃん(ばぁちゃん)にいつも夏になると漬けてもらって食べていたのでなによりもうまいのだ。青梅の塩漬け、ショウガのしそ梅酢漬け、スイカの皮塩漬けこれがわたしの「なににも勝る」三大好物なのだ。フランス、イタリア料理など目じゃない(くったことがない)・・小さいころくった喰い物が一番うまいのだ。そのスイカの皮をつまみにビールを飲もーさいこう。これで食事代わり。



大きな修理工場で配線を外にむき出している「ちょっとまってくれ」・・理屈はノベルが結局修理できない修理工場

B&Bには入れ替わり立ち替わりはいってきては出ていく・・・この日は日本人とフランス人といっしょに食事

9時過ぎにオートバイのウィンカーがついてないので気になっていた。街に出ていつもの「手」を使った。若い人のところに停めて「ソーリー」「オートバイのウィンカー」を「直す」所を「教えてください」「すみません」と故障しているウィンカーを指さしながら頼んだ。うしろに乗ってもらって修理場を案内してもらった。一軒目ダメ、二軒目主人が外から帰ってくるのを30分ぐらい待っていたが「出来ない」と。

仕方ない若い人の家に戻った。再び街に出て聞く。最初「地図を書いて」くれていたが同じ仲間の人が「おれのマイカー」について来いと修理屋まで引っ張ってくれた。ありがたい。そこの修理工場で修理をはじめているがなんか頼りなく素人っぽい。ウィンカーの線を外にむき出しで引っ張っている。やっぱりダメだ。ここは大きな工場で専門別になっているが修理できない修理工場。

その中に一人「おれが知っている」「メカ」に連れて行くとオートバイの後ろに乗って案内すてくれた・・。500mぐらいの近さにあった。ここは個人の修理場、頼りになる顔つきだ。すぐにとりかかってくれる。オートバイに乗ってきてくれた人は歩いて帰った。すみませんでした。電気回路を示す器具を使って調べている・・ふたりがかりでもかなり手こずっているようす。しかし確実に進んでいる。


ウインカーの修理に大きな工場に行ったが修理できないで個人の修理工で直してもらった

12時頃から17時までかかった30000ソン=3600円ウーン、高けーなーと思ったがしょうがないこんなに時間かけたんだから。帰りにネット屋に寄ってホテルに18時頃着いた。「あれー」ウィンカーがおかしい。うしろのウィンカーがつかなくなっている、どうしてだー。月曜日に直しに行くしかないな。朝ちょっとだけ食べていたのでよかったが腹へっている。きのうから喰いたかった焼き肉・焼鳥屋に足早にいく。

ラムはなかったが三種類三本頼んで生ビール、「こたえられねー」。生ビール3杯。これでまた元気になれる。この旧い二階建て食堂に座っていると空気が違う気がする・・三蔵法師(孫悟空)もここできっと食事したに違いない・・黒光りの天井の高い屋敷を見わたしながら勝手に想像・・いやきっとここにきたに違いない・・いまでも三蔵法師が奥の方に座っているようなそんな気持ちになる。二階には地元の人たちだろうか家族でにぎやかだ。宿に帰り日本人2人、あとの2人はきょう次の旅にでたらしい。3人で10時頃までしゃべる。わたしはビールとスイカの皮だけ食事はなし。


チンチン電車と大学校だろう若い人たちばかり朝から中に入っていく

9月7日日曜 はれ はれ
午前中久しぶりにオートバイの洗車。そのあといつもの食堂へ昼めし。夕方新しい日本人5,6人来る。ひとり旅の女性もここの宿にやってきた・・何か落ち着かない不安な表情だ。無理もなかろう見知らぬ国にひとりだもの。夕食は宿で10時頃まで雑談。レギスタン広場からちょっと下ったあたりは大学があるのだろうか学生がぞろぞろ歩いていて、ネット屋なども何軒か見つけた。

9月8日月曜 はれ はれ はれ40℃
ウィンカーを直しに向う。おととい行ったところだったが途中からわからなくなってしまった。マイカーの人に思い出したものを紙に書いて見せると、その人はわかったらしく、その場所まで引っ張ってくれた。あーここだ。ありがとうございました。ホッとする。12時頃までかかって再修理、今度は大丈夫だろう。夕食のあと日本人5人とフランス人6人で近くのレストランへ繰り出した。ええ結婚式の宴会会場にまぎれこむ?「だいじょうぶ!」「大丈夫だよ」と、まぁ気が引けたけど厚顔はいつものことだ
11時頃宿に戻った。

9月9日火曜 はれ 走っていると涼しい はれ35℃ はれ40℃
再びタシケントに、7時過ぎ宿B&Bを出てM39に出た。ベンジン・スタンドで給油をと入ろうとしたがここもこれまでのスタンドと同じく閉まっている。ここは今まで93オクタンカを入れることが出来た唯一のスタンドだったのに。しょうがないサマルカンドの街中に戻って開いているスタンドを聞きながら探す。あった、ようやく見つけた。76オクタンカを満タンに入れてタシケントに向けて出発。


4人でタクシーで「がらくた市場(大バザール)」へ・・「こんなものまでか」まさにガラクタばかり・・見るだけでも面白い?・・皮のショルダーバックを買った日本人もいた。タクシーで行く程のことはなかった。

タシケントに向かう39号に出た。さっきまで閉まっていたベンジンスタンドがあいているではないか。76オクタンカを入れ続けて来たのでエンジンをかけるとき「グーグー」とかかりにくくなってきた。これは南米でも85オクタンカを入れ続けて来たのと同じだ。セルはバッテリーが上がらないように時間を置いて何回か回すとガラガラと音を出しながらエンジンはかかるようになる。

ウズベキスタンは厚かましい人もいる。ヘルメットを勝手にかぶったり、信号待ちの時でも、走っている最中でもハンドルに触ってスイッチに触れたりする。最初のうちは許していたが走行中に助手席に乗った若い男にハンドルを触られる。その「軽トラック」もう「許せねー」トラックに寄せて「止まれ」「この野郎」怒鳴りつける。そのまま走り去った。途中検問のおまわりも「権限」をいいことに質問中におれのオートバイにまたがって座っている。ふてぶてしい・・

そばで質問を受けていたが・・「ふざけんな」「勝手に乗るな」これは「おれのオートバイだ」「おりろ」と腕をつかみながら日本語で思いっきりどやしつける。乗っていたおまわりははケゲンな顔。質問していたおまわりもビックリしたのか質問をやめて「行ってよい」と「OK」をだした。まったく気分が悪い。チェックポイント(検問所)でパスポートの提示ならそれはそれでいいが人のオートバイにまたがることはないだろう・・許せない。

これまでもオートバイを見るために何回も止められてその上オートバイをさわる図々しさには許しがいものがあったので怒鳴りつけたのだ。タシケントに12時ちょっと前に着いた。前回泊まったハドラホテルに停めて・・昼食。そのあとサマルカンドで聞いた安ホテル2,3$=300円を見つけに走った。駐車場がいまいちだけど安いので泊まる。夕方ネット見て夕食。

暑さもうすらいできた
9月10日水曜 はれ 朝涼しい はれ32℃ はれ32℃
9時にホテルを出る。イラン大使館へビザを最初に取りに行った。30分も待ったがコンピューターの具合が悪いとか午後に来てくれと・・しょうがない。11時15分タジキスタンン大使館前の約束。「ジャパン、マツオ」か・・ヤスナミツアーから頼まれた別のツアー会社の女性が30分遅れてやってきた。きょうは申請だけ受け取りは二日後12日15時~17時、45$支払う。


ひとり旅の日本人女性・・宿には日本人女性二人サマルカンドからタシケントに移動してきた

12時40分に再びイラン大使館に向かいパスポートを預ける。15時以降に来てくれと。いったんホテルに戻り昼食ビール3杯焼き鳥を喰ってシャワーを浴びていたらもう3時に近い・ヤスナミ社員と出かける。社員の仕事?どこかのオフィス?に立ち寄ってイラン大使館へ。やっと「ビザ」を受けとれた。3カ月のうち30日。30日以内にイランに入れば3カ月有効とゆうことか。まぁ「ビザ」があればこれでよし。

ホテルに戻り93オクタンカのベンジンを探しに走る。ここらあたりに93オクタンカはないと2軒目も言う。しかしエンジンの「ガラガラ音」をなくすのに「オクタン液」があると進めてくれた。その液は少し入れるとエンジンがかかりやすくなると話す。400ソン=350円買い入れてみる。一本を三回に分けて入れるようにと説明してくれた。日本のオロナミンより一回り大きい瓶である・・透明のペットポトルに入れ替えてくれた。

一回分の分量がわかりやいように気配りをしてくれたのだ。わかりやすくてこりゃーいい。きのうあたりから朝方涼しすぎるぐらい寒くなってきた。夕方もだいぶしのぎやすくなって楽になったし夜も7時になると暗くなる。それにしても9日には戻ってくると言ってたはずなのに10日になっても永原さん夫婦は戻ってない。二人ともお互いにホテルの居場所がわからないのかな。

みどりさんが3日先に出て次の日4日に弘行さんは出て行った。どこに行ったのか。まぁ9日に帰ってくると言ってたからあまり心配はしてなかったけど夜になってもオートバイの姿がない。それとトルクメニスタン「ビザ」も心配になってきたなー。


ウインカーの修理を頼んだ修理工場・・こんなにいっぱい働いていたんだ・・


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