松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

オートバイひとり旅・シベリア横断~モスクワ~中央アジアの旅43 ウズベキスタン・サマルカンド

2013年02月12日 | 赤道直下と陸路国境148か所

オートバイの後ろのタイヤカバーが割れてしまっていた・・食堂の親父さんに教えてもらい修理屋で直してもらった・・「お金はいらない」と。すみません、ありがとうがざいました。

2003年9月1日月曜 朝から暑い はれ 暑い はれ
それにしても暑い日が続いている。いつもこんなに暑いのだろうか。きょう祝日になっている。「なんの日」なんだろう?。あさきょうは東に向かって散歩一時間4キロぐらい歩いて戻る。こっちは本通りになっていてにぎやかな雰囲気。午後ネットを見て17時ごろ郵便局の場所を確かめるためオートバイで走ってみた。一本道と聞いていたがきょうは「独立記念日」で通行止めになっている。聞きながら迂回して郵便局はわかった。晩飯は永原さん夫婦といつもとは違う食堂で食べる。10時に寝る。

9月2日火曜 はれ はれ38℃ あつい あつい はれ
9時にイラン大使館にビザ申請。永原夫婦、ヤスミナツアー社のウーミンさんとタクシーで向かう。「女性はスカーフをかぶった写真」がないと「ダメ」と・・。みどりさんはちゃんと用意していたので「よかった」と言っていた、さすがだな。ビザ発給は9月9日か10日になるとゆう。ビザ代50$=6000円を持ってきていなかったので永原さんに借りた。わたしはアフガニスタンビザを取りに行くため二人とは別れる。

アフガニスタン「ビザ」は一時間ぐらいで出来上がるとのこと、お金を取りに一旦ホテルに戻る。再び午後1時にオートバイにユーミンさんを乗せて向う。アフガニスタンビザ3カ月7$=840円を支払う。次はグルジア大使館へ、「ジョージア」とここでは発音している。普通の民家みたいな大使館。庭の狭い通路の木の扉を開けて入る。発給は9月12日。次はアゼルバイジャンへ17時閉まる10分前に着く。

なんと10分ぐらいで即受け取ることが出来た50$6000円。アフガニスタン、グルジア(ジョージア)はパッパッとすませてもらえていいなー。途中中央銀行でT/Cトラベルチェックを両替しようとしたが「何とか書類」をと言われて・・・30分も待っていたのにだめだった。ヤスナミツアーのユーミンさんに50$借りた。ホテルに18時についた。永原さん達は遅くなりそうだ、腹へったので7時半晩飯一人で行く。

9月3日水曜 はれ はれ あつい40℃ あつい40℃
朝9時に「インド」「パキスタン」の「ビザ」を取りに行く。オートバイの後ろにきのうと同じヤスミナツアーユーミンさんを乗せていく。あっちこっち聞いたインド大使館に着いた。ポスタ(郵便局)の前にあった。書類を書き終わって出したら「イラン」でとれと言う。なんで書く前にいわないんだよ。しょうがない次はパキスタン大使館へ。11時受付受け取りが午後16時~17時に取りに来るようにここは親切だったなー。

4時過ぎに再びパキスタン大使館へ「ビザ」代は「ただ」無料だった上にパンフまでくれた。ありがたい。ホテルに戻ってオートバイの後ろのカバーが外れそうになっている。いつも通っている食堂のおやじさんに聞いたら「知っている修理工場」があると話す。「ついて来てくれると言う」ありがとう。右に曲がる時は「右肩」左に曲がる時は「左肩」をたたくように話してその食堂のおやじさんをうしろに乗せて修理工場へ。

溶接と金具でがっちり留めてくれた。一時間ぐらいで終わった。修理代は「いくら」「ツーリスト」だから「いらない」と受け取らなかった。すみません。食堂のおやじさんありがとう。


道端・路上いま最盛期の「スイカ」売りがあっちこっち

9月4日木曜 はれ はれ朝10時30℃ はれ35℃ はれ あつい
きのう午後から永原さん夫婦のバイク一台がない。みどりさん一人出かけたらしいことを玄関の見張りの人から聞いた。サマルカンド?そうだサマルカンド。そう言えばきのう夜10時頃これからサマルカンドに行くと永原さんが話していた。もう遅いから「あす早く出るようにしたら」と話したら、そうするようにみどりさんに話してみると弘行さんは言ってたけな・・。

いつもいっしょだからどんなに仲が良くてもケンカになる。わたしもなんでも話せる仲間と山登りに何回か行った。きつくなって疲れが出てくると「相手の欠点」ばかりが目について、最後は話しもしなくなってくることを経験したことがある。たかが3日4日の山登りでだ。隣りの永原さんの部屋にいって「どうしたのみどりさん」と聞けばよかったけど、まぁ二人のことだからそのままにした。夜9時頃部屋をノックしたが永原さんは外出していなかった。(ここまではきのうのこと)。

けさがた9時過ぎみどりさんがノックしてきた。「どうしたの・・」「弘行さんがいない」「どこにいったのか」知りませんか「いつ出ていった」か知りませんかと目に涙。いや―まったくわからなかった。どこに行くのかも夕べ聞いてもなかったから。弘行さんのこと玄関の見張りの人は「朝5時頃出ていった」とわかった。おそらくみどりさんがいなくなった心配で夜も寝ないで出て行ったんじゃないの。

きのうみどりさんは一人でいったん出ていったが、タシケント市内のホテルに泊まったらしく朝早く戻ればいっしょに出かけられると思ってもどってきたと話す「さてどうするかな」とみどりさん。そんな心配するんだったら出ていかなきゃよかったのに・・「わたしはいったん北の湖に行くとは出ていったので」・・「弘行さんきっと北の方へ追っかけていき」・・サマルカンドに行くかもと・・みどりさん9時半頃再び出ていった。わたしは郵便局にハガキを出しにオートバイで出かける。


これはたしか「イラン大使館」にビザを取りに行った時のもの・・地元の子供が興味ありそう顔で集まってきた

「ハガキ」はそのまま裸じゃダメ??「エエーッ」「封筒」に入れなきゃだめらしい。ふーん、どうしてだろう。その場で封筒を買って「あて名書き」せっかく時間かけて書き終わったのにまた47枚分書くのかよ―。あー面倒このうえない。国が変わればハガキもかわる。もう忍耐がいるなー。トータル1000円ぐらい。日本まで郵送料210ソン=25円ぐらいかな。

一時間半かかって封筒に住所を書き終える。あーこれでひと仕事、やらなけれならない面倒なことが終わってホッとする。昼飯はいつものところでビール。そのあとトコヤさん1000ソン=120円だった。夕方方向指示器を補強するために出かける、走りだして修理屋Abotをすぐに見つけた。わたしの考えていた「ゴム」で固定するように頼んだ。「OK」タイヤの切れ端を切ってゴムのりでくっつけて終わり120円。
あしたはサマルカンドに出かけることにする。


サマルカンドに向かう途中チェックポイントが2,3回あった・・。ここはちょこっとカザフスタンをかすめるところの「国境」、ビザなしでOK。チェックポイント

孫悟空のモデル玄奨(げんじょう)三蔵法師も寄ったサマルカンド
9月5日金曜 朝涼しい 28℃ 35℃
朝7時10分ホテル「ハドラHadra」を出る。きょうは一路サマルカンドへ。ホテル前の道をUターンしたら一本道でサマルカンドに向かうと聞いていた。なるほどわかりやすい一本道はづーっと続いていた。「エ―またかよ」と言う程検問所がひんぱんに出てくる。そのうちのひとつ「カザフスタン」を通過する場所があった。パスポートを見せるだけで「O K」通過出来た。道路は普通で心配することはない。

約300キロ走ってサマルカンドの市内に着いた。約5時間かかって12時前。ラッキー珍しくあいているガススタンドは市内の入り口にあった。満タンに入れる。(タシケントにもどるときはロープを張って閉まっていた)
世界遺産?写真で見たことはあるモスクの入り口で写真を撮っていると進入禁止の「柵をこしらえてある」ある。その中を通っていいとお巡りさんが言う。人だかりになってきた皆さんといっしょに記念写真を撮ったりした。「ホテル・オテル」と聞いていたら赤ら顔の男の人がこの近くに7$=840円で宿があると近寄ってきた。


サマルカンドに着いたばかり・・地元の人たちに囲まれる


宿の人に誘われて・狭い路地を入っていく。右のドアーが宿の入り口.「ホテル」とゆうか「宿屋」と言った方がぴったり・・・のB&B。


最初は警戒した宿のオーナーさん・・時がたてば「神父さん」のようで自分を見すかされているような心の持ち主だった・・顔はミスタービーンさんに似ていたな、となりは奥さん。

最初は酔っているような人でイヤだなーと思ったが安いのでついて行った。早歩きで案内していく・・今度は狭い道に入って土塀の家が続くなか着いたところはB&Bの民宿であった。土塀の家の中はコロニーになっていてわたしの望む雰囲気である、ここに泊まることに決めた。日本人も何人か泊まっていると主人は話す。オートバイを中庭に入れる。10$の部屋を7$と言ったじゃないとしぶしぶOKさせた。

すぐにビールを頼み近くのレストランへ。すぐちかくにレストランはあったがなんとなくわたしの感じでは「まずそう」なレストラン。ちょっと離れたところには旧い木造の二階建歴史を感じるレストランがあった。よしここはいい感じだ。入口には大きな鍋が3,4個かけられている。何を煮込んでいるのか。その隣りは焼き鳥をやっている。心臓、ラムを注文、その隣りは生ビール、350ソン=40円はうまい。

日本の焼き鳥よりづーっとうまいな。こりゃー最高。広い店内はテーブル、二階もある。ここだったら長居したい場所だな。旅の本で読んだサマルカンドは「シルクロードの十字路、歴史の町」「交易の街」だったと。首都タシケントに比べても引きしまったように感じるサマルカンド。いままで使っていた世界地図をどこかの国で失くしたので今回新たに日本で買ってきた冊子「歴史を旅する世界地図」でなんとなく身近に感じるサマルカンド。

この地図は「歴史」「シルクロード」「仏教」「三蔵法師」のことも載っているので興味も出て来た。若い日本人男女4人といっしょにしゃべりながら晩飯は民宿で。


サマルカンド・孫悟空のモデルといわれる三蔵法師もインドに行くとき寄ったとされる。