松尾清晴オートバイ夢ひとり旅・世界走行中・5年10ヶ月・102ヶ国(訪問111カ国)・28万km走破・総集編

2000年10月~2008年11月まで5年10ヶ月・102カ国(訪問111カ国)1500ccで28万km走破

2月12日 日本が生んだ世界の「野口英世」

2008年02月14日 | ガーナ




野口英世の胸像は大きい病院の広い敷地の一角
日本庭園に建っていた。上 下

2008年2月12日火曜 どんよりのはれ
野口英世細菌学者の胸像のある病院まで行っ
てみた。当時はアクラの中心だったようだが今
は市内のはずれになるのだろう。タクシーで20
分ぐらいで着いた(400円)。

大きな病院の一角に柵に囲まれた、小さい日本
庭園に野口英世の胸像は建っていた。1876年明
治7年福島会津若松生まれ、1928年昭和3年黄熱
病研究中感染して、54歳の時ここガーナアクラ
で亡くなられている。

いくつの時アフリカに渡られたのか、飛行機だっ
たのだろうか船だったのだろうかわからないが
黄熱病の研究とは言え一人で、見知らぬ土地へ
の恐怖心はなかったのだろうか、おそらくあった
だろうと思う。

今とは違い当時の情報などほとんどなかっただ
ろうし、大変な思いをされての旅だったに違
いない。小学校の頃「野口英世物語」の映画を
見たことはあるが、内容は会津若松の実家と母
親のことぐらいしか残ってない。

今でも大事に保存されている胸像「野口英世」は
太陽に照らされて、黄熱病研究功績と同じように
自信に満ちた顔はきらきら光り輝いていた。やっ
ぱりすごい人がいるもんだ。


アクラに咲く花

余談。
胸像のとなりの研究室で胸像を見るのに30セデ
ィ=300円(わたしのホテル代3日分)のお金が必
要と言われる。それにレターはあるかなど聞か
れる。ガイドブックには「ノーマネー」と書いて
あると話す。

そんな大金だったら帰ると「出て行く」しぐさをし
たら「今日はいい」と言い出して「あしたは金がい
る」と「何のこと」だかわからなかったが、野口博
士の残した研究室の資料の見学だったのかもしれな
い。

胸像は病院の中庭にあるので、自由に見学できる
場所にある。私はたまたま通りかかった人に隣の
研究室を案内されただけ。もう遅いが、今考える
と大事に保存してくれているので感謝の気持ち
を考えると少しのお金を置いてくるべきだったの
かなー、反省。


パイナップル一個50円甘くてうまかった
野菜の代わりに時には食わないとね。

2月10、11日 ガーナの日本大使館

2008年02月14日 | ガーナ

ガーナのおんなの子がとうもろこしを挽きにきていた。


ポリタンクを売って歩く人

2008年2月10日日曜 どんよりのはれ
朝10時過ぎネット屋に入る前に「フーフー」食堂を覗
いてみようとしたら「土曜、日曜」は休みと入り口で
木工の作業をしている人がおしえてくれた。アーそ
うなんだー、残念だなー。

ネットを一時間やって、屋台でぶっかけご飯を買って
(100円)ホテルに戻る。ホテルのビールは黒ビール
しか「残って」ないとスタッフの話。しょうがないなー
ま、冷えてるから我慢しよう。

ガーナ、アクラのスタジアムで行われていた、アフリ
カのサッカー予選決勝はエジプトが勝って優勝した
ようだ。


トレーニングをかねて日本大使館に行ってみた
林の中に立っていて静か過ぎてこわいようだった。

2008年2月11日月曜 どんよりのはれ
トレーニングを兼ねて朝7時半日本大使館へ向う。
ガイドブックを片手に歩く、あっちこっちと新しくた
っているビルは銀行だ。何回か途中訪ねながら9時
ちょっと前に日本大使館に着いた。周りは緑に囲ま
れて静かなところだ。

一時間ちょっとかかったことになる。途中パイナッ
プル一本50円を水の変わりに買ってビニール袋
に入れもらい歩きながら食べて来た。9時開館と
同時に大使館に入る。わたしのほかに現地の人二
人も入った。

館内に入る前オートバイにまたがっている地元
の人を見つけた。日本から「レンタルバイク」があ
るかどうか頼まれていたので、彼に「レンタルバ
イク」の店が「あるかどうか」聞いていたら大使
館の女性が館内から出て来た。大使館専用のガ
ソリンタンクからオートバイに給油している。

館内に入る、さっきの女性に「アクラ市内」の地図
があるかどうか訪ねたら「コピー」したものを渡し
てくれた。また、レンタルバイクのことはあとで「
連絡」すると話してくれる。オートバイの人は現地
採用の人だったようだ。

これまで日本大使館にはあまり行きたくなくな
っていた。ある国で英語が話せないので「あるこ
と」を「頼みに」大使館に行ったら、そんなこと
「自分でやることでしょう」と女性館員に「冷たく
」あしらわれたことがある。言われてみればその通
りのことだが自分で出来ないから相談に行ったの
だ。

現地で親切にしてもらって、居心地のよかった「
その国」で日本人の「冷たさ」を感じた出来事だ
ったからよけに「イヤに」なっていた.その国の
人たちのやさしさを「あんたは」肌で感じ取って
「ないのか」のどまで「でかかった」がやめた。

それいらい大使館には近寄らないないようにし
ている。今回はオートバイの引き取りの場所を
調べておかなければならないので寄った。ここ
の館員は穏やかに対応してくれてありがたかっ
た。

帰りはニバスに乗って帰るはずが、目的地を
告げて乗ったのだが途中で降ろされてしまった。
「どうすんだー」通り行く人に「アタブラカ」と
聞きながら歩くと10分ぐらいで、いつもの見慣
れた道に出てほっとする。


この中にトマト、お菓子などを売ってる露天のお店。

2月8,9日 ガーナでの過ごし方 3

2008年02月10日 | ガーナ

ホテルのとなりにある小学校朝早くから子供の声がこだまする。
こどものワイワイガヤガヤは元気をもらえる。


学校帰りのこどもたち

2008年2月8日金曜 どんよりのはれ
ガーナ、アクラに来てから10日間すぎて、だいぶ落
ちついてきた。朝7時半ごろベッドから起きる。カー
テンがないから窓の明るさに起こされてしまう。
水圧が弱いとかで朝は水が出ない、夜のうちにバ
ケツに汲み置きした水で顔を洗う。

朝の温度は22,23℃ぐらい、一番暑い昼の3時ごろ
で30℃ぐらいではなかろうか、温度計はオートバ
イにつけてるのでわからない。パソコンに写真、日
記を書き込んでネット屋へ。だいたい9時過ぎにネ
ット屋に通う。午前中2時間ぐらいネット屋で過ごし
て隣の食堂でビールと餅のいとこ「フーフーFu-
Fu-」を食べている。

ホテルに帰りさっさっさーと洗濯、昼寝、午後2時
か3時ごろ再びネット屋へ、わたしは遅いので書
き込みは結構時間がかかる。残りの書き込みや、
Eメールを送ったりして過ごす。ネット屋は前の所
も、今いるここも冷房がついている。

前のネット屋は6台だった、ここは10台、コネクト
できるのはコードがひとつしかないようだ。前
のネット屋は一時間100円だったがここは60円
と安いので大助かりだ。

街や食堂、ネット屋で声をかけてくる。「あんた、
なんてしゃべをっとね」「いっちょんわからんばい
」標準語を使っても同じなので佐賀、嬉野弁で話
す。だいたいしぐさでお互いにわかるのです。そ
して最後はお互い「笑って」おしまいになる。


ガーナの親子づれ

言われてみればほとんど日本語だけで過ごしてい
る。買い物も「そいば くんしゃい(それをください)
」と指さして「いくらねー」と値段を聞いてことは
すみますねー。また、美容院がここにもあすこにも
と、とにかく多いです。どこの国も美しくありたいの
は同じですねー。

こっちの人たちは自分の着る服はオリジナルなの
か、それこそあっちにも、こっちにも2,3歩歩けば
ミシンを使っての仕立て屋さんが目につきますね
ー。破けていたレザーのジャンバーを直してもらっ
たり(200円)Tシャツのほころびを直して(60円)
もらったりしている。

話は通じないけど直してもらっている間も、イスを出
してもらって座り、何かしら日本語でしゃべって通じて
ますねー。今はオートバイに乗ってないから、毎日同
じサイクルで余裕のある日々ですが、オートバイで走
り出したらこうゆうわけにはいきません。

今まで自炊でたまねぎとトマトを切ってつまみにし
ていたんだけど、それを出来る場所がないのと、
ガーナのトマトは元気がないので喰う気にならない
6時近くなってから晩飯の用意、レストラン、スパゲテ
ィ(400円)を喰ったり、ほとんど屋台のカレーご飯。

街角で串焼き、ソーセージを焼いている、これが意外
と高い一本づつ二本で100円をビールのつまみにし
ている。ビール大瓶120円×2本。晩飯食い終わって
だいたい8時半。水シャワーを浴びて9時前にはベット
にはいり、夜中2時ごろに天井のファンを停めにおき
る。ホテル一泊1000円昼、夜二回で1000円ぐら
いかな。なんだかんだ入れて一日3000円だろうか。

南アフリカでは日本人と会ったがガーナに来てから
一人も会ってない。西アフリカは来にくいのだろう。
ま、パソコンがあるから退屈もしないで過ごせるの
かもしれないとつくづく思う。ほんとに便利でいい
なー。

2008年2月9日土曜 どんよりしたはれ
ホテルのとなりは小学校、朝早くから子供たちの
ワイワイガヤガヤ元気な声が聞こえる。希望ある
未来に向って生きていくって感じのするはしゃぎ
はいっこうに気にならない。イヤかえって元気を
もらえるような気がする。

街の横断信号のメロディーは「あーかい はーなの
さーくはなー いーつかのーあーのいえー、、、、、、
いーつかのーむぅかしー」これって日本の歌ではな
いのかな、この歌のいきさつなど知りたいものだ。
もしかしたら黄熱病研究の野口英世の影響かもしれ
ないなー。


市内の商店街

2月7日 ガーナでの過ごし方 2

2008年02月10日 | ガーナ



あっちこっちにある仕立て屋さん(上、下)

2008年2月7日木曜 どんよりはれ
フーフーをいつも喰ってる食堂で、どうも高いな
ーと思ってオーナーのおかみに話をしたら口の達
者な女の子がいつもの値段より高く請求してい
たのだった。今日その女の子は会計からはずされ
ていた。でも実際はいくらの料金なのかわかって
いない。

ガーナ、アクラに来て10日間すぎた。市内の様子
がようやくわかり始めてきた。高層ビルが立ち並
ぶ中心街はなくて、家は平屋か二階建ての昔の
建物がほとんどだ。高層ビルはポツンポツンとあ
るだけ。

商店街はきれいなウインドウを取り付けた店はご
くわずかで、日本の田舎の小さい雑貨屋が軒を並
べていると言った感じである。ある通りでは美容
院だけで半分以上占めているような商店街もあ
る。きれいでありたい「おしゃれ」の気持ちは、どこ
の国でも同じなんだー。


アクラ市内の商店街

市内を走るライトバンのミニバスにも乗れるよう
になった、一区間=20円。そういえばガーナの通
貨は1対1=1セデェ=10円と計算しやすいので助
かっている。ビール1,2C=120円。カレーらいす1C
=100円。

ケープタウンから送ったオートバイの到着先の会
社、住所、電話などまだ連絡が来てないので、ケ
ープタウンの会社に問い合わせのメールを送った。
パソコンの「翻訳」、日本語を英語に転換し、コピー
したものを送った。パソコンは「翻訳」してくれる
のでほんと助かるなー。

ガーナの人の賃金は一ヶ月5000円から15000
円ぐらいと情報ノートに書いてあった、3年前のこと。
今は違ってるかもしれない。


商店街でも露天みたいな店が出ている

2月6日 ガーナでの過ごし方 1

2008年02月10日 | ガーナ

どこのホテルも掃除はこのホウキで。


まだまだ活躍中のリヤカー

2008年2月6日水曜 どんよりはれ
きのうは新しく見つけた安食堂で「フーフー」を食
べた。ぺったんこ、ぺったんこと響きのいい音を聞
きながら出来立てのフーフーはうまかった。茶碗大
の量300円と意外と高い。

魚のスープや肉のスープの中に入れて「手」でま
ぶしながら口の中へ運びます。カレーライス(100
円)もそうですが、インド風といったほうがわかり
やすいかな。今度写真に撮らなくてなりませんね。
ビール二本飲んで全部で約600円ぐらい。


焼きバナナはいかが、まだ食ったことはないが
うまいのだろうなー。いつか試してみたい。

づーッと続いていた下痢がおさまったようです。
何が原因だったのかわかりません。もしかしたら
マラリアにやられたかなと一時不安になりました
が、食欲も戻ってきたのでホッとしています。

ここガーナに来てからATMで4回目お金を下ろす。
8日間で約3万円もつかったんだなー、何しろホテ
ル代が今まで1600円と高かった。食事は一日2回
で1200円ぐらい使っている。

南アフリカではほとんど自炊してきた。たまねぎ・
トマトそれにステーキ、ステーキのない国ではニワ
トリのブロイラー、、毎日毎回まったく同じパターン
で過ごしてきた。ガーナでは自炊するホテルがな
い、ゆうより食堂で食べた方が安いし、うまい。

食堂と言うより屋台の店がポツン、ポツンと並ん
でいるので好みの屋台を見つけてそこで食べて
いる。ビニール袋にぶち込んで持ち帰りも出来る
ので安上がりで助かっている。


とうもろこしを砕く工場。砕いたものを熱湯で
練ってたべる。お米を砕いたものもあり、どちらも
「うがり」とよんでると。思う

2月5日 ガーナ 首都アクラのホテルはいくら

2008年02月07日 | ガーナ

つきたての「フーフー」これで一人前300円取られたが地元人の話では
200円らしい、ぼられたんだろうか。


つきたてのフーフーを魚スープか肉スープにまぶして地元の
人は右手でちぎってたべていた。とうがらしの辛味もうまい。

2008年2月5日火曜 どんよりはれ

南アフリカでは床屋さん、オートバイ屋など個人の
店など商店街も朝9時から夕方5時まで、土曜は半
日、日曜はすべて休み。会社は土曜日曜休み(もっ
とも24時間営業のセブンイレブン、ペトロールス
タンドもあるが)。

以前アフリカが屈辱的な扱いを受けた奴隷制度。今
は日本などは「フルタイム」で働く人たちは不満を
言うと「やめさせ」られる「見えない鎖」につなが
れて、本人は自覚してるのか、してなくてもいまや
奴隷状態ではないのかなーとも思う。

南アフリカで現地採用された大手メーカーに勤めて
いる日本人は勤務時間は守られているので「自分の
ことが計画できて」「働きやすい」と気持ちにも余
裕のある顔で話してくれた。当たり前のことが日本
では出来てないんですよねー。(以上わたしの独り
言でした)

NHK「地球アゴラ」の担当者から出演の時はスカ
イプを使って電話での出演になる。その時にカメラ
を使うのでパソコンに取り付ける「カメラ」を買い
に行った。

「地球アゴラ」から送るより、出来れば現地で買っ
てもらった方が安く上がるだろうと頼まれていた。
ネット屋のお兄ちゃんと電気店に行く、5種類の中
から一番最新のカメラ200円まけてもらい200
0円で買った。

ネット屋で設定してもらいテストで自分の顔を見て
笑ってしまった。しわだらけの顔が映っている。も
ーう少しどうにかならないか。しかしカメラは正直
だからなー、カメラに文句言ってもしょうがないけ
どねー。とゆことでカメラを使っての会話が出来る
ようになりました。


1600円のホテルから1000円のホテルに変わった。

7,8軒ホテルを見て回ったがほとんど1500円から1万
円と高かった。800円(一軒だけ)が一番安かったが
づーと先まで予約でダメだった。ここは二番目に安かっ
た。狭い独房のようだが寝るだけだからしょうがない。

トイレ、シャワーも部屋にある、水圧が低くて朝は水が
出なくてバケツで顔洗う。ガーナのホテルはドミトリー
(相部屋)はなくて、シングルの部屋は少なくダブルの
部屋が多いのでカップルは助かる。

ほとんど水シャワーのホテルだが2500円以上だとクーラ
つきの部屋に泊まれる。長期の泊まりは安くしてくれる
ホテルもあった。




2月1,2、3、4日 アフリカ ガーナからの生中継終わる

2008年02月05日 | ガーナ

よくはわからないが「ごはん?もち米」を「突いて」餅にしたものを
「フーフー」とゆう食べ物。初日に汁をつけて喰ったがうまかった。
日本の餅にそっくりだけど原料はもちごめなんだろうかな?
誰かおしえて。

2008年2月1日金曜 どんよりしたはれ
NHKに放送時間に合わせてテストの電話を入れて
もらうようにメールで頼んでいた。その9時過ぎに
NHKから電話が入って打ち合わせることが出来て
お互いにホッとした。

また、午前中に電話を入れてもらうようにメールを
入れていた、NHK「地球アゴラ」からも担当者か
ら電話が入った。こちらの方は月に2回日曜、4月
から3回海外在住者を中心にスカイプを通じての
「放送」らしい。私の場合は海外旅行者として3月
ごろ出演を考えているとの話だった。


どことなく日本の屋根ににてるなーと思う。こんな屋根が多い。
ガーナ アクラ市内


2008年2月2日土曜 どんより はれ
ガーナにきてから腹具合が悪くてづーッと「たい
かぶって(下痢して)」いる。何が原因だろうかなー。
屋台の飯かも、あるいは水あたりかも?今日は近く
のレストラで食べたいもの、スパゲテェを食った。
400円とチト高い、でも背は腹に変えられぬ?
久しぶりのスパゲテェは味もよかったしうまかった。


2008年2月3日日曜 どんよりのはれ
NHK「地球ラジオ」「旅でござんす」生中継、
9時過ぎにテストの電話、本番前に再び電話が入り
前の放送を聴きながら「本番」にはいる。日本では
雪との話にびっくり、どうにか5分間の放送が終わ
った。

少し佐賀弁でしゃべったので他の人たちには「聴き
づらかった」かもしれないなーとも思う。少し緊張
していた。ま、生放送が終わってホッとした。これ
で次の生中継の放送は3,4ヶ月は回ってこないだ
ろう。

アフリカ予選、ガーナ対ナイジェリアのサッカー試
合の中継、街のテレビの前にはどこも満員の人だか
り。2対1でガーナの勝ち。終わった瞬間からレス
トランでは大喜び、マイカーなどはクラクション、
笛などの大音響、路上では夜遅くまで大騒ぎが続い
た。


2008年2月4日月曜 どんよよりのはれ
きのうはNHKラジオを聴いていただきありがとう
ございました。意外な方面からも掲示板に書き込
みがありうれしかったです。

安いホテルはないかと、2,3日歩き回った。今より
500円安い1100円を見つけたので午前中に移
った。安いレストラン、ネット屋も近いところ。ホ
テル、インゴット?Hotel Ingot。

なぜか朝から車の渋滞が続いている。何が原因な
のだろうか。

1月30,31日 ガーナの初日

2008年02月02日 | ガーナ

ガーナの子供たち アクラ市内


近くの商店街


近くの商店街 ここは美容院


昼も夜もいつも混んでる商売繁盛の食堂
味もよしぶっけけカレー飯 100円

2008年1月30日水曜 はれ
ガイドブックを持って散歩がてら町を探ろう、ネットカ
フェも探さなければならない。すぐ近くにホテルが
あった「値段だけ」聞いてみよう。「20$」とやっぱり
高い。ついでにネットカフェを訪ねると隣に併設して
あった。

自分のパソコンに「コネクト」できるか「OK」。こんなに
早くネット屋が見つかりラッキーだ。ここは6台ぐらい
並んでいる。きのうはバークレイ銀行でお金が下りるこ
とはわかった。今日は別の銀行で試してみるとここでも
シティカードで下りることがわかり安心した。

なぜか腹が減ったので12時前に昼飯を済ませる。ビ
ールはビン代を取られ、戻すとお金も戻ってくるシス
テムだ。ビール大瓶=100円 たまねぎ中一個=10
円 トマト小10円

朝6時半ごろ明るくなって夜も6時半ごろ暗くなる。
このホテルは顔を洗う洗面器がついてない。シャワ
室の蛇口からバケツに流しながら洗う。めずらしい
ホテルだでも不便だな。

朝見つけたネットカフェに午後行ってつないでもらう
「うまくつながるか」オーうまくいった。これで大丈
夫だ、これで不安がひとつ解消した。5時間もかかっ
てブログやメールを終わらせた。1時間=1$=
100円


サッカー応援のためガーナの三色国旗をつけて
走り回る自動車、バイク、タクシー

ガーナについてから赤、黄色、緑の三色旗の国旗の旗
をマイカーや自動車、オートバイにつけて走っている
のが目立つ。アフリカの予選にガーナが出場している
のでその応援旗をつけて走り回っているのだろう。

2008年1月31日木曜 ぼやっとしたはれ
寝苦しいほどではないが天井についている扇風機を
寝るとき一番弱いのにして朝方停める。昼間は30度
になってるかどうか、あまり暑くはない。

2月17日佐賀ふるさと「吉田中学校」の同級会がある。
その出席者の名前を送ってもらった。全部で40人の
出席者の中には、もう45年間も会ってない同級生の
名前もあった。(卒業生は120人)変わってるだろうか、
そのままだろうかなー。

自慢話になるので、いやみにとられるかも知れない
けれど「NHK地球ラジオ」の出演、2月3日の生中継の
ことも同級生に伝えてもらうように頼んだ。また、二
次会の場所へガーナから電話するかも知れないとメ
ールで伝える。

まだ正式に決まったわけではないがNHKBS1「地球
アゴラ」とゆう番組から出演依頼が来ている。今打
ち合わせ中。日曜21時から22時までのテレビ放送ら
しい。わたしは見たことはない、もっともうちはBSは
見れないんだー。


アクラ市内


ホテル前の通り

1月28、29日ケープタウンよさようなら、ガーナよ こんにちは

2008年02月02日 | ガーナ

泊まってるホテル 1500円

ホテルの部屋 洗面所に洗面器がついてない



街の屋台食堂 ご飯がうまい ぶっかけめしカレー100円

2008年1月28日月曜 はれ
土曜日にガーナまでのチケットはネットが混んで
発券できなかったので朝取りに行く。9時に開店と
同時にチケットを受け取る。もたもたしてたら今日
ガーナへ飛べないかもと心配したが大丈夫だった。

宿を16時にタクシー空港に向う。ケープタウン19時
発~ヨハネスブルグ~ケニア~ガーナ。二回も乗
り換えになる。物騒と聞いていたヨハネスブルグに
夜21時到着「大丈夫」かいなと心配したが50
0mぐらい歩いた所に国際航空のロビーについた。

ヨハネスブルグで4時間、ケニア空港で6時間の待
ち合わせ時間。うーん疲れるなー。ケニア空港では
ロビーの隅のタイルの上でそのまま横になって時
間を過ごす。喫茶店のコーヒーの香りが漂ってくる
が飲むのを我慢する。

2008年1月29日火曜 はれ
ケニア航空は6列の座席になっていた。いつものよ
うにカウンターに早く行って一番後ろの窓際を取る
飛行機の絵を書いて、窓を書いて一番うしろのシー
トを指定する。今回も同じように飛行機からの眺め
がいい一番後ろを取った。

機内テレビは赤道に沿って飛行すると説明している
ようだ。ビクトリア湖の上を通りまっすぐガーナまで
飛んで17時前にガーナに着いた。ガーナの首都アク
ラAccraはカスミがかかっているようなどんよりした
町に見える。

入国手続きの終わりに「US20$」と係官、うんワイロ
要求か「ノーマネー」じゃ「カムバック」と係官。そのま
まパスポートを受け取り「ありがとう」としらばっくれ
る。その後係官は何「言わない」ので荷物を受け取り
出口でタクシーに乗りアクラ市内のホテルへ向う。

US20$はワイロ要求ではなくて空港税ではなかった
のか、宿についてからガイドブックでわかった。3軒目
でようやく泊まれるホテルに着いた。どこも20$以上
と宿代が高い。泊まることにしたクラウン、プリンスホ
テルは15セディ=やく15$=1600円ぐらいだろう。

着いたばかりで通貨を換算できないでいる。ガイドブ
ックにある隣のホテルは更地で空き地になっている。
どこかへ移ったのだろうかな。周りのうちは何か日本
風の屋根みたいな感じで親しみがわきそうだ。市内は
なにか、ごみごみした感じだ。

泊まっているホテルの位置や、どこが中心街なのか
まだつかめていない。近くには屋台が並んでいる。
うがり(餅のようなやわらかく練ったもの)や普通の
ご飯にカレーをかけて売っている。晩飯はうがりとカ
レーをビニール袋(約100円)に入れてもらいホテル
で食べた。

ガーナの人たち 石鹸を売って歩いてる女性