おじさん4人がわが家を訪ねてこられました。
用件は、悪いことに決まっています。
しかし、同じ集落に住むご近所の方々、応対する私の顔は笑顔です。
さて、そこで用件ですが、茶封筒が渡されました。
中身は、依頼文書。
わかりやすく言えば、請求書です。
お寺の鐘楼の修復工事が必要とのことは、以前から聞いておりました。
その工事の代金が確定したので負担金の支払い依頼です。
その額は、65,000円也。
アッ、イタタタァ―。
お金のいることは、実に悲しい。
しかし、ご先祖様からお世話になっているお寺さん、仕方がございません。
一昨年くらい前には屋根の修復で、確か数十万の負担金が・・・。
そして、今度は鐘楼。
やはり実に、悲しい・・・。
浄土真宗大谷派、親鸞さんは南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽浄土へ行けるとおっしゃいました。
しかし、生きている間には、このようにたくさんお金がかかります。
南無阿弥陀仏では、お金が稼げないところが現実。
きっとスッゴクいいところに行けると願いつつ、負担金を支払うことに・・・。
死んだあとより、とにかく現実が・・・。
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