(仮)しだらない話

戯れ言日記

偏読記

2006-11-25 | 
坂口安吾全集01(筑摩書房)

 坂口安吾の学生時代やら同人時代に発表された作品、要するに初期の作品が時系列に収められたもの(全集だから当たり前か。)
 いいですね安吾は。妖しくて、切なくて。それでいてナンセンスものも書いているなんて知らなかったです。うーん、全巻読破してみたいが、いつのことになるやら。

収められているタイトルは以下の通り。
・意識と時間との関係・今後の寺院生活に対する私考・プルウストに就てのクロッキ・編輯後記〔『言葉』創刊号〕・木枯の酒倉から・ふるさとに寄する讃歌・ピエロ伝道者・ステファヌ・マラルメ・エリック・サティ(コクトオの訳及び補註)・風博士・いんそむにや・我等の鳥類・黒谷村・帆影・海の霧・霓博士の廃頽・竹薮の家・蝉・FARCEに就て・群集の人・母・Pierre philosophale・村のひと騒ぎ・傲慢な眼・小さな部屋・山麓・新らしき性格感情・麓・新らしき文学・宿命のCANDIDE
・山の貴婦人・一人一評・ドストエフスキーとバルザック・長島の死・谷丹三の静かな小説・神童でなかつたラムボオの詩・愉しい夢の中にて・文章その他・姦淫に寄す・訣れも愉し・遠大なる心構・夏と人形・麓・無題・意慾的創作文章の形式と方法・淫者山へ乗りこむ・天才になりそこなつた男の話・悲願に就て・清太は百年語るべし・蒼茫夢・想片・枯淡の風格を排す・金談にからまる詩的要素の神秘性に就て・日本人に就て・逃げたい心・分裂的な感想・作者の言分・文章の一形式・嬉しかつたこと楽しかつたこと口惜しかつた事癪に触つたこと・西東・桜枝町その他・をみな


下山事件(ケース)/森達也(新潮社)
戦後に起きた国鉄総裁下山定則の礫死事件の謎に迫るといった内容。


真説光クラブ事件/保坂正康(角川書店)
こちらも戦後まもなくに起きたマチ金の光クラブとその社長山崎晃嗣を取り扱った内容。現代で言えばホリエモン事件のようなものらしい。東大生企業家であることや国家意思によってつぶされた所などがライブドアを彷彿とさせる。
本書では、光クラブのことを闇金と称しているが、どうなんでしょ?たんなるマチ金でしかないと思うんですが(あこぎであったことは確かなようですが)。


日銀は誰のものか/中原伸之・藤井良広
日銀政策委員をつとめた著者による、日銀内部のドタバタ劇。


電子マネー戦争 SUICA/岩田昭男
スイカってすごい!って本。
ホントにすごいと思います。欲しくなっちゃう。




流星グラフティ(by藤崎賢一)

2006-11-12 | 音楽
 藤崎賢一のニューアルバム「流星グラフティ」を聴きました。6(six)解散後、再びソロとなってのスタートです。
 聴いてみての感想は、・・・イマイチかな、正直言って。ギター一本で聴かせます的な曲調がアルバムのほとんどでして、それでいてメロディーが単調なものだからどの曲も印象が大差ない。もちろんキラリと光る節があるだけに勿体ない。やっぱり藤崎はロックンロールバンドで歌った方がかっこいいと思います。

 前のバンド6sixはアルバム2枚を出しただけで解散しました。2枚とも本当にかっこいいサウンドだったので、いまだに解散はすごく残念です。解散の経緯も不可解でして、現在は一人で活動せざるを得ないのかもしれません。その結果、今回のアルバム内容になったものでしょうか。

 そもそも芸術活動なんてものは作品が全てであり、表現する人の人格なんて二の次です。ボクは藤崎賢一の声、詩、メロディーセンスに惹かれて今までフォローしてきました。たぶんこれからも。だから、がんばって欲しいですね。できればバンドで。

イオン高崎に行ってみた

2006-11-11 | 日記
旧群馬町、現高崎市のイオン高崎に行って来ました。
田んぼの海原に浮かび上がる巨大戦艦って感じでしょうか。とにかくバカでかい!
店内は明るい照明、高い天井、ずらっと並ぶブランドショップなど、確かに人を誘引する要素が溢れていましたが、何というか、こう薄っぺらさを禁じ得ません。

この手のショッピングモールに付き物の話として、中心市街地の衰退に拍車を掛けているという批判がありまして、かつてイオンの岡田さんはそれに対して、「私たちのモールが新たな中心市街地なんだ」と言ったとか。(伝聞なので違っていたらごめんなさい)
まぁ、確かにモール内の専門店街はストリートらしさを醸し出そうとしているのは分かります。でも、やはり「街(まち)」には明るさや賑やかさだけじゃなくて、雑然とした雰囲気や、インモラルな部分なんてものも重要な要素として必要だと思います。そういったものがやはりショッピングモールには当然の事ながら無いわけで。

で、疑問としては、そもそも人は中心市街地を求めているのか、であります。
商業面だけではなく、地域の核、歴史・文化の核として、やはりどこかに中心点が無ければ、地域がバラバラになって、まとまりを失うのではないかと危惧するのです。
だれだっていつか故郷を離れたときに、思い出に街の風景が無いとなれば、ちょっと味気ないものでしょう。
ただぶらぶら歩きたくなる、そんな街でもいいから、復活してくれればと願ってやみません。