コリント信徒への手紙 9章。
16 わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。
17 進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。
18 それでは、その報酬はなんであるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたしが宣教者として持つ権利を利用しないことである。
19 わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
20 ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
21 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
22 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
23 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
24 あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
25 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
*モーセの十戒をミスなく2回の人生ともに突き通せた者は永遠の命を得るのは確かである。
しかし、永遠に十戒を守らないと無効化される。
神ヤハウェはモーセの十戒の事を「人が生きる事が出来ない教え」と自身がイスラエルの民に課した。後に「実は呪いですよ」ネタバレしているが、彼らは理解していなかった。
律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
*キリストの律法とは聖霊のことである。
聖霊の言い分を信仰した者は神の城に入れるわけで、モーセの十戒を守る必要がない。律法の圧の下にない人である。
前から散々説明しているが、
人の初回の人生にはモーセの十戒の監視が付く。1ミスすれば罪が加算されていく。
心に割礼(キリストの死からの復活、神の力を信じる)を受けずにモーセの十戒の違反行為をした者は現代へ罪人として第1の復活をする。
その者達は「罪」により偽りを信仰することを強要され、メディアに騙されワクチン接種する。
心の割礼を受けた者は、罪がない状態で現代へ復活する。偽りに騙されない。
現代での第1の復活した全人類にはモーセの十戒の監視はない。キリストが十字架にこの呪いの律法(モーセの十戒)を張り付けて、自身が死んで全人類から呪いを消し去ったからである。


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