ルカによる福音書
3:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、
ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤと
トラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
3:2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、
神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
3:3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
3:4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。
3:5 谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。
曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、
3:6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
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「カミング・リバイバル」からの引用は今回で終わりますが、
私を含め、日本のキリスト教会はこの本に書かれたような
リバイバルを求めていません。
それは多様性を認めず、そのために必要な忍耐がないのです。
リバイバルの疑似、いやその真似事で満足しているのです。
しかし、真のリバイバルはそのような軽いものではないのです。
それでは「カミング・リバイバル」からの引用します。
リバイバルをすべての人が喜んだわけではなかった。
教会の聖職者たちが恭しい、由々しい態度で宗教に接していた時代である。
牧師の中には、エヴァン・ロバーツに対して、
異端の方法を用いる血気に逸った探求者というレッテルを貼る者もいた。
彼らは何故、祈る時にニコニコするのか、説教を語る時、
声を出して笑うのか理解できなかったのである。
しかし、彼の話を聞きにきた人たちは、彼の表情に神の光があり、
彼の心には主の喜びがある、と言った。
神が示されたその通りに、ロバーツはイギリスに急激な
リバイバルが起こるのを見た。
この時、約200万人がキリストを受け入れたと言われている。
それから聖霊は西欧と北欧にリバイバルを進められた。
聖霊がノルウェーに「降られた」とき、
あまりにも多くの人々が教会に詰めかけたので、
会衆に聖餐を配るのに教職者だけでは手が足りず、
一般の信徒たちに按手して配餐を分担しなければならないほどであった。
次いでリバイバルの霊はアフリカ、インド、中国、韓国へと進んでいった。
アメリカでは、数人の牧師たちが教職者会議を開き、
リバイバルは「起こるかどうか」の問題ではなく、
「いつ起こるか」の問題であった。
そして、神は彼らの期待に応えてくださった。
特にアメリカのリバイバルは日本のキリスト教会に大きな影響を与えました。
それにより日本に鹿鳴館リバイバルが起こりました。
しかし、日本はキリスト教国になると恐れた明治政府によって
完璧に潰されてしまったのです。
それは疑似神、天皇を神とする悪魔の支配のはじまりです。
さらに教育勅語が発令され、抵抗したキリスト者は
徹底的に潰されていきました。
この鹿鳴館リバイバルを体験した内村鑑三は、後に
不敬事件でやり玉にあげられました。
明治政府のとった西欧に追いつけ追い越せの近代化政策の反動で、
西欧の中核であったキリスト教迫害が、江戸時代の弾圧とは
形を変えて天皇を神とする信仰にすり替えられてしまったのです。
そして生贄となってしまった内村鑑三は、実に不思議なことですが、
リバイバルをかなり毛嫌いし、嘲笑していくようになります。
しかも「バタ臭いキリスト教が大嫌い」と言って無教会を創設します。
私はその無教会に高校時代から43歳まで、
23年間も在籍していたので、無教会がリバイバルや断食祈祷、
聖霊や悪霊などといえば嫌うどころか、唱えた者を異端扱いとしていました。
その生贄となったのが私です。
私は1993年に聖霊派の信仰に進み、断食を唱えたために
無教会を追放され、今も異端にいったとレッテルを貼られ、
回復の見込みは一切、閉ざされています。
その原因を考察していくと日本を覆う悪魔的な日本教である
というのが私がこの30年間で得た結論です。
それを打破するのは、聖書による正しい断食祈祷による
聖書のリバイバルだと確信して、
このようなブログを8年間、毎日、投稿しているのです。








