バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

福井から、リバイバルは必ず起こる 

2024-08-12 04:00:00 | ゴスペル・エッセイ
昨年、福井市に移住して驚いたのは、

福井県がいかに日本国内で知られていない

存在意義の少ない県であるということです。

私の妹たちは、福井市は富山県にあると思っていましたし、

北陸新幹線開通の開通のことなどは、全く知らなかったようです。

最近、やっと恐竜で有名な福井だと分かったようですが、

東尋坊は富山県だと本気で思っていたというのです。

ましてやクリスチャン比率、キリスト教会数も全国ワーストワンなのです。

ゆえに福井は、日本のナザレ村と呼ばれてもおかしくありません。

戦後、海外から派遣された北欧の宣教師たちに、

賀川豊彦から「宣教の地として北陸だけには行かないように」と

アドバイスを受けたようですが、

それほど宣教困難な土地ならば行こうと決断して

ノルウェー、デンマークの宣教師たち(ペンンテコステ派)は、

福井県をわざわざ選び、日本のナザレ村に開拓伝道を開始したのです。

私がいま通っている福井自由キリスト教会は、

ノルウェーの宣教団体が開拓された教会です。

福井市は空襲で焼け野原になり、その3年後、福井地震(注・01)が起こり、

再び復興していく中で福井に驚くべきリバイバルが起っています。

それは清水町(注・02)に今から約70年前(1956年前後)に

大リバイバルが起こったのです。

清水町である日、農作業していたら天から声が聞こえ、

それは後日、天幕伝道集会で宣教師が引用した聖書の言葉でした。

そして清水町の4つの部落70戸が福音を受け入れたというのです。

ある方の大きな倉が集会所となり、そこで癒し、

罪からの解放が起こったのです。

しかし、中心メンバーの方が、異端である「神の幕屋」に行き、

また日本教=世間教に押しつぶされるなどして、

わずか数年にしてほぼ壊滅してしまいました。

しかし、近くの教会に所属された方もおられましたが、

すべて天に召され、この時のリバイバルの証言者は極めて少なく、

その証人の一人である福井自由キリスト教会代表役員の東長老に

案内していただき、そのリーダー格のご自宅を訪問させていただきました。

70歳を超えた息子さんの奥様に挨拶したのですが、

ほぼクリスチャンはこの村々にはいないとのこと。

私はこの清水町にある「福井県健康の森」の中にある

「清水マイファーム」の一角を借りて、

ハーブ栽培を昨年からするようになりましたが、

そこからわずか自動車で数分のところなのです。

これは主の導きだと言わざるを得ません。

そして清水町に降られた聖霊が再び福井市と福井県を覆い、

再びこの地をリバイバルの地としてくださいと

真剣に祈り始めました。

聖書には70年後に約束を果たすと書かれているように、

主よ、この地を顧みてください。

必ず、この地に恵みの約束を果たし、悪霊の支配から解き放ってください。

そのことを切に祈るようになりました。


エレミヤ記
29:10 主はこう言われる。

バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。

わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。


福井大地震(注・01)
福井地震は、1948年)6月28日午後4時13分頃福井県嶺北地方北部(福井市の北北東約10 km、現在の坂井市丸岡町付近)を震源として発生した地震である。地震の規模はマグニチュード7.1で、福井市では当時の震度階級としては最大の震度6(VI, 烈震)を記録した。
1945年(昭和20年)7月の戦災(福井空襲)からの復興途上にあった福井市を直撃した都市直下型地震である。福井平野のほぼ全域に甚大な被害をもたらし、隣の石川県内の被害も合わせると、死者は3,769人、負傷者は2万2000人以上、全壊した家屋はおよそ3万6000戸に上った。最も被害が大きかったのは、福井県坂井郡金津町(現あわら市東部)、丸岡町および春江町(現坂井市南部)、吉田郡森田町(現福井市北部)で、各町のほぼ全戸が倒壊した。震央からやや離れた福井市内でも家屋の全壊率は79.0%、福井平野全域で全壊率は60%を超えた。都市部では火災による焼失で被害が拡大した。また、被災地域を流れる九頭竜川水系の堤防が地震による被害を受けた上、地震の約1ヶ月後の7月下旬に上流部で記録的大雨が降ったため、堤防が決壊するなどして水害が発生し、複合災害を引き起こした。福井震災は、関東大震災(1923年)と濃尾大震災(1891年)に次ぐ大震災であった。第二次大戦後に発生した震災としては、東日本大震災(2011年)と阪神・淡路大震災(1995年)に次いで、3番目に多い犠牲者を出した。非常に高い全壊率を記録した福井地震を契機に中央気象台震度階(後の気象庁震度階級)が見直され、1949年に震度7(激震)が新設された。わずか3年ほどの間に戦災、震災、水害と度重なる災害に見舞われ、福井市街は灰燼に帰したが、その度に市民たちの不屈の気概と不断の努力によって不死鳥のように蘇り、力強い復興と発展を遂げたことから、福井市は市民憲章で「不死鳥のまち」を宣言している。(ウィキ)

清水町(注・02)
清水地域は、福井市の中央から南西部、福井平野の西端に位置し、東西9.8キロメートル、南北7.3キロメートルの長方形です。清水地域の東方は福井平野に連なる平坦地で、東部を流れる日野川に志津川および天王川が流入し、その流域は広大な穀倉地帯となっています。西方には標高200m前後の山地が広がり、豊富な森林資源があります。南方は、鯖江市および越前町に隣接しています。明治5年の戸長制度、11年の郡区町村編成法などを経て、同22年4月、志津村(おおよそ今の清水西地区)、三方村(おおよそ今の清水東地区、清水北地区)、天津村(おおよそ今の清水南地区)の3村として村制を実施。昭和30年7月28日に3村が合併し清水町が誕生しました。稲作を中心とした農業が特色の地域でしたが、昭和40年代後半の住宅団地「グリーンハイツ」の整備によって、福井市中心部のベッドタウンとしての性格を持つようになりました。又、住みやすいまちづくりを進めてきた結果、地域全域で上下水道が利用できるようにもなりました。地域の中央部には、健康づくりの拠点となる「ふくい健康の森」が整備され、近年、新たな住宅団地や商業集積地の整備も行われ、市内外から多くの人が訪れています。清水という地域の特色は、一面に広がる田園と住宅団地という風景に代表されています。平成18年2月1日に福井市に編入合併し、新しいまちづくりを進めていくことになりました。(福井市オフィシャルサイトから)

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