ルカによる福音書
19:1 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
19:2 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、
金持ちであった。
19:3 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、
群衆に遮られて見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、走って先回りし、
いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
19:7 これを見た人たちは皆つぶやいた。
「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。
この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
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イエスがわざわざ立ち寄られたエリコ(注・01)ですが、
どのような町だったでしょうか。
死海の北9㎞でヨルダン川の川西に位置し、
冬は温暖で夏は熱帯性の果物やハーブが咲き乱れ、水量も豊かですから、
イエスの歩まれた時代は裕福な階層の人たちが
住む邸宅が立ち並んでいました。
また、エリコは地理的にも大きな利点があり、
ガリラヤなど北からヨルダン川を南下して、
エルサレムに向かう要所でした。
ローマ帝国の治める時代でしたが、エリコにはその要所を生かして、
日本で言う関所、いわゆる徴税所があったのです。
ここを通過するには、必ず道路通行税を払わなければなりませんでした。
そこにはたくさんの徴税人がローマ帝国に雇われていました。
その中でリーダー格がザアカイでした。
名前の意味は、「義人」「きよい人」を表す、
ヘブル語のゼカリヤの短縮形なのですが、
ザアカイはその名の通りではなく、商売上手でかなりの大金持ちでした。
では全員がなぜお金持ちなのかといいますと
ユダヤ人から相当、嫌われる徴税方法をとっていたからです。
マタイによる福音書
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。
徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、
「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」
と言った。
徴税人という職業は、ユダヤ人から「罪人」と並べられるほど、
蔑まれていました。
なぜなら取税人たちは、ローマ帝国のために
同胞のユダヤ人からかなり悪どい方法で税金を取り立てていたからです。
エリコ(注・01)
死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。世界最古の町と評されることもある。海抜マイナス258m(英語版)と、世界で最も標高の低い町でもある。ヨルダン川河口から北西約15kmにあり、現在はヨルダン川西岸地区に含まれる。「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあり、人々が住み着いた。エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。前8350年頃~前7370年頃)からは、広さ約4ヘクタール・高さ約4m・厚さ約2mの石の壁で囲まれた集落が形成された。この壁の1面には高さ8.5mの石の塔も建てられた。この塔は「エリコの塔」と呼ばれ、エジプトにジェセル王のピラミッドが建設されるまで、世界一高い建造物であった。この町は前7370年頃に放棄され、それまでとは異なる文化をもつ人々がエリコに定住した。『旧約聖書』の「ヨシュア記」では、預言者ヨシュアが人々に命じて一斉に吹かせたラッパの音により、エリコの城壁が崩れ落ちたと伝えられている(エリコの戦い)。史実に基づくものならば、この頃の話ではないかという推測もある。(ウィキ)