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バイブルランドin福井

安田由久が驚くべき聖書の世界をご案内します

真のリバイバルとは何か 51 リバイバルはなぜ必要なのか 22 聖なる神に触れよ

2024-12-12 04:00:00 | 正しい霊的復興
ハバクク書
◆主の答え
 2:1 わたしは歩哨の部署につき/砦の上に立って見張り/

神がわたしに何を語り/わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。

 2:2 主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。

走りながらでも読めるように/板の上にはっきりと記せ。

 2:3 定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。

それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。

たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。

 2:4 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。

しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」

2:20 しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神は聖なるお方であり、もともと生まれつきの私たちは罪にまみれ、

汚れていますので、このような罪深き者と

聖なるお方とを全き対比をしなければなりません。

そうするならば、そのことを正しく理解できることでしょう。

それは聖書の中に行くたびも登場しています。

特に預言者イザヤの場合をみましょう。

イザヤは下記のような体験をするまでは

神殿つきの普通の祭司の息子であり、預言者でした。

しかし、


イザヤ書
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
 6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
 6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
 6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
 6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」


イザヤは神殿で聖なる神に触れられ、

神のビジョンを明確に把握できました。

私たちも人間のどうしょうもない罪を聖なる神に照らし出され、

徹底して思知らされると深い絶望の底に突き落とされますが、

同時に驚くべき感謝の領域に引き上げられ、

神が行くべき道をイザヤに示したように語れます。


イザヤ
6:8 そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
 6:9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。
 6:10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」
 6:11 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」主は答えられた。「町々が崩れ去って、住む者もなく/家々には人影もなく/大地が荒廃して崩れ去るときまで。」
 6:12 主は人を遠くへ移される。国の中央にすら見捨てられたところが多くなる。
 6:13 なお、そこに十分の一が残るが/それも焼き尽くされる。切り倒されたテレビンの木、樫の木のように。しかし、それでも切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である。

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