ハバクク書
3:2 【主】よ。私はあなたのうわさを聞き、【主】よ、
あなたのみわざを恐れました。この年のうちに、それをくり返してください。
この年のうちに、それを示してください。激しい怒りのうちにも、
あわれみを忘れないでください。
3:3 神はテマンから来られ、聖なる方はパランの山から来られる。
セラその尊厳は天をおおい、その賛美は地に満ちている。
3:4 輝きは光のよう。ひらめきはその手から放たれ、
そこに力が隠されている。
3:5 その御前を疫病が行き、熱病はそのうしろに従う。
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新年明けましておめでとうございます。
今年は真剣にリバイバルを切に求めていく年です。
そのためのメッセージです。
神はリバイバルを「この年のうちに、それをくり返してください。」と祈ります。
それはハバククにあるように
2:4 見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。
しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
とあるように神の義が雨のように降らせてくださるのです。
使徒パウロは、
ローマ人への手紙で
1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人に
も、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、
信仰に始まり信仰に進ませるからです。
「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
と書いていますが、それはハバククの預言の適切な引用です。
教会にリバイバルがもたらせるのは、「正しい人はその信仰によって生きる」
ことですから、そのような生き方は、多くの場合、
教会でも理解されない生き方なのです。
しかし、あえて私たちはそのような中にあっても
「正しい人はその信仰によって生きる」ことを
大胆に告白していかなければなりません。
そして私たちの基本的な態度は下記のようなハバククの言葉に集約されます。
3:17 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、
オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。
羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。
3:18 しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、
私に高い所を歩ませる。指揮者のために。弦楽器に合わせて。
ここで17節は荒廃した地のことを嘆いていますが、
これは私たち日本の教会のことを当てはめれば分かります。
教会には「力の強い信仰」はなく、まったく望みもないのです。
周囲からは嘲笑しか聞こえてきません。
まさに教会がどれだけ不毛で荒れ果て実を結ばないことか。
しかし、神はそれであるがゆえに救いをもたらし、
回復させ、リバイバルを起こしてくださるのです。
ハバクク
3:18 しかし、私は【主】にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
たとえ廃墟の中に会っても神の霊によって大きな慰め、
祝福を送ってくださるのです。
それは私たちがリバイバルを待ち望むときにおいてこそ
神は私たちの次のような力を与えてくださるのです。
ゆえに
3:19 私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。
のです。
アーメン、ハレルヤ!!








