ヨハネ黙示録
3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。
上記の聖句は、昨年12月24日、純福音鯖江教会の主日礼拝で
牧師が引用された箇所でした。
私たちは2023年4月16日からこの教会の主日礼拝に参加するようになり、
9ヶ月になります。
私はこの間、礼拝説教を通して、
今後の私の進むべき道を照らす
レーマなる御言葉を示されるように祈って、待っていました。
そしてクリスマス礼拝で語られた5つ引用された聖句の一つが、
レーマとなったことを感謝せずにはおれません。
ヨハネ黙示録3:20は主がラオデキア(注・01)の教会に語られた一節です。
聖書66巻中、「食事」は122回出てきますが、
新約聖書では使徒言行録が多く、
ヨハネ黙示録ではここだけなので、
ラオデキアの教会特有の問題への回答でもあり、
そのことは後から詳しく述べます。
ここで考えたいのは、この食事に招くという背景は、
花婿なる主イエスを食卓に招くということなのです。
そしてその祝宴の食事を通して、
主イエスと親密な交わりに招き入れてくださるのです。
私たちはまずしなければならないのは、
「私の声を聞いて、戸をあける」です。
そして主イエスを迎え入れというのは、聖霊を注がれることです。
ゆえに花婿なるイエスを迎え入れ、一つとなることができます。
すると何がここで起こるでしょうか。
それは2024年、一年間をかけてに具体的に明らかにしていきます。
ラオデキア(注・01)
「国民の義」という意味での小アジア西部フリギア地方の主要都市のひとつである。新改訳聖書ではラオデキヤと表記される。現在のトルコ共和国のデニズリ県エスキヒサールという村であると言われている。セレウコス朝はラオディキア(ラオディケイア)という名の町を中東に多数築いたが、これもそのうちの一つであり、新約聖書を通じても有名になった。その他の有名なラオディキアには、現シリア領の港湾都市ラタキアがある。メアンデル川の支流リュコス川に面した位置にあり、エフェソスの東150キロ、コロサイとヒエラポリスの近くにあった。パウロとの深い関わりのある教会があった。パウロの弟子エパフラスが教会の基礎を築いたと考えられている。パウロはラオデキヤの教会への手紙を書いたが、この手紙がエペソ人への手紙であると考える学者もいる。紀元90年頃、ヨハネの黙示録が書かれた時代には使徒ヨハネが手紙を書き送っている。当時のラオデキヤの教会は霊的に非常に生ぬるい状態にありながら、自分たちの現状には気づいておらず、イエス・キリストが教会の外に立っておられると言われるほど、エキュメニズムの影響で信仰的に堕落し、悔い改めが必要な状態であった。4世紀までフリギアの司教座がおかれていた。中世にはイスラム教徒の侵略によって破壊された。(ウィキ)