パンセ779
子どもは、自分の顔を汚しておいて、それを恐がる。
子どもと言うものは、そんなものだ。
パンセ63
誉めてばかりると、子どもと時から、すっかりだめな人間ができてしまう。
パンセ465
子どもたちは驚いたように自分の友だちが尊敬される様を眺めている。
パンセ64
「この犬はぼくのものだよ」とあのいたいけな子どもたちは言ったのだ。
さて、これこそ全地上における不当な専制政治の起こりで
その縮図である。
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1631年にパスカルの父親は、財産のすべてをパリ市公債に替えて、
子どもたちを連れて、パリへ移住します。
表向きの理由は、子どもたちの教育のためでした。
しかし父親は科学知識が旺盛で世界から集まる
科学者たちの情報収集が目的でした。
そして修道院の科学アカデミーにも参加。
彼は計器検査などの仕事も受託していきます。
住んだ地域はパリの貴族や上流階級が住む街でした。
パスカルは姉とともに養育母に育てられ、
やがて新興の幾何学や大砲と火薬の仕組みなどに興味を抱いたと言います。
科学者であり、技術者であった父親の影響下にあったので
当然だったといえます。
パスカルは自分の幼い頃を思い出して、
子どものことをパンセに書いているのですが、
実際にパスカルの子ども時代はどうだったのでしょう。
パスカルはここで言いたかったのは、人間は幼い日から、
たわいもない争いの中でも「悪の根ざし」を見ており、
「罪の根」が深く植え付けられると見ていました。
つまり子どもも含めたどんな人間もその中に潜んでいる独占欲、
すべての価値あるものを独り占めにしたい独占欲、
つまり自分の絶対化への本能、罪の根を見ているのです。
パスカルはいじめれていた子どもであったかもしれません。
育ったところでもパリの中でも遊び中もおらず、孤独でしたから、
唯一の話相手は父親だけだったようです。
そして父親のサークルに科学者がいて、パスカルに注目していました。
ル・パイユールという科学者は、パスカルの優れた能力を見抜いて、
父親に数学、物理学の勉強をするように進言していたのです。
それゆえに10歳になったパスカルを父親は学会に連れていくようにしました。
そこでパスカルは頭角を表していきます。
そのメンバーたちはアルキメデスの再来だというように評価していくのです。
しかし、周囲のお録べき高評価の中でもパスカルははり孤独でした。
ゆえに一人、部屋に閉じこもり、
図形で幾何学を遊び道具にしていくのを覚えていくのです。