この作品は、原作者であるブールが仏領インドシナにて現地の有色人種を使役していたところ、同じ有色人種である日本人の率いる軍の俘虜となった“屈辱的な経験”を題材にして描かれた(つまり、作品中のサル=有色人種である日本人の暗喩)といわれている。
(以上、猿の惑星 - Wikipedia より一部引用)
核戦争後、猿によって支配される未来社会を描いたSF映画の傑作「猿の惑星」。支配者の猿が日本人のメタファーであることはつとに有名な話であるってことを前フリにして、核兵器廃絶を訴えたオバマ大統領のプラハ演説。それを猿だと揶揄したいのではない。なにしろ我が国には福田チンパンがいる。
旧東側陣営のチェコの首都で、オバマ大統領は「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある。米単独の取り組みでは成功もおぼつかないが、指導的な役割を果たすことや行動を始めることはできる」と発言。「核兵器のない世界の平和と安全保障」を米国がめざす方針を示した。
-中略-
ただ、文脈をみれば明らかなように、オバマ大統領は、米国が核廃絶に率先して取り組む必要性を強調するレトリックとして、核使用をめぐる「道義的責任」を持ち出している。米国での議論は、「核兵器廃絶に現実性があるのか」が中心であり、原爆投下の歴史評価をめぐる議論はほとんど素通りされている。
-以下略-
(以上、産経新聞より一部引用)
米国政府は戦後一貫して原爆投下の正当性を主張している。また、米国民の大半もそれを支持している。ならば、産経新聞の記事通り、道義的責任などオバマ大統領のレトリックに過ぎないだろう。大体、9・11テロ以降、世界は大量破壊兵器から見えないテロの時代へと移行した。「イラク撤兵、アフガン増派」がオバマの基本戦略だ。イラクで手間取っている間にアフガンのタリバン、アルカイダが復活し、米国はそいつらを殲滅しよう目論んでいる。維持管理コストの掛る核兵器に関わってられないのだ。それにオバマは核兵器廃絶を訴えただけで、世界最強の軍事力を放棄するとは口が裂けても言わないだろ。なるほどオバマ演説は巧いものだった。
P.S.
話題になっている上記読売新聞の記事に池田信夫blogは
と、クルーグマンをコキ下ろしているけど
日本の経済学者のレベルは海外の学者にも論文が引用される事が無いほど悲惨だ。
その池田センセも株式日記のトラちゃんにコキ下ろされている