太った中年

日本男児たるもの

衰退の原因

2009-09-16 | weblog

自民党、派閥

石破 茂 です。

自民党の衆院選挙の敗因は、「自民党中央が国民に正面から向き合う真剣かつ真摯な姿勢を持っていなかったこと」に尽きます。「民主の突風が吹いた」「風どころか地殻変動が起こった」「マスコミの偏向報道に負けた」などとまだ言っているようでは、現状認識が根本から誤っているとしか思えません。それはもちろん麻生総裁だけの責任ではなく、自民党全体の責任であり、政権の中心にいた私も含めて、選んだ者、支えきれなかった者すべてが負うべきものです。

自民党の衰退は、実は八年前(2001年)の小泉政権の誕生から始まっていた、というのが私の認識です。

低支持率に喘ぐ森政権ではとても参院選は戦えない、との危機感から、愛媛県の水産高校実習船と米国原潜の衝突事故の対応の不適切さへの国民世論の批判の高まりを直接のきっかけとして森総理が辞意を表明、後継総裁選に橋本龍太郎元総理、小泉氏、亀井静香氏の三名が立候補、多くの派閥と所属国会議員が推す橋本優勢との当初の予測を覆し、「自民党をぶっ壊す」と主張した小泉氏が圧勝し、小泉政権が誕生したのでした。

この総裁選では京都、鳥取、島根、岡山、広島、沖縄の僅か一府五県を除く四十一都道府県で小泉氏が勝利、それまで小泉氏を批判していた議員達もあっさりと小泉支持に転向し、直後の参院選では小泉氏のツーショット写真を掲げた殆どの自民党候補の大半が当選、党は大勝したのですが、そのときに感じた「一体これは何なのか」との違和感を私は今も強烈に記憶しています。

「人気者をトップに据えることで選挙に勝利し、政権を維持する」「勝ち馬である人気者につくことで自分のポストを獲得する」「派閥で勝ち馬に乗り、ポスト配分に関与することで、派閥を維持する」…「派閥や自己の論理が優先し、国民の論理が大きく劣後していた」という自民党中央の病はすべてここから始まったのではなかったでしょうか。

トップである党首に人気があることはもちろん大切です。人気がなければそもそも当選すらしません。しかし、「人気さえあればいい」わけでは決してありません。「その人が何をするか」も併せて論じられなければ大変に危険です。

「自民党をぶっ壊す!」との小泉氏を熱狂して支持した自民党は、まさしくその言葉のとおりになりつつあるというべきでしょう。

政治改革の議論盛んなりし頃、小泉氏は徹底した小選挙区制反対・中選挙区制維持論者でした。その彼が小選挙区制の特性を最大限利用して政権を得、郵政民営化を唯一の争点として選挙に大勝し、今回全く逆の形で自民党が大敗したのは歴史の皮肉という他ありません。

私はかつて小選挙区制の強烈な推進論者でした。

中選挙区制を維持する限り、自民党は決定的に敗北することはない(東京都議選の結果を見るとこれももう一度検証の要がありますが)、どんなに民意と乖離した政治を行っても政権が交代しないことは民主主義に反するものであり、政治の堕落、ひいては国家の衰退に繋がる、だから、不適格な党首を選んだり、民意に反する政治を行った政党は、主権者たる国民の審判により政権を失う、との緊張感のある小選挙区制に移行することこそが必要だと考えましたし、今もそれは変わりません。

小選挙区制になれば、党首選びも、政策の決定も、党の運営も、全て国民視点に立ち、慎重の上にも慎重になるに違いない、当時の私はそう信じて疑いませんでした。しかし、果たしてその後の自民党はそうであったでしょうか。議歴を重ねた自分自身の責任をよく自覚した上で、残念ながらそうではなかったと言わざるを得ません。

かつて田中角栄元総理は、「何故自民党に派閥が五つあるか、それは中選挙区の最大定員が五名であるからだ」と喝破されました。自民党の各派閥はそれぞれ選挙区に三名から五名の候補者を立て、互いが激しく競い合いました。「自民党の敵は自民党」であり、候補者は現総理総裁ではなく、自分の派閥の領袖を総理総裁にするべく戦い、派閥はその武器である資金、ポスト、選挙応援を最大限に駆使しました。派閥領袖は、それなりに、間接的ではあるにせよ有権者の信任を受けていたのです。

田中角栄理論に従えば、小選挙区制になれば、資金、ポスト、選挙応援を構成要素とする派閥は当然無くなるべきものでした。

確かに公的助成の導入もあって資金も党から配分されるようになり、選挙応援も派閥横断的になりましたが、小泉政権以来、派閥の推薦を原則として受け付けず、所謂「一本釣り」が行われるようになった大臣ポストを除いて、政府・議会・党の役職配分機能だけは派閥が維持し続けました(「適材適所」の人事も確かにありましたが、どんなに適材であってもその人が副大臣や常任委員長を継続して勤める例はまずありませんでした)。

「政策集団」を名乗ってはいるものの「政策研究」が行われることは一部の例外を除いてほとんどなく、派閥に忠勤を励み、よいポストを獲得することが活動の中心になってしまった議員がいたことも否定し得ないのではないでしょうか。

よく「三人いれば派閥が出来る」と言われるように、人間の集団である政党に派閥が無くなることなど絶対にあり得ません。自民党で過去に何度も派閥解消が唱えられながら実質一度も実現したことがないのはむしろ当然ですし、民主党にも小沢グループ、鳩山グループなどが存在しています。派閥の存在それ自体ではなく、それが如何なる機能を果たすべきなのかが問われているのです。

派閥から資金とポスト配分の機能の要素を取り去り、純粋に政策集団として存続すべき、というのならそれでよいし、自らが政策すべてを作っていかなくてはならない野党となるこれからは、そうなっていくことが望ましいと考えています。

要は、「政党が国民に真剣・真摯に向き合う」ことを阻害するものをこの際一切排するべきとの覚悟が持てるかどうか、それ無くして自民党の再生などありえないと思うのです。

今回の総裁選のキーワードは「世代交代」などという上っ面のものではありません。年配でも立派な方はおられるし、若くても駄目な人がいるのはどの社会でも同じことです。

危機認識、現状認識をどれだけの人が共有しているか。誰が総裁に相応しいかを議論する前に、まずこれをよく見定めるべきなのです。

(以上、石破茂公式ブログより全文転載)

田母神解任のとき以来2度目になる石破さんのエントリー。上記は軍事オタクらしく正鵠を射た敗因分析で稀にみる名文。しかしながら石破さんには派閥からのポスト配分に甘んじ、わかっていながら何も出来なかった責任がある。それから自民党の病は派閥とセットで世襲問題もあり、小選挙区制でフレッシュな新人を擁立できない。石破さんも世襲議員だからその辺はどうするんだろうね。

石破農相、自民総裁選出馬を断念(読売新聞) - goo ニュース

人望のない人だった。


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