太った中年

日本男児たるもの

官僚たたき

2010-07-10 | weblog

官僚たたきはもうやめよう 公務員改革が国を滅ぼす

「どこの世界に、社長や役員が、社員のことをボロクソにたたきのめして、世間から喝采を受ける会社があるんだろうね?」

年明け、甘利明・行政改革担当相と谷公士・人事院総裁の激突で風雲急を告げた公務員制度改革。取材を始めていた私たちに向かって、ある霞が関の官僚の一人がつぶやいたのがこの言葉です。

政府は、首相や大臣といった「政」が政策の判断や決定をして、官僚たち「官」が実務を執行するのが本来の構図。政府を会社に見立てるならば、首相が社長、大臣が役員で、官僚が社員といったところでしょう。

政治家たちが「官僚主導の打破」を叫ぶというのは、役員が「社員に(役員を上回る)力があり、社員が主導の企業はおかしいから打破しなければならない」と言っていることに等しいわけです。しかも、その役員たちは、世界に類をみないスピードで毎年のようにコロコロ変わっていくわけですから、社員はさぞかしたまったもんじゃないでしょう。

官僚たたきで制度を改革していいのか

「公務員制度改革」――このなんとも堅苦しい言葉を聞いて、読者の皆さんはどのように感じるでしょうか。「エリート官僚のことなんて、無関係」となるか、「天下りなんて許せない」、「民間は不況でこんなに苦しいのだから、公務員ももっと身を削れ」と怒りを感じるか。いずれにしても感情論に陥りやすい対象であるだけに、「何のために何を改革すべきなのか」を冷静するのは、とても難しいテーマです。

今の官僚のあり方に「天下り」をはじめとする、多くの問題があることは間違いありません。ですが、公務員制度改革について与野党間で合意がなされ、ねじれ国会では稀にみるスムーズさで基本法が成立した昨年6月から約9カ月。この間、メディアを賑わせたのは、「天下り禁止を骨抜きにされた」と怒る渡辺喜美前行革相の姿と、「内閣人事・行政管理局」という長ったらしい名前、「甘利vs谷」という構図、そして「級別定数」という一般の市民にとってはなんだかわけのわからないキーワードでした。

公務員は社会の公器であり、その制度設計は国家百年の大計に属するもののはずです。現在の公務員制度は、戦前の仕組みを源流とした長い歴史を持っていますから、変えるとしてもそれなりの覚悟が必要です。しかし、このところの一連の議論は、政争の具として弄ばれ、単なる「官僚たたき」の色彩を強めています。

公務員へのバッシングが強まった背景の一つに、「居酒屋タクシー」がありました。たしかに官僚がそういう特権的待遇を受けていたことに問題がないわけではありませんが、より本質的な問題はタクシー業界の過当競争であり、霞が関官僚の凄まじい残業実態であったはずです。

しかし、特にその後者について切り込んだメディアはあまりみられませんでした。どのメディアも普段官庁に取材しているなかで、官僚たちの疲弊ぶりは散々目にしているであろうにもかかわらず、です。しかも、取材をしている記者の側こそが、ハイヤーやタクシーを大量に抱えているなんていう笑えない話もあります。実態や本質を知っているにもかかわらず、そのことには触れずに、後に一種のメディアスクラムに突き進むのは、その後の中川昭一・前財務金融相酩酊事件でも同様です。

いま一度、「政治主導」、「天下り禁止」といった、キャッチフレーズに踊らされることなく、冷静に公務員制度を検討することが必要です。

官僚はそんなに悪者か?

国家行政の中枢機関が集まる霞が関。多くの官僚たちは深夜1時を回っても、空調の切れた執務室で、今日も黙々と業務をこなしています。

「残業時間は多い月で約140時間にも及ぶが、人件費の縛りもあり、サービス残業が横行している」と打ち明けてくれたのは、とある入省5年目の係長。「手取りで400万円程度」とお世辞でも高給取りとは言えない年収について、「それは承知の上。それ以上に国の政策立案に携われることにやりがいを感じる」とさらっと言ってのける姿は涙ぐましいとさえ感じます。

入省14年目のある課長補佐は「残業は月200時間を超えることもあります」と言って、手帳にメモした勤務実績を見せてくれました。手帳に記録をつけるのは、いつ過労死しても、労災認定を受けられるようにするため。実際につく残業代は月40時間ほどだというからやるせません。

「民間企業と比較したりしませんか」との問いに、「民間企業で働く同期の給与なんか考えたくもない」とつぶやいた表情は忘れられません。それでも二言目には、自らに言い聞かせるように「キャリアなら当然ですよ」と言ってのけてしまうのです。

厳しい国家財政の下、公務員の人件費は年々抑制されてきましたが、情報公開やパブリックコメントなどの導入で業務量は増える一方。「国家に奉仕したい」と期待を膨ませた若き官僚を待ち受けるのは、調整や議事録作成などに忙殺される毎日です。

さらに「国会待機」や「質問主意書」が官僚を疲弊させています。居酒屋タクシー事件では、タクシー利用実績の調査のために、全省庁で大幅な残業がなされ、しかしさすがにタクシーには乗れないから省内に宿泊するという、なんとも皮肉な事象が発生しました。

「外国と比べて官僚の仕事が多いのは、マルセイ対策があるから」とは某省課長の弁。この「マルセイ」とは、政治家などへの政治的な根回しのこと。その割合は「課長クラスで全仕事量の1割、審議官クラスで5割、局長クラスで7割程度」に達するというから、驚くほかありません。

米国では1人で100名近くの政策秘書を抱える議員もいるくらい、議員スタッフが充実しています。日本ではこうした役割の多くを官僚が担っています。与党間の調整役として局長が奔走することも珍しくなく、取材のなかでは、政党のマニフェスト作りにまで官僚が関与しているとの声すら聞こえてきました。日本の「政」と「官」の役割分担はこれほどまでに不明確です。

今の政治家に任せて大丈夫?

「公務員制度改革の前に政治改革が必要だ」。野中尚人・学習院大学法学部教授はこう指摘します。

公務員制度改革の基本的な哲学は、“政治主導”ですが、そもそも議院内閣制のわが国においては、政治主導は当たり前であり、政治家が政策を立て、有権者に政策を問い、当選すれば覚悟を持って政策を遂行するというのがあるべき姿です。

残念ながら現状は「官僚内閣制」と揶揄されるように、政治主導ではありません。ですが、「官僚のほうが力があるから、官僚の力を殺いでしまえ」という前に、「力のない政治家のほうが問題だ」という声が出てこないのは不思議です。

実は、この政治主導の議論は今に始まったことではありません。自由党党首だった小沢一郎氏が構想を唱え、英国型・政治主導内閣を志向して2001年に実現させた副大臣・政務官制度がいい例でしょう。官僚が国会で答弁する政府委員制度を廃止し、政治主導を実現する仕組みとして期待されたが、成果はあったでしょうか。

官僚任せの政治家が政策立案や政策遂行能力を欠いたまま、政治の権限だけ増やしても、ロクなことにならないでしょう。いま必要なのは、政治と官僚の役割分担を示すことであり、官僚の改革よりも政治自身の改革を進めることのはずです。

まず、やるべきは閣議の改革です。「形骸化した閣議ではなく、英国のように総理大臣が内閣委員会の設置やメンバーを決めることでき、そこでの決定が閣議決定となるような仕組みを導入して政治的な意思決定を強化し、機動力を高める必要がある」(前出の野中教授)。そして、「官僚に代わって政治家自らが利害関係者との調整を行う」(政策シンクタンク・構想日本の加藤秀樹代表)ように追い込んでいく必要があるでしょう。

アメリカでも政治任用の問題点が議論されている

民主党の鳩山由紀夫幹事長は、政権をとった暁には、局長以上を首実検するとも受け取れる発言をしていますが、そのような政治任用の強化には大きなリスクがあります。05年8月に発生したハリケーン・カトリーナに対する、米・連邦危機管理庁のお粗末な対応ぶりは、過度な政治任用に原因があったということが、近年、デイビッド・ルイス・米ヴァンダービルト大学教授によって実証的に明らかにされています。組織内のトップを経験のない政治任用者が占めると、職員の士気も下がり、専門的パフォーマンスが低下する恐れもあるのです。

いま進められていることは、「政治家の役割を果たしていない政治家による政治主導」といえるでしょう。この構図を認識せずに官僚叩きに明け暮れれば、国家の存立基盤が揺らぐことにつながるかもしれません。

天下り根絶だけすればいいのか?

「このままいけば、40歳過ぎると、みんな隠れてせっせと就職活動に励むだろう」ある省庁の30代中堅キャリア官僚はこうつぶやきます。「正直言って、天下りを目指して官僚になる奴なんていない。だけど、40代前後から省内の競争がグッと激化するのは事実。これからは脱落しても面倒見ませんよ、省内には留めてやるけど、ろくな仕事はなくて、給料も民間より安い、最後までいても年金はかなり低い、ということなら、転職も真剣に考えざるを得ない」。

多くの同期入省者から事務次官1人に絞り込んでいく過程で、各省庁の官房(人事担当課)は、ポストに就けなかった者に“肩たたき”を行って、関連する民間企業や独立行政法人、特殊法人などの職を斡旋します。一度天下りした後も、後輩に交代していく必要があるため、2度目、3度目の天下り先が用意されます。これがいわゆる「渡り」です。

麻生首相は野党や世論の非難を浴びて、「渡り」の全面禁止、各省庁による天下り斡旋の猶予期間短縮に踏み込んだ。姿勢転換が遅かったことを除けば、概ねメディアでは好意的に受け止められています。

しかしこの悪名高い「天下り」、単に“禁止”さえすれば事足りるのでしょうか。

制度化されていない慣例とはいえ、官房が全員の面倒をみることで、官僚の安定性や中立性が担保されてきたのは事実です。天下り根絶は、官僚たちが、自分で自分の処遇を獲得しなければならなくなることを意味します。冒頭のコメントにみられるように、競争から脱落した過半の官僚たちが、よりよい処遇を求めて切磋琢磨する状況は果たして望ましいのでしょうか。

現在の公務員法ではよっぽどのことがない限り「降格」が認められていないため、一度局長になってしまえば、審議官には落とせないし、給料も下げられません。その状態のまま政治任用化が進んで、いったんは政治家に重用された官僚が政権交代のたびに次々と放り出されていけばどうなるでしょうか。

天下りは根絶されているし、出世にかかわらず一定の処遇を補償する仕組みもないとすれば、省内にやる気を失った中堅層が大勢滞留し、組織がよどんでいくのは明らかでしょう。

破壊だけでなくシステム再構築を

「内閣に国家戦略スタッフ30人、各省に政務スタッフ5人程度、大胆に民間登用」という方針は見た目は良いですが、これは官僚の世界で頑張るより、うまく民間から登用されたほうが出世できるということを意味しています。米国のウォール街や軍需産業の例を引くまでもなく、特定業界の専門家がロビーイングまがいに行政を牛耳ることの怖さは考えておくべきではないでしょうか。

日本では、人事院が級別定数(ポスト別の人数)を、行政管理局が組織定員(省庁別の人数)をがっちり管理してきたため、諸外国に比べてかなりコンパクトな人員規模になっています。人事院の勧告制度で、給与も民間や諸外国より安く抑えられてきました。年金も、他の先進国の半分ほどしかありません。それなりに効率の良い政府を作ってきたと評価することもできるわけです。

たしかに、天下りと特殊法人の結託による不透明な行政慣行や、6回も7階も「渡り」を続け、80歳近くまで天下りを続けた元官僚の存在など、官僚の側にもやりすぎがあったのは確かです。しかし一方で、天下りシステムで生涯賃金をバランスさせてきたのも事実でしょう。

システムを破壊するだけで再構築しないというのは無責任以外の何物でもありません。慶應義塾大学の清家篤教授はこう指摘します。「労働市場のなかで、優秀な人を採用し、国家に奉仕するプロに育て、能力を十分に発揮してもらうためには、国民はそれ相応のコストを負担する必要がある。敬意と感謝の念を示してやる気を高めるのが人事の上策である」。

その他、「幹部公務員人事の一元化」や「労働基本権付与」といった方針にも大きなデメリットがあります。いまこそ国民が公務員制度改革に関心を払うべき時ではないかと思います。

(以上、WEDGE REPORT-2009/3/20より転載)


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