太った中年

日本男児たるもの

ビジネスプラン

2011-11-02 | weblog

「ラリーとプリンス、オレを助けろ」

帰国直前のミィーテングでそう言い放ったのがパプアニューギニア人のJ氏である。

J氏によるとパプアニューギニアは金、銅、石油、天然ガスに恵まれた豊かな国でJ氏は資源に関わる仕事をしているらしい。その風貌からイメージ出来ないが、敬虔なクリスチャンでもあり、酒、煙草はやらず朝8時から夜中の1時までオフィスで仕事をして自宅に戻る生活の繰り返しをしているそうだ。

そして母親の伝手でビジネスをするため初めてマニラへ渡航した。2週間の滞在で第3空港前の分譲マンションを購入したのだから本気なのだろう。それからラリーのオッチャンの娘が勤めるレストランへ連日通い、その商業施設でレストランをやりたくなって空き店舗を探しコックまで引き抜こうとした。

ところが行き詰まってラリーのオッチャンと相談することになり、オッチャンからJ氏を紹介された。最初に会った時、出店は商業施設に店舗開発の担当者聞けば分かることを教え、結果、実績がないと審査も受け付けないということだった。さらに、まず観光ビザでのビジネスは違法であることを伝えた。

でまあ、J氏から「じゃあオレどうしたらいいの?」ってことになりまた相談することになった。ビザの件はビザ変更すればよくそのための必要書類一覧を後日彼のオフィスにFAXすることになった。問題はビジネスでこれが困った。J氏はマニラでビジネスをすることが夢で具体的なビジネスプランを持っていない。

そこで食事をしたレストランを例にして開業資金から利益計算、それが如何に失敗しているかを説明した。ビジネスならフランチャイズへの投資つー手もあるがJ氏はフランチャイズ自体を知らなくて理解できなかった。結局、J氏が次回マニラへ来るまえにビジネスプランを作らなければいけないハメになった。

すべてを任されたラリーのオッチャンは有頂天になったが「どうしたらええんやろ」と考えが変わった。

あとプリンスの英語はJ氏に通じなくてラリーのオッチャンの英語は通じるのだからミィーテングは苦労した。

そんなワケでビジネスプランに頭を痛めているのだった。ではまた。