太った中年

日本男児たるもの

ヒクソン・グレイシー

2008-05-07 | weblog

ヒクソン・グレイシー

基本情報
 
本名 ヒクソン・グレイシー
あだ名 400戦無敗の男
国籍  ブラジル
誕生日 1959年11月21日(48歳)
出身地  ブラジル
リオデジャネイロ州
所属 ヒクソングレイシー柔術
身長 178cm
体重 84kg  
スタイル ブラジリアン柔術
 
ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie、1959年11月21日 - )は、ブラジル出身のブラジリアン柔術家、総合格闘家。グレイシー柔術七段。グレイシー柔術の創始者エリオ・グレイシーの三男であり、兄弟の中でも一番の実力者とされている。

日本においては、総合格闘技の試合で高田延彦や船木誠勝など著名なプロレスラー、格闘家を相次いで破ったことで、格闘技に詳しくない一般人にもその名を知られている。バーリ・トゥードルール、いわゆる「なんでもあり」の試合、柔術の技術を日本に知らしめ浸透させた第一人者といえる。

[人物]

道場では多くの弟子を持つが、自ら黒帯を与えたのは2006年1月現在で20人。そのうち日本人は1人だけ(アクシス柔術アカデミーの代表、渡辺孝真)。
普段は非常に温厚な人格者である。一般的にラテン系の言語の語り手は早口でまくしたてるように話す人が多いが、彼は言葉ひとつひとつをゆっくりと諭すように丁寧に話す。
自然な生き方を追い求めるその哲学的な姿勢により、魅了される人々は多い。プロ野球選手の清原和博も助言を求めてヒクソンのもとを訪れたことがある。麻雀で無敗を誇ったことで有名な桜井章一とも親交があり、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラもヒクソンとスタジアムで居合わせた際自ら握手を求めている写真がある。

[ヨーガ]

ヒクソンはトレーニングの中にヨーガを取り入れている。ただし、ヒクソンのヨーガは独自のアレンジが加えられているため本来のヨーガとは多少異なる。

ヨーガの直接の師である、リオデジャネイロ在住のオーランド・カニ氏が教えるエクササイズは、ヨーガとカラリパヤットと太極拳を組み合わせた、呼吸法がベースとなる独特なもの。動物の自然なしなやかさを身に付けることで格闘家の動物的本能を伸ばすことが目的という。このカニ氏のもとでヨーガを学んだブラジルの格闘家は多い。

ヒクソンは彼のもとで1986年から1988年の終わり頃まで修行。カニ氏は、ヒクソンは特殊な例であり今までで最高の弟子とし、非常に高い評価をしている。ヒクソンはそこからさらに彼独自に発展させている。彼のヨガのエクササイズの場面がよくテレビで放映されたことがあり、今のヨガブームの一翼を担った面も多少あると思われる。

[エピソード]

ジャン・ジャック・マチャドが18歳の頃に、彼に対してヒクソンが個人レッスンをグレイシーウマイタでしばらくの間行っていた時期がある。ヒクソンは午前6時半からの練習を指定していたという。

若い頃に、黒澤明監督の映画「七人の侍」を見てかなりはまってしまったらしく、出演した侍の姿にいたく感銘した。ちなみに一緒に見た他の兄弟はヒクソンほど興味を示さなかったという(GRACIE WAYより)。

ヒクソンが2006年6月頃リオにいたとき、パウロ・フィリォと練習を行った。そのときのことをパウロはインタビューの中で、ヒクソンほど技の知識の豊富な人に今まで出会ったことがないと、驚きとともに答えている(ADCC NEWSより)。

彼の柔術の試合の90%は絞め技で終わらせていたらしい(GRACIE MAGAZINEより)。

ヒクソンがリオで柔術大会に出ていた1980年代の最大のライバルはセルジオ・ペーニャ(Sergio Penha)(オズワルド・アウベス(Osvaldo Alves)の最高の弟子の1人)だったといわれている。1981年11月29日、Carioca Jiu-Jitsu Championship大会(AABB体育館)で2人は対戦した。当時ヒクソン74kg、ペーニャ84kg。はじめパスガードされるなどしポイント12-0でリードされていたが、終盤、機を見計らっていたかのように息を吹き返すと逆襲に転じ、テイクダウンを成功させたあとは簡単にマウントをとりチョークで逆転勝利を飾った。ちなみに現在柔術界最強の呼び声高いホジャー・グレイシーの父親であるマウリシオ・ゴメスもこのペーニャを紫帯の頃に破っている。

(以上、ヒクソン・グレイシーをウィキペディアより抜粋引用)

ボアノイテ、そんなワケで、ヒクソン・グレイシー。5月5日、浜松アリーナでヒクソン・グレイシーの新団体による冠大会(ヒクソン・グレイシー杯国際柔術大会)が催された。シニアクラスではこのブログでお馴染みのJet師範がフィリピンから参戦した。しかし、ウエイトコントロールに失敗して試合では奮わず、残念だった。

この大会のオープニングセレモニーで主賓のヒクソン・グレイシーがスピーチした。これが、まあ、何と言うのか、感銘を受けた。Jet師範はヒクソンを「フケた」と言っていたが、やはり、不敗神話の格闘王らしくオーラが出ていた。ごく短いスピーチだったけれどエピソードにある「サムライ」に特別な意味を見出しているようだった。寡黙なタイプだからますます興味が湧いた。今後とも注目していきたい人物だ。

PS.

>自然な生き方を追い求めるその哲学的な姿勢により、魅了される人々は多い。プロ野球選手の清原和博も助言を求めてヒクソンのもとを訪れたことがある。

>動物の自然なしなやかさを身に付けることで格闘家の動物的本能を伸ばすことが目的という。

バットを持った原始人=清原がメンタルな部分でヒクソンに依拠したというエピソードには驚いた。ありとあらゆる意味において、ヒクソンは今世紀、最も重要な思想家である、と断言する、本当だ。