水の門

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聖書黙想 2024年2月12日

2024年02月12日 19時18分07秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
詩篇って結構、(あらまぁこんなこと祈っちゃって……!)の宝庫だよなぁ。だけど、教会の皆さんの祈りって卒がなくて、ともすると綺麗事に聞こえる。。公の場で、ぶっちゃけの祈りとか、個人的な祈りとか、咎められている人(例えば私など)を見ているから恐れをなしているのかな?
    *  *  *
<新改訳第三版 詩篇35篇19〜28節>
偽り者の、私の敵を、私のことで喜ばせないでください。ゆえもなく私を憎む人々が目くばせしないようにしてください。彼らは平和を語らず、地の平穏な人々に、欺きごとをたくらむからです。彼らは私に向かって、大きく口を開き、「あはは、あはは。この目で見たぞ。」と言います。主よ。あなたはそれをご覧になったのです。黙っていないでください。わが主よ。私から遠く離れないでください。奮い立ってください。目をさましてください。私のさばきのために。わが神、わが主よ。私の訴えのために。あなたの義にしたがって、私を弁護してください。わが神、主よ。彼らを私のことで喜ばせないでください。彼らに心のうちで言わせないでください。「あはは。われわれの望みどおりだ。」と。また、言わせないでください。「われわれは彼を、のみこんだ。」と。私のわざわいを楽しんでいる者らは、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私に向かって高ぶる者は、恥と侮辱をこうむりますように。私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。
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21節の〈彼らは私に向かって、大きく口を開き、「あはは、あはは。この目で見たぞ。」と言います。〉なんて、「神様、あいつらこんなこと言ったよ!」ってそのまま言ってるわけでしょう。
金曜日、頑張って働いて帰宅し、雪掻きがあまり進んでいなかったウチの駐車場で、屁っ放り腰になりながら車から降りて荷物など出してたら、近所の子ども達複数が、聞こえよがしに「歩けない」的に噂してる感じだった。
鬱屈を感じたけど、その後に詩篇を読んで安心した。(子どもに馬鹿にされた!)って、素直に祈っていいんだなぁって。
(私がガキなんだろうけど)子どもに怯えてしまうのは、子どもって凄く残酷な側面もあるから。でも、祈りでは、そのムシャクシャをそのまま神様に言っていいんだな、ってこの詩篇35篇とか読んでると分かる。

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