Beyond Sports

スポーツと広報・PRに関わる記事を書いていきます

そろそろ、スポーツPRの体系化を

2017-02-12 09:49:31 | スポーツ全般について思うこと

僕がそもそもブログを始めたきっかけは、2010年から約2年間、アメリカでスポーツマネジメントの大学院に行く時、現地で学んで、かつ日本で役に立ちそうなことを記録しようと思ったことでした。クラスで学んだことだけでなく、様々なスポーツイベントに足を運んで、そこで驚いたことやなるほどと思ったことも書いてきました。

2012年に日本に戻り、その後は、広報・PRの仕事に携わってきました。気が付けば4年以上が経ちましたが、いくらか変化を起こすこともできました。しかし、今でも、日本のスポーツと広報にまつわる分野は、まだまだ体系化されておらず、戸惑っている人も多く、ひどくもったいないことになっています。もう少し言うと、アメリカとは大きな差が開いています。


お陰様で、留学中に書いたブログの記事のいくつかは、googleの検索で上位に表示されるようになり、多くの方に活用されているのだな、と感じています。足りない部分を書き、整理してまとめられれば、もっと多くの人の役に立つのではないか、という気持ちが強くなっています。開架式の図書館としては日本屈指の都立中央図書館に行って、スポーツ関係の大きな書棚を見てみても、スポーツとPRについて、まとめた本は見つかりません。スポーツビジネス、スポーツマネジメント、スポーツマーケティングという言葉は浸透してきたと思いますが、それらに比べると遅れています。ちなみに、アメリカではスポーツコミュニケーションという学術分野があり、僕が留学したインディアナ大学は、その分野の研究が進んでいました。お世話になった教授たちへの恩返しという気持ちもあります。

 

新たな分野を示す言葉として何がいいのか。スポーツを仕事にしているような人たちばかりでなく、もっと広く浸透し、日本社会に受け入れられた方がいいと思って、プロの力を借りることにしました。青山ブックセンターで開催されたワークショップ「自分の肩書きをコピーライティングする」に行って、坂本和加さんというコピーライターや受講生のみんなの助けを借りながら、髪の毛をかきむしって考えました。僕は「広報」という言葉にこだわりがあったのですが、「仕事っぽく、硬い印象になる」と指摘されたので、「スポーツPR」とし、自分の肩書きとしては「スポーツPRプランナー」としました。キャッチコピーは「スポーツ周りの可能性を動かす」。スポーツそのものを変えるのではなくて、スポーツと周囲との関わりを扱うことが自分の専門分野だし、広報・PRなので、それがうまく言い表せているかなと思っています。


ということで、「スポーツPR」の体系化ですが、章立てになりそうな大まかな項目はすでに考えています。しかし、第一章から書き出していくつもりはありません。こちらに掲載して反応を見ながら、どこを厚めにしてとか、どんな事例を入れてとか、考えながら進めていくつもりです。

仕事でさらに経験を積んでいくわけで、何年かかるかわからないプロジェクトですが、まあ、やるつもりです。


答えは検索で、でいいの?

2013-09-10 10:49:16 | スポーツ全般について思うこと

昨日の記事は、150人を超える人の目に触れたようで、久々に手ごたえを感じて嬉しかったです。

このgooブログだと、簡単なアクセス解析の機能がついていて、様々なデータを見ることができるます。昨日は「東京オリンピック」や「2020年」というキーワードが大量に検索されるというのは容易に想像がついたので、考えをまとめるよりも、とにかく早く書いてしまえ!という気持ちでした。アクセス数が多かったのは予想通りと言えますが、それでも、実際に数字が出るのは嬉しいものです。

 

解析データの中には、どういう検索ワードでたどりついたのかがわかるものもあります。

昨日の分にはこんなのが並びました。

 

「東京 オリンピック どう変わる」

「東京オリンピックまでに何が変わる」

「東京五輪までに」

「五輪 日本のスポーツ 変わる」

「オリンピックまで何をする」

 

ん? 

検索でこういうのの答えを探す人が随分いるんですね。何か、生き方を模索しているのか、商機を探しているのか。。。

 

昨日の記事にも書きましたが、未来のことなんて、誰も分かりません。

自分のアタマであれこれ考えた方が楽しくないですか?


2020年東京五輪までに変わりそうなこと

2013-09-09 11:18:25 | スポーツ全般について思うこと

2020年、東京オリンピックが決まりました。

その瞬間は自分でも驚くほど冷静に受け止めました。

「仕事として携わるのは最低条件。そうじゃないと、自分の人生もつまらないな」というのが真っ先に湧き上がってきた気持ちでした。

 

プレゼンテーションや、ロゲ会長の発表は、部屋のテレビが壊れていたので、IOC(国際オリンピック委員会)の公式サイトでのストリーム動画を見ながら、ツイッターでやり取りを楽しみました。

解説やコメントが入らない中継であったのが、非常によかったです。自分の考えをめぐらせながら見ることができたからです。取材をしていた頃を思い出しました。

そして、7年後、人々はどういったメディアでオリンピックを楽しむのだろうかと考える契機にもなりました。

 

1964年、東京オリンピックは、お茶の間にカラーテレビが普及するきっかけになったことは知られています。夢ともう一度とばかりに、今回も、高機能テレビの開発に力を入れている会社もあります。

しかし、茶の間のテレビでみんなで見ることなんて、なくなっているかもしれません。

日本やアメリカなどでは、個人がそれぞれの端末で見るようになりつつあります。そして、世界的にテレビで見ない人が増えると、莫大な放送権料に支えられた今のオリンピックのビジネスの枠組みを見直すことにつながります。

 

僕がプレゼンや発表を楽しんだのと同じように、パソコン画面での中継とともに、SNSでのやりとりをするのが普通かも。

ITの進化が7年後どうなっているのかなんて、今現在の想像を超えるところになっているのではないでしょうか。タブレット端末やスマートフォンが時代遅れになっている可能性も否定できません。過去を振り返ってみましょう。2004年のアテネオリンピックの頃なんて、ソーシャルメディアとの融合なんて、ほとんど誰も想像してなかったでしょう。2004年はFacebookが創立した年。Twitterは2006年の創業ですから。

 

そして、何が起こるのか。

 

昨日までの2日間で、ツイッターやフェイスブックでのやりとりを見ていたら、自分がフォローしている人や「友達」に偏りがあることは否めませんが、いくつかのレイヤー(層)がある感じがしました。

 

(1)トップスポーツ選手とその関係者(自分が記者の仕事で相手にしていたような人たち)

(2)生活の多くの時間でスポーツに関わっている人(スポーツメディアで働いている人、自らがスポーツの指導者である人、熱心な観戦者など)

(3)他の業界の人だが、スポーツに関心が高い人

 

これらのレイヤーが、それぞれ、別々のことに焦点を置いてしゃべっているような印象を持ちました。

(1)は自分がどうオリンピックに携わるのかを気にし

(2)はオリンピックで、日本のスポーツや自分の周囲がどう変わるのかを気にし

(3)はオリンピックという巨大なムーブメントと、自分の世界の関わりを深めようと宣言する

 

これを見ていて、これから先、2020年東京オリンピックまでに起きるであろうことをイメージしました。

これらのそれぞれの層が垣根を越えて、議論を深めたり、協力したりするのではないかということです。

これは、「beyond sports」というタイトルのブログをやっている僕のような人間の願望に過ぎないのかもしれませんが。

 

垣根を越えて、議論する方法? 

ツイッターがあるじゃないですか。

 

もちろん、7年もあるのですから、取って代わるものが一気に人気になる可能性はあるでしょう。

しかし、この方向は変わらないでしょう。

目に見えない交流がさらに盛んになる。
そして、リアルの世界で形作っていく。 


残念なスポーツ選手のブログを良くするには

2013-08-27 11:16:53 | スポーツ全般について思うこと

僕もスポーツ選手のブログをたまに見たりします。

ず~っと長い間、彼らの文章は何かに似てるなと気になっていたのが、最近ようやくわかりました。

多少肉付けされていますが、だいたいこのようなパターンが多いです。

 

きょうは、イベントで○○に行ってきました!!

小さい子どもたちがいっぱい!!!

楽しかったです!!

 

とか、

 

きょうは○○選手と焼肉に行っちゃいました!

2人ともよく食べます!

あー、やっぱ焼肉最高!

 

みたいな感じです。これが似ているものって、

 

きょうはおばあちゃんのいえにあそびにいきました。

すいかをたべました。

おいしかったです。

 

そうです。小学生の絵日記です。夏休みシーズン終盤になって、思い出しました。

文章が「出来事+感想」で、終わっているんです。

 

幼稚だと思われないためには、他人が読んで役に立つような内容を加えた方がいいと思います。

「子供たちに、こんなメッセージを伝えた」とか。

「○○選手が、こんな良い事しゃべってました」とか。

 

文は人なり、という言葉がありますよね。ブログを読み続けると、どのくらいのことを考えているのか、どんな人柄なのか、わかってしまうものですね。

 

2週間ほど前、あるスポーツ選手のブログ記事が、大きな話題になりました。

千葉ロッテマリーンズの神戸拓光選手が、自分の生まれた年に起きた日航機墜落事故について、自分が調べたことや思いを書いたものでした。自分がやっている競技にも関係なく、身近に起きたことでもありませんでした。しかし、なんとしても伝えたいという気持ちのこもった文章でした。

この話を「2軍の選手じゃないか。そんな暇があるんなら、ちゃんと練習して、1軍に上がれよ」ということで片付けるのは、もったいないと思います。

競技力による序列や実績に関わらず、ブログなどでしっかりと伝えられるメッセージを持っていれば、注目を集めることができる。

そんな時代になったことは昔より恵まれていると思います。そして、そのチャンスを生かす努力もしていいんじゃないかなと思っています。


センターには、スポーツがないとね

2013-06-12 11:18:37 | スポーツ全般について思うこと

AKB48総選挙に便乗したようなタイトルで、すみません。それにインスパイアされたわけではないのですが、モヤッと考えていたことがまとまってきたので書きます。

 

最近、ある方からこんな質問をされました。

「日本はこれから少子化が進んで、サッカーのファンも減少することが予想されて、経営が厳しくなると思います。どうすればいいと思いますか?」

人口は減っていくにも関わらず、余暇の過ごし方や、観戦するスポーツだけを考えても選択肢は増える一方です。人口も、選択肢も、どちらの流れも変えることはほぼ不可能でしょう。先に言ってしまいますが、僕の考えは「限られた人たちと濃いお付き合いをして、客単価を上げる」です。

しかし、最近の日本のスポーツの現場で見られるトレンドは、他の分野に興味のある人をスポーツに取り込もうという流れのように感じます。例えば、女性ファンを増やそうと、女性向けのマーケティングで実績のある人をPR担当として雇うケースなどを聞いたことがあります。最近のスポーツニュースにも、芸人さんとのコラボレーションの話が出てましたね。子供たちに人気のヒーローものを呼ぶといったものもありますね。

ただし、そうしたプロモーション企画を見る時に、時々、気になる点があります。「それって、スポーツが横に置かれてませんか?」と。全部ではありませんが、スポーツと関係ないものを取ってつけたような企画だと感じるものがあります。


たくさんの娯楽の選択肢の中から、観客がわざわざスタジアムに足を運ぶ理由は、そのスポーツの会場ならではの特別な経験がしたいから、というのがメインの理由だと思います(中には、友達に連れられて仕方なく、と言ったケースもあるかもしれませんが)。思い切って言ってしまうと、スタジアムで売っている食べ物がおいしいと言ったようなことは、おまけです。試合の緊張感、ホームランや得点が入った時の興奮、誰が見ても一目ですごいとわかるプレー、この選手は何かやってくれそうだという期待感、そして、そうした気持ちをたくさんの人と共有することが、スタジアムに行くという体験を特別なものにしているのだと、何千もの試合を見てきた僕自身も実感しています。以前に、このブログでも書きましたが、NBAダラス・マベリックスのオーナーも、「場内に入ると、エネルギーを感じるだろう。それが、アリーナで試合を見るということを特別なものにしているんだ」と、自らのスポーツビジネスのこだわりを表現していました。

日本でも、チャンスになると、スクリーンに大きな手が出て、観客に手拍子をうながす、というような演出がありますね。これで、その競技がよくわからなかった子供が、これは大事な場面なんだとわかるでしょう。一緒に手をたたくことで、一体感を味わえるでしょう。それは、スポーツの未来につながります。地味かもしれませんが、こういうのが大事だと思います。(経営的にもコストが抑えられて良いです)

僕自身はスポーツと他の分野が入り混じることには賛成の立場を取っています。このブログのサブタイトルも「スポーツ界とその他の分野の交わりを考える」というようなものにしていたくらいです。ただ、スポーツイベントの場でやる企画は、あくまでスポーツをセンターに据えるべきです。それが置き忘れられている流れは怖いです。大事なものを見失い、結局、他にお客さんを取られてしまったら、本当に自滅だと思います。


日常の充実

2012-10-11 09:29:33 | スポーツ全般について思うこと

前回から、少々日があきました。今回は、日本とアメリカのスポーツの大きな違いだと僕が感じたことの一つを書きたいと思います。

もうすっかり時間が経ってしまいましたが、ロンドン五輪の期間中、日本はテレビも、新聞も、雑誌も、オリンピック一色となっていたのに対し、アメリカでは、そうでもなかったんです。テレビ放映が一社独占であることもありますが、五輪だからといって、新聞の一面も、週刊誌の特集も、なんでもオリンピックということにはなっていません。むしろ、スポーツ面でも、MLBの試合や、NFLのキャンプの話題などもしっかり取り上げられていました。

4年1度しかないんだよ、オリンピックってすごいじゃない、というのが日本人の一般的な感覚かもしれません。そんな話を僕がしたら、あるアメリカ人の友人はこう言っていました。

「毎日とか毎週、試合が見られるほうが楽しいでしょ」。

言われてみれば、と言っては大げさですが、例えば、毎週欠かさずフットサルをプレーしているような人を、そのスポーツを愛している人、本当に好きな人と言いますよね。決して、一年に1回しかプレーしない人を指すことはないでしょう。彼に言われて、観戦も同じじゃないかな、と考え始めました。

この田舎のブルーミントンでも、町の人たちは、大学のバスケットボールやフットボールを楽しみにし、生きる活力にしています。高校のバスケットボールでさえも、スタンドで話すと、選手の家族や友人以外に、長年のファンというのがいます。NCAAトーナメントで勝ちあがるなど全国区の話題になれば、それこそ地元紙の一面になり、大事な試合の日はまさにお祭り騒ぎです。

日本のスポーツシーンも1993年、地域密着を理念に掲げたJリーグの誕生以降、この20年で劇的に変化したと思います。プロ野球も多くのチームが地方に本拠地を移し、そこでの日常的な話題になり、人々はそれで活力を得るようになりました。そして、最近ではそうした変化はバスケットボールなどにも波及しています。しかし、だからと言って、オリンピックのようなビッグイベントに勝てるほどのパワーを持っているかというと、そこまでは行っていません。サッカーだけを見ても、日本代表のユニフォームを着た試合(五輪代表やなでしこジャパン等を含む)の注目度が、日常的にあるJリーグを上回っているように感じます。

そして最も大きな違いは、アメリカは日常的に使う施設にお金を投じます。プロの施設はもちろん、大学の体育館やフットボール場、高校の体育館やフットボール場ですら、そうしています。例えば、1996年アトランタ五輪のメインスタジアムは、終わったら、MLBのブレーブスの球場に改築されました。アメリカでサッカーW杯を行った時は、既存の収容人数の多いフットボール場を使いました。これは余談ですが、留学する数年前に、ある大学の巨大なフットボール場を見た時、そこの人に、こんな金のかかる施設をつくって、コストは大丈夫なのか?と聞いたら、1試合での収入がすごく多いから大丈夫と笑われました。今となっては、恥かしい話です。つまり、日常的に行われているスポーツが注目度を上げ、ビジネス的にも育って、大規模なイベントに耐えうる施設になっているという形です。

これに比べると、日本は「ビッグイベント依存症」のように見えます。スポーツ施設は、オリンピックやサッカーのW杯、国体のような何十年に一度あるかというスポーツ大会がなければ、なかなか新設や改築がされません。しかも、その開催基準に合わせたものがつくられるため、その後の日常的な使用には不便な箇所が出てきます。周辺人口に比べて巨大すぎるスタンド、アクセスの悪さ、めったに使わない部屋や設備などです。今の東京五輪招致でも、「オリンピックが来たら、施設ももっとよいものができます」と、アスリートたちが訴えている報道をたびたび見かけます。感覚的な話になりますが、また、日本の施設は無機質というか、設計全体や細部に遊びがなく、1時間座っているだけで疲れてしまう感じがします。日常使いとしては使い勝手が悪いというか。アメリカのこんなの

とは違うでしょ。指定管理者制度が導入され、日本の施設も少しずつはよくなっていると思いますが。

 

どんなビッグイベントも終わってしまえばスタッフは解散します。施設を日常的に使っているチーム用に改善すれば、収入も増えてチームは存続しやすくなり、スポーツ産業に新たな雇用を生み出すことにもつながると思います。

もっと日常の充実を


スポーツ旅行のつくり方

2012-09-06 08:51:45 | スポーツ全般について思うこと

この夏の間、スポーツをテーマに、アトランタ、フィラデルフィア、カンザスシティなど様々な場所に旅行しました。スポーツ旅行と言うと、マラソンやトライアスロンに参加するようなアクティブなイメージを持たれますが、僕の場合は完全に見学一辺倒です。スタジアムの中は、目の肥えたファンや洗練されたエンターテインメントなど、日本では絶対に味わえないような興味深いものでいっぱいです。アメリカに観戦旅行に行ってみたいという人も少なからずいると思いますので、僕なりに、どうやってスポーツ旅行の日程を組むのかを今回は紹介したいと思います。

(1)「地球の歩き方」を捨てる

これまで様々な都市に行ってきましたが、この冊子を片手に観光名所で日本人の多数派と同じ体験をなぞって、「思ったより、たいしたことないじゃん」というような文句を言っている若者を見てきました。悲しくなります。定番スポットやお店を見落としても、いいじゃないですか。自分の感性を信じて、面白そうだなと思うところに行きましょう。まして、海外までスポーツを見に行ってしまうようなアナタなら、自分なりの特別な体験を求めているんじゃありませんか?

(2)その代わり、ネット上の無料の情報をフルに活用する。できれば、英語で。

複数の情報源を得られること、中には批判的な内容もありますが、それも大事です。例えば、スポーツ観戦だと、その都市に在住している一家の奥さんが、日本でもプロ野球を見たことないのに、メジャーリーグで観戦デビューしちゃいました、といったような内容のブログを見つけることが出来ます。こういうのが、エンターテイメントの面白さや売店の食べ物の評価などを新鮮に描いていて、面白かったりします。英語だと、メジャー、マイナーのあらゆる球場を紹介したサイトなど、日本ではなかなか得られない細かい情報が得られます。その都市にどんなスポーツチームがあるのかは、ウィキペディアの英語版で都市を調べると、MLB、NBA、NFL、NHLの四大スポーツだけでなく、ラクロス、アリーナフットボール等マイナーなものも含めて一覧することができます。

(3)主な見どころは

試合、スポーツの殿堂や博物館、スタジアムツアー、チームのオフィシャルショップ、スポーツバー、コレクター向けスポーツグッズ店などです。このほかに個人的なお勧めとしては、スポーツに関する銅像やアートが挙げられます。例えば、シカゴの中央駅の近くには、大きなバット型のオブジェがあります(画像)。2つのMLBチームを持つこの街にとって、野球がいかに大きな存在なのかを物語っています。また、Dick'sやSports Authorityなど大型のスポーツ用品店を覗いてみるのも面白いです。その地域で何が盛んなスポーツなのかがわかったり、品揃えの日本との違いや、日本のスポーツ用品メーカーがどのように商品を展開しているのかなどを知ることができます。チームのグッズもスタジアムより安く売っていたりします。

(4)一度に複数のものを楽しめるようにする

旅費は結構バカにならないですし、仕事で忙しくなればなかなか時間もつくれず、その都市に行けるのは一生で一度かもしれません。だとしたら、味わい尽くそうではありませんか。僕の場合は、2日間で異なるスポーツを観戦できるようにスケジュールを組むことが多かったです。NBAとNHLの連戦は、たとえ同じアリーナを使っていても中の飾りつけが違ったり、スポンサーも違えば、演出も違います。そして、客層も違います。メディアを通じてではわかりにくい、そういうことを見るのがすごく勉強になります。他にも、野球とサッカー、フットボールとバスケットボールなどシーズンが重なる月があります。同じ都市にある一つのスポーツがオフシーズンなら、そこのスタジアムツアーが楽しめます。 

(5)時間の決まっているものを優先的にスケジュールを組む

見たいスポーツの試合がある時にその都市に行くのは当然ですが、他の行動も時間の決まっているものを優先的にスケジュールを埋めていきます。例えば、スタジアムツアーなら集合時刻を決めて切符を買う必要がありますし、おおよその所要時間もその時に問い合わせれば教えてもらえます。殿堂や博物館は、ホームぺージで見て、休館日や開館時間に注意しなければなりません。スポーツバーなら、夜遅くても大丈夫です。

(6)行き方はグーグルマップでOK

公共交通機関を使って、目的地にたどり着く方法はグーグルマップのdirectionsという機能で調べることができます。もちろん、チームのホームページにも試合の日の交通機関についての説明があります。アメリカだと、マイカーで行くことが前提になっている郊外のスタジアムもあります(カンザスシティがそうでしたが、タクシーがたくさんありました)から、調べて厳しそうなら、デーゲームにするとか、タクシーの迎えを頼むとか、安全性を高めることは心がけましょう。 

スポーツ旅行も、普通の旅行と同じで、最初はパッケージツアーで行って、慣れてきたら個人旅行というパターンがよいのではないかと思います。今なら、個人が移動のチケットからホテル、観戦チケットの予約から、地図で行き方を調べたり、現地への様々な問い合わせまで、すべてネット上で行うことができます。僕が大学生だった20年ほど前なら、個人のスポーツ旅行というのはどれだけ大変だったか。数日前に試合の開始時間が変更になって見逃したこともありました。ただ、苦労したこと、大変だったことほど今でも印象に残っているんですよね。


オリンピックとソーシャルメディアで思い出すこと

2012-08-07 18:28:29 | スポーツ全般について思うこと

ロンドン五輪も半ばを過ぎました。アメリカは日本のようにオリンピック一色ということはありませんが、それなりに盛り上がっています。

ただ、アメリカで日本の競技の様子を知るには、ウェブサイトのテキスト速報やツイッターが頼りです。この街で周りにいる日本人も全員がスポーツ好きというわけでもないですから、喜びを分かち合うのも、ソーシャルメディアで、となることが多いです。遠く離れているロンドンの試合会場にいる人、日本でテレビを見ている人と思いを共有するというのは、新しい楽しみ方で、新しい感覚を味わっています。このことは、オリンピックが来るたびに思い出すでしょう。2012年は、こうだったと。

今回は、様々な報道で、ソーシャルメディアが本格化して初めてのオリンピックと言われています。上に書いたような楽しみもある一方で、ツイッター上の乱暴な発言でチームを追放されるような残念な事態も起きています。国際オリンピック委員会(IOC)も、これまでよりソーシャルメディアに積極的な姿勢を見せる一方で、スポンサーや放送権を守る立場から規制もかけています。この関わりは、まだまだ発展途上ということなのでしょうね。

 

オリンピックとソーシャルメディアというテーマが語られるのを見ると、僕はいつも記者時代に取材していたある一人の選手を思い出します。

スピードスケート・ショートトラックの第一人者として長きに渡って活躍した寺尾悟選手です。少々マニアックな競技かも知れませんが、世界選手権ではメダルをいくつも取りましたし、オリンピックではメダルは取れませんでしたが、1994年リレハンメル大会から2006年トリノ大会まで4度も出場しました。

この選手は、ソーシャルメディアやブログなどという言葉が一般化するはるか前に、自らホームページをつくり、練習や試合で見たこと、感じたことを日記風に記録していました。いわば、日本スポーツ界のソーシャルメディアの先駆者です。バンクーバー五輪の代表になれなかったことを区切りに現役を引退しましたが、今も競技には別の立場で携わっており、その日記も時々更新し続けています。こちらです。1997年から日記は始まっていますね。

五輪担当記者はカバーする競技数が多く、ショートトラックは五輪シーズン以外はなかなか取材にいけなかったのですが、この日記を読むことで、彼の行動や考えをフォローしていました。特にオフシーズンにどんなことをして、どんなことを考えているのかなどを知れるのはとても興味深いものでした。取材の下調べに役に立っていたという記憶が残っています。

ある時、ウェブ上で日記をやっている意味みたいな話になった時に、寺尾選手から、記者さんたちに聞かれたことはその場で答えます、それ以外に言いたいことを日記には書いています、というようなことを聞いたことがありました。

寺尾選手はショートトラックをもっと多くの人に知ってほしいという強い気持ちを持った人でしたから、取材にはいつも気持ちよく答えてもらっていました。一方で、僕は記者として対抗心と言うか、恐怖心のようなものも持っていました。勝負の分かれ目や、変化の鍵になったところを見極めて、よい質問が出来なければ、選手に日記上で「そうではありません」と明らかにされてしまうわけです。

これって、多くの選手がソーシャルメディアを当たり前のように使うようになった今、さらに一般的になってきているポイントだと思います。マスメディアとソーシャルメディアの使い分けです。オフィシャルサイトやブログ、ツイッターなどをやるようになったからといって、選手はマスメディアとの関わりがなくなるわけではありません。オリンピックのような大きな舞台では殊更、マスメディアの影響力の大きさを実感するでしょう。インターネットをあまりやらない人、自分やその競技の熱心なファンではない人にまで、届くパワーがあります。また、マスメディアは別の人から見た客観的な評価という役割もあります。時には厳しい批判になることもあります。一方で、ソーシャルメディアは自分が直接内容をコントロールできます。取材では聞かれない胸のうちや、メディアの人が入ってこられないようなシーンの紹介をできます。ファンからの質問に答えるという直接交流も可能です。

コミュニケーション理論の一つに、「Uses and Gratifications Theory」というのがあります。それぞれのメディアを使って、受け手はどのような満足感を得ているのかという話です。受け手は知らず知らず、使い分けているわけです。逆に、発信する側である選手のうち、どのくらいがこういったことを意識しているのかなというのは、ちょっと気になります。

以前に書いたブログ記事を1本、参照として紹介しておきます。「フォロワー数の多い選手は何をしているか」

オリンピックの終盤戦は、そんなところにも注目しながら見ていきたいと思います。


大学のサイトにも五輪特集

2012-07-24 18:24:26 | スポーツ全般について思うこと

アメリカは他にもビッグニュースがあって(ペンステイト大学フットボール部の件など)、そうでもないですが、日本はオリンピック報道一色になっているのではないでしょうか。日本だと開幕直前のこの時期、壮行会と、出発もしくは現地入りの報道が連日山のように出ますが、アメリカではそういったニュースはほとんど見かけませんね。単なる報道スタイルの違いだと思いますが。

せっかくアメリカにいるので、オリンピックに関する話題も、ちょっと違う切り口で伝えようかなと思います。

昨日、インディアナ大学のサイトを何気なく見ていたら、トップページに今までなかったバナーがありました。大学のサイトでも簡単な五輪特集が組まれていました。(下の画像をクリックしてみて下さい。リンクが張ってあります)

ロンドン五輪には、インディアナ大学から現役、卒業生を含めて、7人が出場することが紹介されています。内訳は競泳3、飛び込み1、陸上1、ホッケー女子1、サッカー女子1です。7人のうち、アメリカ代表は2人だけ(飛び込みとホッケー女子)で、あとはフランス、ハンガリー、ドミニカ共和国(以上、競泳)、カナダ(陸上)コロンビア(サッカー女子)となっています。

アメリカの大学って、こういう外国の代表クラスの選手を体育会のチームに抱え込んで、間接的に他国の強化に貢献していることを知った気がします。

 

この7人の中で、直接プレーを見たことがあるのは、サッカー女子のコロンビア代表、Orianica Velasquez選手です。大学の女子チームは正直言って弱いのですが、イレブンの中でスピードもドリブルでのキープ力も抜きん出ていて、サイドに張った彼女にボールがおさまると、他の選手がゴール前へと入っていって攻撃が活性化するので、非常に印象に残っています。コロンビアは「なでしこジャパン」とは別組なので、決勝トーナメントにいって対戦したらと、個人的には楽しみにしています。

この五輪特集サイトには、この大学の過去の出場選手の一覧などもあります。それから、競技に関連した研究を行っている学内の教授らに、専門的な見方を語ってもらうインタビューもいくつかあって、面白いです。水泳部の監督に3人への期待を聞いたり、過去のデータから、今回の競泳の優勝タイムを予想したりとか、この大学とオリンピックというテーマをうまく結び付けて、関心を高めるようにしています。

関連するリンク先やツイッターアカウントもまとめてあり、シンプルだけど便利なつくりで、「いいね。これ」と素直に思いました。


パラ陸上全米代表選考会で驚いた

2012-07-01 22:14:12 | スポーツ全般について思うこと

ロンドンでのオリンピックの開幕が約1ヵ月後に、パラリンピックの開幕(8月29日)までも2ヶ月を切っています。前回は、競泳の五輪代表選考会のウェブサイトで得たネタを書きましたが、今回は陸上のパラリンピック全米代表選考会に行ってきたので、そこで気付いたことを書きます。

会場は僕の住む街からは車で1時間程度のインディアナポリス。街の中心地にほど近い、IUPUIと呼ばれる大学(私が卒業したインディアナ大学と同じグループの大学)の競技場です。僕が行ったのは多くの決勝が行われる夜の部ではなく、主に予選を行う午前の部でした。そのためか、閑散とした雰囲気でした。ちなみに、それでも入場料は10ドル取られます。


僕は日本でもパラリンピック系の陸上は見たことがなく、今回が初めてです。2時間ほど観戦した中で2つのことに驚きました。

(1)様々な障害を持つ人が一緒に競技する種目もある
ちょっと意外だったのですが、全米代表選考会と言えども、一つのクラス(障害の種類、程度)にそれほど多くの出場選手がいるわけではない種目もあります。全部で10人ほどの女子砲丸投げを見ていると、視覚障害者、義足の人、手や腕などに麻痺の障害がある人が一緒に、順番に並んで競技していたのです。確かに、競技の結果の測定は同じなわけで、わざわざ他の時間帯に分けるよりも効率的です。一人で複数の種目を掛け持ちする人もいる中、全日程を3日間で終わらせますし。もちろん、視覚障害者には投擲する場所まで案内したり、拍手や声で狙う方向や距離を伝えるガイド兼コーチのような人が付いていたりするという違いはあります。それと、違う障害を持つ同じ競技をする人がお互いをリスペクトし、励まし合っているのも、「いいなあ」と思う光景でした。

(写真の大きさが違ってすみません)

 

(2)全米代表選考会なのに、他国の選手がいた
選手のユニフォームを見ていると、あれ?と気付きました。全米代表選考会ですが、ベネズエラ、コロンビア、メキシコなどと書いてある選手がいるではありませんか。にぎやかに思い切りスペイン語で話している一団もいました。競技役員に聞いてみたところ、「パラリンピックに出るには参加標準記録を破らなければならないけど、(記録が認められる)公式の大会というのは数が限られるから」と説明してくれました。結構遠いですよ、ここまで来るの、と思っていたら、同役員によると中国からも来ているとか。会場を去る時によく見たら、英国の選手もいました。「(パラリンピックの)開催国だろ!」と突っ込みたくなりましたが、逆に見ると、飛行機で何時間掛けてでもというくらい機会は少ないのかと。遠征費とか、どう工面しているんだろう。聞けばよかったです。

(英国チームの関係者が視察中。帽子に国旗のマークがありますね)

 

他にも、この競技場は小さいですが、トラックやフィールドとスタンド、また周辺の競技スペースや道路との段差がなく、すべてスロープになっていること。また通路の幅が広く、車椅子でもすれ違えることなども大切なんだとわかりました。ちなみに選手たちが泊まっているホテルは2ブロックほどと近く、そこまでも段差なしで行くことができます。スポーツ大会だとシャトルバスという発想になりがちですが、こうした選手たちにとっては不都合に違いないですもんね。

 

 

現場に行くとやっぱりいろいろな発見がありますね。


田舎にいると、よくわかる

2012-03-08 20:01:42 | スポーツ全般について思うこと

いつも書いているように、僕の住むブルーミントンは田舎です。

人口は7万人ほどで、うち5万人が大学の学生や職員と言われている、典型的なカレッジタウン。ちょうど2年前の今頃、出願した大学院からポツポツと合否の知らせが届きました。候補の中から、どこかひとつに行き先を決める時、大学で学べる内容はもちろんですが、都会の学校に行くのか、田舎の学校に行くのかも結構重要な基準になると思います。僕は、都会に住むと、お金をたくさん使ってしまうことと、現実逃避で日本語に触れる機会が増えてしまいそうな気がしたのと、もともとの生まれが田舎なので、迷うことなく田舎の学校を選びました。

気がつけば1年8ヶ月が過ぎ、ここでの暮らしにもすっかり慣れました。そして、住みながらスポーツビジネスを学んでいるうちに、この街の、自分の周りにあるビジネスというのがよく感じ取れるようになってきたと思います。

例えば、街にはいくつかのアジア料理のレストランがあります。中国人、韓国人の留学生が何千人といるので、需要はあります。特に最近は中国からの学生が増加傾向にあり、それに伴って、中華料理のビュッフェ(定額料金で食べ放題)の新規オープンがあったり、改装があったりしています(ニーズ、新規参入)。キャンパスの近くなら、値段が多少高くても、便利なので客が多く来ますが、遠い店は品数を増やしたり、値段を下げたりしています(ポジショニング、競合)。アジア系のスーパーが何店かあり、そこで売られるものにも変化があります。例えば、学生数の変化に伴って、日本のモノが減って、中国系のモノが増えるとか(仕入れ、物流)。田舎のわりにはアジアの食べ物が充実しているとは思いますが、それでも、日本人である僕は、おいしい日本食がないなぁというような不満を抱えています(潜在需要)。たまに冗談で、和食の店を開いたら勝てるんじゃない、なんてことも言ったりします。

ほかの学生に聞いたところ、地元のビジネスは、クラスでの教材にもたまに使われているそうで、オーガニック食材店のPRプランを考えるだとか、花屋のマーケティング的な分析をしてプランを提案するというような課題は日常的に行われているとか。

 

少し観点は違いますが似たようなことは、スポーツビジネスの現場でも感じ取ることができます。

僕がひとつ、これはと思ったのは、大学のサッカーにおけるプロモーションにおいてでした。

インディアナ大学の男子サッカーは全米王座7回とかなり強いのですが、集客には少々苦労しています。アメリカにおいては、フットボールとバスケットボールの人気には遠く及びません。そこで、集客のためのアイデアとして、「全米で最もエキサイティングなサッカーのハーフタイム」と少々大げさな名前をつけて、出来立てのピザがデリバリーされて、学生の間で争奪戦が繰り広げされます。もちろん、無料のプロモーションです。

(こんな感じの車が横付けされ、ピザをゲットした観客は大喜び!)

もちろん、この企画のためにピザ屋は大学スポーツのマーケティング部門に対して、スポンサー料を支払っています。このピザ屋はこの町にしかないチェーンなので、地元の人のお金で経営が成り立っており、スポンサー料はその一部から出ていっていると考えられます。店は、スポンサー料と同じくらいの金額を広告に使うこともできるし、還元するなら割引券を街頭で配ってもいいと思います。

でも、ここでスポーツが一枚咬むと何が変わってくるのかを感じることができます。すなわち、ビジネスの中に、スポーツのスポンサーシップがどう関わっているのかが、小規模であるからこそ、よくわかるのです

 例えば、

○ピザ目当ての観客を呼べる

○ピザ屋が新しい顧客にリーチできる

○ピザ屋の印象がよくなる

○ピザ屋の名前が観客の記憶に残る

○サッカーの試合のことも記憶に残る

○わくわくする時間を与えられる

○また来たくなる

 などなど。

スポンサー、スポーツの両方にメリットがあることがわかります。ピザ屋の顧客のうちかなりの割合が大学生でしょうから、お金の流れとしては、この小さな街の中でぐるりと回っているだけです。しかし、スポーツが関わることで、単なる社名の広告や無難な割引よりも、増幅して強力に人の心に影響を与えられている可能性が高いです。

大都会では、超人気チームの試合会場に行ってもさまざまなことが複雑に入り組んでいて、このようなことは見えにくいかもしれません。別の発見は当然、あるとは思いますが。

「田舎の学校を選んでよかった!」と、思うこともあるんですよ。