Beyond Sports

スポーツと広報・PRに関わる記事を書いていきます

ランゲージエクスチェンジを超えて

2012-04-23 15:32:18 | アメリカ生活と異文化体験

今回は久々にスポーツとは関係のない話題です。(日付の横のカテゴリーが違うでしょ)

春学期の終わり、つまり1学年の終わりが2週間後に迫っています。僕自身はすでに卒業していますが、同じ時にスポーツマネジメントの修士課程に入学した人など、友人の中には、まもなく卒業という人も結構います。約1年半に渡って、夏休みも、冬休みも続けてきたランゲージエクスチェンジ(日本語と英語を互いに教えあう)のパートナーも、学部を卒業します。ずいぶん前になりますが一度、このブログで、英語の勉強法としてお勧めしました(こちらです)。

先日、その最終回ということで、長いことやってきたその道のりを、彼とともに振り返りました。英語の学び方は、僕が日本の文化や自分の関心事について、事前に英文を書き、彼が文法や表現を添削し、会った時にそのトピックの補足や派生事項を英語で会話していくという方法でした。

話題は「キティちゃんの始まり」や「人気ゲームの紹介」のような軽いもの、「本音と建前」、「守破離」のような見えない日本文化に触れるもの、「高齢化社会に向けた新しいマーケット」「スカイプを使った語学学習」などの新しいトピック、また、「神社と寺の歴史」など難解なテーマも扱いました。毎回、自分が課題としていたことは、ウィキペディア英語版の情報以上のものを提供することと、テーマに関するウェブの記事を3つ以上は読んで、要約や編集をして出すことの2点でした。毎回、準備には2時間以上かかりましたが、かつて文章を書いてお金をもらっていた者として、意地でも面白いものしか書きたくなかったのです。

僕としては、英文を書く力は間違いなく上がったと思いますし、即興で会話をしていくことも随分上達したと思います。相手がすごく頭がいいので、概念的なこともよく話しました。始める前には期待していませんでしたが、自分はスポーツに関係のない話でも、何かをわかりやすく説明することには情熱を持っているとわかったし、日本の文化や話題を外国の人に説明するのは簡単ではありませんが、非常に面白いと感じるようになりました。こういう理解やリンケージを築くことが自分が好きな事なんだと気づきました。

向こうから言われたのは、自覚はあまりありませんでしたが、日本語の記事を書く中で身につけてきた文章を書くスキル、例えば、書き出しの工夫や構成力、主張をサポートする的確な例の探し方などは英語で書いても少なからず有効であるとのこと。読書量が半端じゃない人から、そう言われるのは、お世辞としても多少は自信になります。また、文化や言語だけでなく、あなたの人柄や経験を学べたのは大きかったということ。僕の方がだいぶ年上ですからね…。

そう聞いて、僕は頭に思い浮かんだことを口にしました。"Our experience is beyond the language exchange." 僕はbeyondって言葉が好きみたいです。そして、彼との交流も、これから先、何らかの形でbeyond していくだろうと確信しています。


機会に貪欲に

2011-08-17 23:17:23 | アメリカ生活と異文化体験

アメリカの大学にとって8月は、人の入れ替わりの時期に当たります。

9月の新学期を前に、今週からオリエンテーションが始まるので、新入生がたくさんやってきます。また、5月の卒業式後も、サマーコースをとっていた人が単位をとり終えたり、仕事を探したりしていた人の新天地が決まったり、それから日本人の友人も帰国して職場に戻ったりしています。

そうした日本人の友人と「1年もいるのに、意外と、行っていない所とか、やっていないことがたくさんある」という話になりました。自分の1年を振り返ってみても、身近なレベルでは、おいしいと評判のレストランなのに行っていないとか、ちょっと大きなレベルだと、イチロー選手のプレーって見てないとか、いろいろあります。

行こうと思っているうちに、移転したり、なくなってしまったり、と状況が変わることもよくあります。スポーツ関連で言うと、先月末、大リーグのトレードがあって、日本人選手が移籍したりもしました。「いいや、また今度」と考えると、実現は一年後になってしまうことも、イベントではあったりします。

忙しいとはいいつつも、人間は優先順位をつけてやっているもの。やりたいことを手帳にリストアップすることを心がけています。そして、おおよその実現できそうな時期も書きます。1ヶ月前とか、近づいてきたら、詳細な日程を決めて、自分に予約を入れるようにしています。

 

今はサマーコースのテストを終えて、2週間あまりの完全休暇を迎えています。いろいろなスポーツの現場を回っています。足を動かし続けること、行動し続けることが局面を打開する唯一の方法だと信じて。


この1年で何を得たか

2011-04-02 23:43:15 | アメリカ生活と異文化体験

先日、日本の知り合いからMBAに合格したという連絡をもらいました。

そういえば、僕も去年の今頃、ようやく合格が決まり、「入れるかな」という不安な日々が終わって、いよいよ現実のものとして、留学生活へ踏み切ったわけです。

それからは準備、退社、送別会ラッシュ、海外引越し、生活立ち上げ、クラス開始などなど経験のないことを次々と経て、ここまであっという間に月日が流れています。

このタイミングでまとめておくのがよいと思ったので、今回はこの1年で何を得たのかを書きたいと思います。

 

(1)英語環境でなんとかやっていけそうだという自信

留学した目的の一つは、英語の環境に適応して、日々の生活を送れるのかというチャレンジでした。僕は子供の頃から父親の仕事の都合で8つの街で暮らしたことがあります。じっくり型ではありますが、適応力にはそれなりの自信がありました。それが異文化、違う言語でもできるのか、と長年思っていましたが、こちらで特に心身の調子を崩すこともなく、やることができています。信頼できる人、助けてくれる人にも恵まれていますね。仕事をすることを考えると、英語力はまだまだ足りませんが、なんとかやっていけそうだとは思っています。

(2)スポーツに関するさらに深い考察

スポーツについてもっともっと追求するというのも留学の柱です。このブログにもよく書いていますね。クラスでは「こういうことを知りたかったんだ」ということを学べています。例えば、スポンサーの提案の実践的な練習とか、スポーツの財務やファンドレイジングについてなどです。大学やプロの試合を見に行くことで、新しい発見もあります。日本のスポーツ界の特殊性も、離れてみることでわかることがあります。例えば、日本ではいわゆる五輪スポーツはかなり知名度も高く、恵まれているなと感じます。五輪のない年でも、季節に合わせてそれなりに取り上げられていますし。こちらの報道では、ほとんど見たことがありません。こうした考察も含め、日本では得られなかったものばかりです。

(3)日本に関する違った見方

スポーツ界に限らず、日本の見方がいろいろ変わりました。アメリカの若者における日本の認知度というのは、もはや車や電化製品ではなく、ほとんどゲーム、マンガ、アニメに限られているとか。自分が働いている時はよくわかっていませんでしたが、どうして日本のメディアは一斉に同じネタで(時にはかなり細かいと思われるネタでも)どっと騒ぐのか、とか。寿司がアメリカの生活にここまで浸透していることとか。

日本に住む友人と話していて、どこか話がかみ合わないというか、違和感があるということもあります。日本への見方が変わり、自分の価値観も変わっているのでしょう。日常生活で体験することのほかに、日本の情報に触れるルートと分量がかなり限られているというのも、見方が変わるのに多分に影響していると思います。

(4)大きく広がった仲間

留学に動き出した時点で、同じカウンセラーのつながりなどで他の国、他の専攻で留学する人と知り合いになりました。留学先を決めるのに、アメリカでスポーツマネジメントを学んでいる方々が貴重なアドバイスをくれましたし、人も紹介して頂きました。大学では、クラスメイトや教授らとすごすだけではありません。同じ大学にいる日本人のつながりでは、ビジネス、法律、生物、物理、音楽、教育など、自分とはまったく違う専門分野の人と交流する機会があります。留学生向けの英語クラスでは、専門性のほかに、出身国も違う人と話をすることができます。スポーツについてまったく知らない人を相手に、自分が学んでいることや、やろうとしていることを説明するのも、やってみると結構面白いです。会社で働いていた時は仕事に関係した人には人脈が広がっていきましたが、それ以外の世界の人と親しくなるのは時間がなく、難しかったです。視野も狭くなっていたのだろうと今は思います。

それと忘れてはいけませんが、ブログとツイッターを始めたおかげで、つながることができた方もたくさんいます。直接会っているわけではありませんが、ブログは更新すればおよそ100人の方に来てもらえてますし、ツイッターのフォロワーも290まで増えています。この人数が部屋に集まってくれているとしたら、と想像すると、すごいことだなと感じます。

 

得たものばかりでないのも事実です。退職したので収入はストップ。会社の肩書きが外れた僕には、用のない人もいます。会えなくなってしまった人や、お手伝いが出来なくなってしまったこともあります。

得たものも、なくしたものも含め、もう元には戻らないのだろうという覚悟はあります。後悔は微塵もありませんが。

否応なく、変わってしまう、というのが「留学する」ということなのではないでしょうか。


「名もなき挑戦 パク・チソン自伝」を読んで

2011-01-16 23:06:26 | アメリカ生活と異文化体験

年末に実家にお願いして、いくつか「救援物資」を送ってもらいました。中でも一番楽しみにしていたのは、何十冊もある欲しいもの中から選びに選んだ5冊の書籍でした。思い入れと自分の置かれた状況から、迷うことなく最初に手に取ったのが「名もなき挑戦 パク・チソン自伝」です。

 

サッカーファンの方ならご存知でしょう。韓国代表の中心選手で、世界最高チームの一つ、マンチェスター・ユナイテッドに所属するパク・チソン(朴智星)選手の本です。経歴は本にも書かれていますが、Jリーグの京都サンガでプロデビューし、2002年ワールドカップで韓国のベスト4に貢献した後、同代表監督だったヒディング監督に引っ張られる形でオランダのPSVに移籍し、今は才能ひしめくマンUの中盤でも輝きを放っています。

僕がまだ若手記者で京都サンガに出入りしていた頃、ちょうど新加入選手としてやってきました。大人しい選手でしたが、一生懸命動いていい仕事をするなという印象を持っていました。ワールドカップ日韓大会のポルトガル戦での得点シーンは今もはっきりと思い出せます。欧州に出張していた時、オランダでのプレーもテレビで見たことがあり、今でも動向を気にしている選手です。派手でなく、チームのために献身的なプレーをしながら、大事な時には大きな仕事もやってのける。そんなタイプの選手で、大好きです。自分も組織でそんな人になりたい、といつも思っています。

そのチソン選手が自伝の中で、いかに海外で生き残ってきたかを語るのですから、これは貴重なアドバイスとして読むしかないと思いました。

本の中から、心に刻んだ言葉を書いておきます。

 

結局、成功というものは自分を捨ててこそ手に入れられるものだ。

 

その選手が、最高の才能を有しているか、否か。たとえ有していても、それはフィールドで最高の力を発揮できる保障にはならない。


幸運とは、自分の力で作り出すものだ。


敗因を自分のなかに見つけ出せば、それは確固たる敗因となる。しかし他の場所に探したのなら、それは敗者の言い訳にすぎない。(ロイ・キーンの言葉)

 

敗北をすばやく克服し、再び立ち上がれる精神的な回復力こそ、成長の階段を上っていくための力になる。

 

出発よりも重要なことは、自らがどこに進もうとしているかだ。結局、達成する速度が問題なのではなく、自らが立てた目標に向かって粘り強く進むかどうかにかかっているのだ。

 

日々の些細なこと。見逃してしまいそうな周囲のもの。それらを大切に扱うことによって、より大きなプレゼントが目の前に現れるはずだ。

 

勝利というものは結局、献身的な選手が多いチームに訪れるものと信じている。

 

自分が選択したことこそ、本当に楽しむことができる。周囲がどんなにいい言葉をかけてくれても、自らが望んだことを選択していかなくてはならない。

 

楽しもうぜ。恐れるな。まずは自分が満足できるプレーをしよう。それがみんなのためになる。

 

自らにムチを打つ準備はできているか? 夢に向かって粘り強く進んでいく覚悟はできているか?


このブログの読者の中にも、海外で生活を送っている方や、新しい環境にチャレンジしている方がいると思います。少しでも役に立てたら、うれしいです。


経験集めはやめよう

2010-11-09 22:45:53 | アメリカ生活と異文化体験

最近、日本でもFacebookの利用者が増えているらしいですね。
僕はこちらに来る直前、留学する仲間に勧められて始めましたが、アメリカの大学生にとっては必須アイテムという感じです。
Facebookでは自分が行ったパーティーやイベント、旅行などの写真を掲載するのが定番で、みんながそれについてコメントをくれるというのが主な楽しみ方になっています。
ただ、それらを眺めながらいつも思うことが一つあるのです。経験集めはやめようと。

僕も一年くらい前まですごいことだろうと思って、写真を見せたり、体験をちょっと自慢したりしてました。
記者の仕事をしていると、普通ではなかなか体験できないことをかなりたくさん経験できるのは事実です。
オリンピックも肌で感じた、ワールドカップも取材した、ウィンブルドンも見た、メジャーリーグの球場だって10以上行っている。
正直言って、初めて会った人に飲み会などでこういう話をすると強烈なインパクトを残せたと思います。「うららましい~」と言われて優越感を味わったことも何度もありました。

でも、見た、行った、やったに大した意味はないんです。

この大事なことを教えてくれたのは、留学カウンセラーの方でした。
大学院に出願する時にはレジュメ(経歴書)やエッセイで、自分がどういう人間であるのかをコンパクトに伝えることが必須です。
僕は、上記のような見た、行った、やったをズラッと並べて、どうだ、という気持ちになっていました。

しかし、それは勘違いも甚だしいものでした。

カウンセラーの方からは「体験を通じて何を学んだのか。自分と周りの何が変わったのかを書いてください」と念を押されました。
受け取る側からすると、何を自分たちの学校にもたらしてくれるのか、変化を起こせる人なのか、という部分を知りたいわけです。

個人の人付き合いでは、あまり意識していないかもしれませんが、周りによい変化を起こせる人はやはり多くの人に好かれているのではないでしょうか。
例えば、珍しい動物を見たという自慢は、聞かされる他人にとって大した意味はないんです。それより、その珍しい動物を見たことで自然保護の意識が高まって、募金活動を始めたとなると、他の人にもすごく意味が出てきます。
話を聞く側になった時に、僕が今書いていることが分かるんじゃないかなと思います。

僕自身を例にすると、いろいろなスポーツの現場を見たことに意味があるのではなく、そこから、学んだことを元に、たくさんの人にお返しをして初めて意味があるわけです。クラスで発言することもそうですし、スポーツのルールや知識を周りの人に教えたり、時にはスポーツで将来やりたいことも話します。それが、このブログを書いている理由の一つでもあります。

トライするのをやめろと言っているわけではありません。それで満足するのはどうか、という話です。

留学生活って、新しい体験をするチャンスが次々とやってきて、ともすれば、見た、行った、やった、ですごく満足してしまいがちです。でも、「留学して、異文化体験した、学位を取得した、英語がうまくなった」というのは別に大した話じゃない。留学すれば誰もが味わうことで、「銭湯に行って、風呂に入った」というくらい当たり前のことです。

焦点を置くところを間違えてはいけません。そのことを留学する前に気付けたことは本当に大きいと思います。
今、僕はインディアナ大学のスポーツ環境の中で、自分がどんな変化を起こせるのかと考え、日々行動しています。


こちらでの仕事は掛け算

2010-10-24 08:16:27 | アメリカ生活と異文化体験
前回、書いたボランティアの仕事の続きの話です。
えらく簡単なこととは言え、こちらに来て初めて仕事らしいことをしたわけですが、それで気付いたのが
英語での仕事は掛け算
ということでした。

【英語力】×【アイデア、作業】=【仕事の成果】

というイメージです。

たとえば、ゼッケンを渡す仕事をしましたが、問題が起きたのは
数字を聞き間違えた、早口で質問されていることがわからなかった、僕の発音が悪くもう一人のボランティアに聞き直された
というようなことでした。
要するに問題のほとんどは英語力が原因なわけです。

これはクラスで勉強している時も同じです。
教授の質問にアイデアが思い浮かばないというよりも、自分の頭にあることを説明しきれないもどかしさの方が大きいです。
【英語力】の部分で、×0・4とかになってしまっている感じでしょうか。 周りの人が言っていることが聞き取れないと、×0になってしまいます。
逆に言うと、アイデアや仕事のやり方で引けを感じることはまずありません。マーケティングプランを考えてみましょうというようなレポートで、点数がクラスで最下位だったことはないですし。
聞き取れるようになってきて気付きましたが、ネイティブスピーカーは【英語力】は常に1であるものの、【アイデア、作業】が全然たいしたことがない人も少なからずいます。
日本で10年以上仕事をしてきた中で身につけたことというのは、伊達じゃないですよ。

連日、長い時間図書館で過ごして勉強しているので、【アイデア、作業】の力はさらに向上しているとは思います。
しかし、日々の生活を振り返ってみると、【英語力】を上げることに割いている時間が少なすぎるという反省があります。
クラスが3時間あっても自分がしゃべるのは1分くらいなものです。ネイティブスピーカーの大の親友ができたわけでもないです。
積を上げるために日々の時間の使い方を組み替えなきゃいけませんね。

ゴールへの距離感と課題がはっきり見えたので、後はそこを強化していくだけです。

町おこしのシンプルな方法

2010-10-13 22:14:14 | アメリカ生活と異文化体験
僕が住んでいるインディアナ州ブルーミントンは、人口約7万人という決して大きくはない町です。鉄道の駅はありません。高速バスも空港までしかありません。その最寄のインディアナポリス空港までは車で1時間。インディアナポリスは人口78万5000人ですが、たいした商業施設はありません。最も近い大都市のシカゴまでは、車で4時間もかかります。ソウルや北京、台北から来た留学生に聞いても、東京から僕も含めても、文句なしに「田舎だなあ」と思います。
この町に住んで3ヶ月が過ぎました。どうやって日々の生活を楽しむのか、というのがこの町の大きなテーマになっているのだと感じます。
日本でも、町の活気がないと嘆いているところがたくさんあるでしょう。少しでも参考になれば幸いです。

町を盛り上げるために、ここで行われていることは
これでもか、というくらい毎週末にイベントを行うこと
です。

9月から11月までは2週に1度はアメリカンフットボールのホームゲームがあります。試合を見る人だけでも4万人、それにかこつけてただパーティーがしたい人だけの人も含めると、さらに数万人がこのイベントを楽しんでいます。
これと重ならないように、フットボールが他校で試合をしている週末には

Music Festival-町中の公園やホールで様々なコンサートが開かれる
Cultural Festival-異文化のダンス、食事などを楽しむ
Art Festival-彫刻や絵画の展示
などがあります。
Farmers Marketと言って、地元の農家から直接新鮮な野菜が買える市場も毎週土曜日に開催されています。
夏には独立記念日の花火大会やパレード、町の中をコースにした自転車レースなどがありましたし、他の季節にも、他のイベントが催されるわけです。作家などのゲストスピーカーを招いた講演会もよくやってます。

そんなのうちの町でもやっているよ、という反論が出そうですね。
決定的に違うのは、1年間52週、ほぼ毎週必ず何かをやっているということです。これだけの数をこなすには、同じ人が音頭を取っているわけではありません。スポーツ系、音楽系、国際交流系など様々なグループがみな積極的に取り組んでいるということです。新しい企画というのも生まれているそうです。会場に行くと、しっかりスポンサー集めもしています。企画する側は参加するだけの人よりも長い期間、そのイベントを楽しめますよね。
大学が中心の町で動ける人がたくさんいるというアドバンテージがあるとは言え、その根底にあるのは「何とかして、自分たちが楽しくなることをやろう」という意欲なのでしょう。

何かをきっかけに、みんなで集まって、いろいろ話をするのが最大の娯楽

そんな割りきりがあるようにさえ思います。

運営委員会のようなもので何度も話し合いを持てば、人のつながりがうまれます。イベントに参加したもの同士でも、つがなりがうまれるかもしれません。
町の盛り上がり、ということに留まらない効果もあると思います。

韓国語、はじめました。

2010-10-06 23:02:51 | アメリカ生活と異文化体験
  季節はずれの冷やし中華の看板みたいで、すみません。
130カ国から留学生が集まっているIndiana Universityのキャンパスでは、様々な文化交流があります。文化紹介のイベント的なものや、同じ文化をもつ人が集まるグループ的なもの、もう一つが学習機会です。これを機に、僕は韓国語を習い始めました。
僕が韓国語に興味を持ったきっかけは、2002年のサッカーワールドカップ日韓大会にさかのぼります。若手から中堅記者への移行期に回ってきた取材の大きな舞台でした。韓国に約1ヶ月間滞在して、毎日、違う試合会場を回って世界クラスの祭典を全身で感じました。

期間中は毎日、違う都市に移動して取材するという繰り返しでした。その中で、切符の買い方、タクシーの運転手とどう話すか、おいしい食事をするための情報収集などで、少し韓国語を覚えました。韓国の記者やボランティアの学生ら友達も少しできました。広がる風景や人の雰囲気が、自分が子供のころの日本に似た懐かしい感じがして、外国という感じがあまりしなかったんです。それまでは英語圏と欧州しか行ったことがなかったこともあって「外国」のイメージが随分変わりました。
帰国後からNHKテレビのハングル講座を見るようになり、そのうち、2004年ごろにはいわゆる韓流ブームというのも来て、僕も半年ほど新宿の韓国語教室に通いました。だんだん忙しくなって勉強はおろそかになってしまいましたが、ソウルにも4回ほど行っています。韓国プロ野球も観戦したことがあります。東京では中野区に住んでいたので、大久保にもたびたびいきました(ブラインドサッカーの事務局も大久保でした)。今や、日本では韓国の話題を聞くのは当たり前になって、韓流ブームとも言わなくなりましたね。最近は「少女時代」ですか?

こちらに来て、韓国の学生とはすんなり仲良くなれました。簡単なところでは互いの有名人の名前は知っていますし、文化を共有しやすいことが大きいのでしょう。今のスポーツマネジメントのクラスでも、一番助けてくれるのは韓国の学生3人組です。
周りに韓国の人がいて、しかも勉強に専念できる今がチャンスだと、韓国語学習を再開することにしたのです。クラスは7年の経験がある先生とクラスメイト2人(中国とアメリカの学生)の小規模でやりやすいです。韓国の友人ともっと話がしたい、というはっきりとしたモチベーションがあるので、頑張れると思います。もちろん、スポーツの仕事の現場で使えるようにするつもりです。

外国の人と交流する難易度

2010-09-20 00:04:20 | アメリカ生活と異文化体験
 こちら来て約3ヶ月の間、様々な人たちと交流し、その中で常に、どうすればもっとうまくコミュニケートできるのかと考えて、あれこれと試してきました。まだ、その試行錯誤は続いているのですが、最近になって、相対する外国の人には、非常に大まかに言って難易度が5段階ありそうな気がしてきました。もちろん個人差が大きいことは承知の上です。

 <レベル1-韓国の人>
 130カ国から留学生が集まっているキャンパスの中にいると、日本人と韓国人はすごくよく似ていると感じます。年齢による上下関係や、ちょっと控えめだったり、譲り合うところとか。言語構造も、韓国語と日本語は語順が一緒です。なので、韓国人のしゃべっている英語はわかりやすいと感じる場面が多いです。

 <レベル2-韓国以外のアジアの人>
 ちょっと、括りが大きすぎるかもしれません。中国と台湾の人は、漢字がわかるし、日本文化(アニメなどを含む)もかなり知っていますので、レベル1・5でしょうか。ベトナムやタイの人でも、なんとなく接しやすいと感じます。インド、中東と地理的に日本から離れていくと、少しずつ違ってくるような感じがしますが、それでも、南米の人よりは近く感じます。

 <レベル3-日本に理解のあるアメリカの人>
 この田舎町でも、仕事や留学で日本に住んでいたことがある人(元、NAVYで横須賀にいたとか)がいたり、日本人の友人がいたり、英語の先生など日本人留学生のサポート経験が豊富な方がいたりします。そういう人は、日本人は概ねこういう感じだ(例えば、控えめだとか)、というのがわかっていますので、そっと手を差し伸べてくれるような感じがする時があります。これはかなり楽です。

 <レベル4-アウエー感を味わったことがあるアメリカの人>
 日本以外の国であっても、アメリカ以外の国に留学や仕事で滞在した経験のある人は、外国文化の中や、外国語で自分を表現する苦労を分かち合えます。完璧じゃない英語でもわかろうとしてくれたり、全部が表現し切れていないもどかしさを察してくれる感じがします。眼差しがいくらか温かいです。

 <レベル5-純粋なドメスティックで、特に問題ないと思っているアメリカ人>
 外国に関心のない人もいます。それでも彼らが生きていくのには、特に困らないので。また、外国人と接した経験がなく、どうしたらいいのかと思っている人もいるようです。これは、こちらから思い切りよく踏み込んでいかないと、局面が打開できません。

 自らの経験からすると、レベル分けに異論がある方もいるかもしれません。実際自分の周りの人でも、レベル2と3は逆なんじゃないかという声もありました。しかし、分け方に重点を置くのが主旨ではありません。難しいことにチャレンジする気概を持っているのか、壁にぶつかっていて、これは無理とあきらめてしまっていないかを、自らに問うことが大事なのだと思います。
 レベル3までは日本にいても体験することができます。日本にいるわけですから、多少は日本のことを知っているので、アメリカで出会うより、少し簡単だと思います。僕がこちらで夏休みの英語コースに通っていた時もレベル3までしか見ていなかったんだと、今になって思います。
 今週に入って、クラスでグループワークが始まりました。協力せざるを得ない状況になったネイティブスピーカーというのは、レベル4.5くらいかもしれませんね。
 しんどい思いをしていますが、自ら進んで飛び込んだ世界です。

 「あきらめたら、そこで試合終了だよ」
 
 
漫画スラムダンクの名言を忘れないようにしています。

1ドルショップで考えた

2010-09-15 01:01:03 | アメリカ生活と異文化体験

 日本の100円ショップと同じビジネスアイデアで、アメリカにも1ドルショップというのがあります。ハンガーとか、質はあまり問わないけど必要なものをいくつか買いました。
 品揃えはたいしたことがなかったです。「えっ、こんなものも100円なの!?」という日本の100円ショップのわくわくした感じは味わえず、少し寂しいものがあります。
 「こんなものも100円」というのが頭の中を巡って、調べたり、思い浮かんだことを書きたいと思います。

 日本の100円ショップで見かけて衝撃を受けたのは、電卓です。
 あれほどの高度な仕組みのものが100円なんだと。子供のころ、大人がもっていた電卓はすごくかっこいい機械という気がして、それから、液晶表示になったり、すごく薄いカードサイズになったり、と進化の過程を実体験してきただけに、びっくりしました。
 気になって、電卓の歴史を調べてみました。(情報源はウィキペディア、カシオのホームページです)

 機械式だった計算機にトランジスタが使われ、日本初(同時に世界初)の電卓は1964年、シャープによって発売されました。値段は53万5000円と、当時の車が1台買えるくらいです。
 1972年発売の「カシオミニ」はサイズが従来の4分の1、価格が3分の1で1万2800円。1975年には個人用になって4800円まで下がったそうです。
 その後、多機能化(ゲーム電卓とかありましたね)したり、小型化、軽量化がどんどん進んで、2000年代に入ると100円ショップで売られるようになりました。

 こうした歴史は、他の電子機器でも自分が実際に体験してきました。時代の流れで、パソコンなんて性能は何十倍にもなっていて、価格が10分の1というのも目の当たりにしています。
 これが、「工業化社会」の一つの明確な現象なのだと思います。技術がどんどん進化し、もっと安くという人間の欲求に応えていく。

 20世紀は「工業化社会」でした。21世紀は「情報化社会」と言われ、僕たちはその時代を生きています。

 同じように考えると、新聞、雑誌、テレビが圧倒的に支配していた情報が、今ではウェブ上で、誰もが当たり前に不特定多数に向けて発信しています。一昔前なら高価な機械と専門的な知識が必要だった文字、画像、音声、動画を手軽に編集しています。しかも、その情報のほとんどを無料で入手することができます。有名人の頭の中を知ったり、場合によっては相互交流することも、ソーシャルメディアにより、敷居は以前に比べて格段に下がっています。

 「情報化社会というのは、情報が高度に進化しつつも、入手するコストはどんどん下がる時代ということではないか」

 留学の中で今後どうやって仕事をしていこうかというのは、常に考えています。スポーツマネジメントの中で、情報とは何で、そのコストが下がるとはどういうことになるのかは、もう少し考えがまとまったら書きたいと思います。いずれにしても、この時代の流れに逆らうことなく、生きていくことが大切なのだろうと思います。

 これが、1ドルショップで考えたことです。


恩師からのアドバイス

2010-08-31 05:27:34 | アメリカ生活と異文化体験
 大学院のクラスが本格的に始まるのを控えて、大事なことを思い出しました。卒論を見てもらった大学時代の恩師から頂いたアドバイスです。先生も30数年前にアメリカに留学して、その後もしばらくはアメリカで働いていました。
 ちなみに、インディアナ大学を選んだ理由の一つはその恩師の影響です。やさしく、温厚でありながらも、情熱や強さがあって、すごく尊敬しています。先生もここで、ビジネスの博士号を取得しています。緑豊かなキャンパスの雰囲気と、やさしくて、まじめに勉強しようとする人が多くて、いいところに来られたなと実感しています。

 アドバイスは
 
 (1)最初の学期はアジャストするのが大変なので、無理するな。

 (2)大学は学生を落とそうとしているのではなく、きちんと力をつけさせて、卒業させるつもりでいるので、それを信じて努力すべし。

 (3)日本人との付き合い、他の留学生との付き合い、ネイティブとの付き合いのバランスを取ることが大切。あまり追い込みすぎないで、ストレスを解消することも必要。

 (4)留学は勉強だけじゃない。生活面やイベントをエンジョイすることも思い切りやろう。

 (5)日本にはいつでも帰ることができるので、一度はアメリカの現場を味わってみよう。

 このブログを読んでくれている留学中の方や、留学を考えている方にも通じるアドバイスだと思います。

オリエンテーションが違う!

2010-08-27 10:58:48 | アメリカ生活と異文化体験
 秋学期のスタートを来週に控えて、今はオリエンテーションがいろいろ行われています。先週は留学生向けのものに5日間を費やしました。
 ビザや保険など手続き的な話はある程度予想していましたが、意外なものもあったのでご紹介しておきます。

 交流イベントがかなり多い
 新しい環境に慣れるために鍵を握るのは、知り合いや友達をどう増やしていくかだと思います。大学もその辺りを心得ているようで、オリエンテーションの間のランチタイムに、わざわざテーブルとサンドイッチを用意してくれたりしています。そこで適当に座った人同士が会話するわけです。僕の場合は全員男性で、カナダから来た音楽専攻の大学院生、インドからきたジャーナリスト、スペインから来た音楽の学部生(サックスを吹く)と一緒になりました。年齢もバックグラウンドも違います。そこに、インターナショナルセンターの職員やボランティアが混じって座って、話を盛り上げていきます。
 音楽の話はみんなで共有しやすいテーマでよかったです。それから僕が「スポーツのことを勉強します」というと、「Oh! Cool」とか言われて、これもみんなが乗ってきやすい。何をプレーするのか、何を見るのが好きかとか。例えば、スペイン出身の彼には「ワールドカップ、おめでとう」と言うと、みんなが「そうだね」という感じで場がなごみました。
 他にも、アイスクリームパーティー、ゲーム大会、(僕は参加しませんでしたが)週末のピクニックなどほぼ毎日のようにイベントがありました。さすがにこれだけあると知り合いが増えて、僕の場合は他に韓国、シンガポール、ベトナム、トルコから来た学生とつながりができました。キャンパス内でみかけたときに声を掛けると、居場所ができたという感じがします。


 やる気を出させる
 日本では偉い人のあいさつなんかがありましたが、ここではそれ以外に学生の意欲に火をつけるようなオリエンテーションがいくつかありました。 
 インタナショナルステューデントセンターのトップが力説しました。
「ここには130カ国から学生が集まっている。自らドアをノックしていけば、得られるものはたくさんある」。
 同じ国から来た学生で固まってしまうことのないように言っているのかなと思いました。通常のクラブや学生団体の活動のほかに、Asian Culture Centerなどの主催で、無料の語学講座、文化交流会などが毎週のように企画されています。

 それから別のセッションでは、「ここを卒業したら、君たちはこう呼ばれる。リーダーだ」と強調していました。つまり、自分が学ぶ分野で、他の人を巻き込み、世の中にインパクトを残す存在になれ、と言っているわけです。
 話し方もすごくうまかったです。数百人入る講堂でいわゆる「客いじり」を使ってました。
 「質問、ある?」と聞いて、なかなか手が挙がらないと見ると、
 「OK。そこのピンクのTシャツの女性。あなたの心の中にある質問を読み取るから」と言い出し、「わかった! リーダーになる意欲はあるけど不安もたくさんあるんだね」と、勉強時間や寮生活などアカデミックライフの不安を取り除くような話をしたりしました。
 かっぷくがよくて存在感があり、声にも迫力があって、面白い人だなと思っていたら、最後の方で何者かがわかりました。経営学のリーダーシップ論の教授でした。

 日本だと、入学式プラス1日くらいだったという記憶がありますが、こちらは力の入れ具合が違うというか、オリエンテーションのスケジュールが留学生対象に1週間、アメリカの人も混じってさらに1週間と結構びっしりと入っています。
 最初に面白いと思ってもらえないと、優秀な学生が流出してしまう可能性があるわけです。大学が発表している統計では、1年生から2年生になるまでの間で全米平均では20%、この大学では11%が転校、もしくは中退しているとのこと(留学生以外も含めた全体の話ですが)。
 オリエンテーションの必死さの裏には、そんな事情もあるようです。

重みのある二つの言葉を頂いて

2010-08-15 08:00:50 | アメリカ生活と異文化体験
 昨晩、こちらで長年にわたって生活している日本人の先輩、3人と話をする時間をいただきました。その中で2つほど、決して忘れることがないであろう重い言葉がありました。ここに記しておくことで、さらに自分の中にしっかり刻み込もうと思います。


ひとつ目
「自分がやっていこうとする分野でアメリカで認めてもらいたいと思うなら、ネイティブの5倍やれ。努力でなく、結果で」

ふたつ目
「チーム全体のことを考えた行動や発言。正しいと思ったら徹底して自己主張すること。このバランスを常にとれ」


基本的には、自分の中のハードルを上げることは大好きな人間です。そうでなければ、この歳で会社を辞めてまで、アメリカに来ません。
それでも、この2つを日々の行動一つ一つに叩き込もうとすると、どれだけ大変なことかとずっしりとした重みを感じます。
ネイティブスピーカーと同じクラスでガチンコ勝負する大学院生活。
ここからが本番です!!


英語のよさ

2010-08-11 21:36:29 | アメリカ生活と異文化体験
 きょうで7週間に渡った英語準備プログラムが終了しました。あとはテストを残すのみ。
 先生に恵まれて、興味深いディスカッションも多々ありました。クラスメートも仲が良くて、ランチに行ったり、お茶したりもしました。
 自分よりも10歳以上若く、しかもそのうち3人は自分の半分の年齢という中で、楽しくコミュニケーションできたのは、英語のおかげだと改めて感じました。上下関係をほとんど気にしない言語という意味です。

 昨日のランチの時でした。19歳の韓国女子から「好きな韓国人女優は?」と聞かれ、「イ・ヨンエ」と答えたら、「ドラマのイメージに騙されている。そういうのを見抜けないから、結婚できない」と突っ込まれました。これが日本語で丁寧語も使わずに言われたら、かなりムカつくかも、と思いました。
 
 先生をファーストネームで呼ぶのは最初はかなり心理的な抵抗がありました。だけれども、慣れてくると、対等な感じでプライベートな話を突っ込んでできて、「こういう人生を経て、今は英語の先生をやっているんだ」と、語学力を上げることを超えた深い学びを得ました。

 きょう、別の韓国の子が言ってました。「韓国語だと、年上の人にすごくきちんと敬語をつかわないといけない。日本人のあなたに英語で聞くほうが楽だし、何でも聞ける」。大学にいる日本の学部生も、同じように思っているかもしれません。

 言葉のおかげで、フラットな関係を築ける。アラフォーにとっては、本当に貴重な時間となりました。

旗を立てたら

2010-08-05 07:00:15 | アメリカ生活と異文化体験
先月のブログで「旗を立てる」というのをご紹介しましたが、このほど、その成果?が出たので書きたいと思います。

サッカーのFCバルセロナのロゴがついたTシャツを着ていた日のことです。
お昼ごはんで、キャンパス内のカフェテリアにサブのサンドイッチ(長いパンにはさむタイプ。日本だとサブウェイというチェーン店で売っているもの)を買いに行きました。

注文したところ、その店員のおばさんが「そのTシャツを着ているあなたは信頼できると思う」と言い出しました。もしかしてと思って「バルセロナの出身ですか?」と聞くと、「そうよ。カタルーニャ人なのよ」と誇らしげに言いました。
しかしそこで、隣の別の若い女性店員が「バルセロナって、あなたスペイン出身だったの。知らなかったわ」というようなことを言ってしまったのです。
言い終わらないうちにおばさんは「NO!!!!」と大声を出し、「私たちは自分たちの言葉があって、文化があって、昔は戦争して~」というようなことをすごい勢いでまくし立てました。周りにいたほかの人の視線を一気に集めるド迫力でした。興奮はおさまらず、僕の注文したサンドイッチはすっかりほおっておかれることに…。

僕はFCバルセロナはカタルーニャ人の誇りであるということは知識としては知っていましたが、ここに来て身を持って知ることになりました。決して忘れることはないでしょう。
スポーツの旗はこれからも立て続けていきます。