心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

神様のカルテ

2012-01-25 00:03:41 | 日記
昨日、関空行きの飛行機の中で、この映画を観たけど
しみじみとするとてもいい映画だったなぁ。胸がじ~んと
する場面もあったしね。

はでなアクションとかで視覚に訴えてくるアメリカ映画より、
こういう心に訴えてくる日本映画の方がいいよね。

タイトルは以前、どこかで聞いた記憶があったけど、
日曜にフランスに戻る前に本を買ってみようかなぁ。

今日はこれから横浜に移動。 寒いかな。

 【追記】

新横浜までの新幹線の中で「神様のカルテ」を読んだけど、
主人公の名前が何故、「一止」というのかやっと理由が
わかったよ。

*****
安曇さんが私の視線に気づいて、少し照れたように笑った。
「先生のお名前ってあんまり聞かない字面でしょう。
不思議だと思って、書いてみたんです」

骨と皮だけにやせた手を伸ばして、そっとメモ用紙を
取り上げた。
「書いてみてわかりました。これって、”正しい”って字なん
ですね」

私は苦笑した。
「正解です」
”一”と”止”という字をそのままくっつけると”正”という字に
なる。父の遊び心である。

安曇さんは感慨深げな面持ちで、じっとメモ用紙の文字を
見つめている。

「一に止まると書いて、正しいという意味だなんて、この年に
なるまで知りませんでした。でもなんだかわかるような気が
します。人は生きていると、前へ前へという気持ちばかり
急いて、どんどん大切なものを置き去りにしていくもので
しょう。本当に正しいことというのは、一番初めの場所に
あるのかもしれませんね」
*****

もう一か所、目に止まった文章を書きうつすね。

*****
思えば人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって
魔法のように作りだすものではない。人が生まれおちた
その足下の土くれの下に、最初から埋もれているものでは
なかろうか。

私にとって、それは最先端の医療を学ぶことではなく、
安曇さんのような人々と時間をすごすことであり、ひいては、
細君とともにこの歩みを続けることだ。

当たり前のように、ずっと以前から結論はそこにあったのだ。

迷うた時にこそ立ち止まり、足下に槌をふるえばよい。
さすれば、自然そこから大切なものどもが顔を出す。

そんなわかりきったことを人が忘れてしまったのは、いつの
ころからであろうか

足もとの宝に気づきもせず遠く遠くを眺めやり、前へ前へと
すすむことだけが正しいことだと吹聴されるような世の中に、
いつのまになったのであろう。

そうではあるまい。
惑い苦悩した時にこそ、立ち止まらねばならぬ。
*****

この本で作者が言いたかったことは、このことなんだろうね。

で、主人公の愛読書は漱石の「草枕」なので、横浜に着いてから
買ったよ。 帰りの新幹線の中で読もうかな。

そうそう、今日は新幹線の中から、雪化粧した富士山がくっきり
見えてよかったよ。 デジカメを持ってこなかったので、写真は
撮れなかったけどね~


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