きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

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ルーマニアの分裂に特例対応 ゲリト レッシュ

2019-01-09 05:07:27 | 日記
わたしの友達だった兄弟でギレアデにゆき



支部委員になった兄弟が



わたしが離れたとき大会でこっそり



統治体が5000人の背教者に会ってとめた話が



ギレアデで話されたことをはなしてくれたことがあり




いったいどこの国だろうと思っていたらわかった。











オーストリア支部は当時禁令下だった東ヨーロッパに




小さな文書を作り運び屋の兄弟を通して助けていた。





























まるで隠れキリシタンのように個人の家で歌を歌い




個人の信仰を保っていたのだ。












レッシュ兄弟は、30年前は確か4か国語を話せたようだ。




英語


ドイツ語


スペイン語


そしてルーマニア語だ当時どうして彼がルーマニア語を



知っているかわからなかった。











こちらが当時のお腹の出ていなかった頃のレッシュ兄弟















ルーマニアの当局者は頭が良く




偽兄弟を小さな群れに研究生として送り



バプテスマを受けさせ



長老にまでならせたのだ。




そしてこの偽兄弟の長老から



組織に対する不信感をばらまいて











ルーマニアのエホバの証人は組織との連絡を絶って




活動を続けていったのだ。




古い書籍だけを持って伝道を続けていった。





















ちなみにこうした例から長老が聖霊で任命の信仰もなくなる例にもなる。














偽兄弟でもいくらでも模範的なふりをしたら



聖霊は見抜けず長老に任命したことになる。












離れた兄弟たちのグループはこの小さな古い書籍に




書かれていることをたよりに信仰を保ったのだ。















そうしたなかで分裂したグループの代表者と




会合を持つ努力がはらわれた。




組織側は統治体のジャラズ兄弟



通訳 そしてレッシュ兄弟だった。













最初の日は険悪だった。













お互いがお互いを強烈に非難をしあった。














1日たち













次の日兄弟たちの態度は変わっていた。




こうしていまの基準からしたら




背教活動していた兄弟たち5000人が1日で




統治体の努力で組織に戻ってきたはなしが伝わったのだ。






レッシュ兄弟にとり相当の思い入れの深い経験だったと




おもう。








日本の兄弟たちも




違ったことや組織を非難しはじめた仲間を




このレッシュ兄弟たちの辛抱強く反対者の意見を




とことん聞く態度があれば




いまの日本の相当数は組織にとどまっていたかもしれない。






また同時に




マラウィで禁じていたことをメキシコで容認する





国旗を大会や王国会館に掲げる




ブルガリアの輸血の基準の妥協など



そしてルーマニアの5000人など





大人数の関わるところでは組織は慎重な扱いをする姿勢が見え隠れはする。



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