整備簿

愛車の点検・整備の記録を、気が向いたときにアップします。

鹿児島の武林は狭い!

2009年02月15日 21時16分20秒 | Weblog
武林という言葉は、ご存知ですか?
簡単に言うと武術をやっている人たちの集まりのこと。
武林是一家という言葉もあるほどで、・・ってウィキでも調べればすぐにわかるんですが。

今回はこの武林に対して思うことがあります。

先日、「中国武術表演会」なるものを見に行きました。
私が日ごろしている太極拳とはまた違う、いろいろな中国拳法、柔術の中国武術的講釈などが行われました。

それはそれで私にとってはすごくためになったのですが・・。

そもそも、今回のイベントは近所のポスターを見たところから。
一応先生に断りを入れてみると。
「うちの団体でやっているイベントじゃないから、暇なら行ってみてもいいんじゃない?」
・・この言葉に少し引っかかりを覚えました。

次に、表演を鑑賞中・・
「同じ鹿児島で、こんなにいろいろな団体がいること、こんな中国武術があるってことを私が知らないのは、団体ごとの交流が少ないからじゃないか。」
と思ったのです。

太極拳に限って見ても、私が所属する団体を含めて知っているだけで3つ。
今回の表演はまた違う団体がされていました。
そしてそのそれぞれが、独自でのイベントこそあれど、交流の機会をほとんどまったく作らない。

そして表演会後・・。
私の団体や先生のことなど知っている方たちもいたようで、話が弾んだんですが・・
ふと聞いた言葉に、また少し寂しいような違和感が。
「(うちの教室)は、ひとつの套路を”泥臭く”練習するんですよ。」
・・そんなにうちの先生に習っているわけじゃないのに、泥臭いって・・

中国武術以外のところで、課題のような問題点を見つけてしまったようで・・
そんなことを考えているとき、武林という言葉を思い出したんです。
武林是一家って言葉も、「武術を学ぶものはみな兄弟」なんて意味があるそうですが、この現状ってそう言えますかね??

もっとも、昔の武術はそれこそ争いのため、あるいは自らを守るために発展したものがほとんどで、オープンにみんなと交流しながら練習する、といったような平和な思想は無かったのでしょうけど。
だから練習でさえも、他人に技を盗まれないように日も上らないうちに練習をしたり、部屋の中で練習できる套路が生まれたりするんでしょうが。

今は時代が違うんじゃないですか?
自己防衛のため、あるいは健康のために習う人が多い現状では、見識の広さは広いほうがいい、と考えます。
また、1つの武術を磨くのもよし、いろいろな武術を体に通すのもよし、そのための交流はもっとあっていいのじゃないか、と思うのですが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿