中国政治に詳しい近藤大介氏「習近平国家主席vs.14億の市民の構図」になりつつあると指摘します。
中時新聞網 江飛宇
・・・多くの抗議者は、ロシアの反戦の群衆を模倣し、白い紙をスローガンにし、一部の人々は紙に「私が何を表現したいか知っている」と書きました。 一部の学生抗議者は、PRCの旗を掲げて国際歌を歌いました。 学校党委員会の副書記は抗議の現場に急行し、学校全体で議論することを約束した。流行は封城の理由ではなく、中国では多くの都市住民が街頭で抗議し、封じ込められた - 国際 - 中時ニュースネットワーク (chinatimes.com
「私は外国勢力ではない」叫ぶ中国の市民 当局の「陰謀論」を警戒
厳格な新型コロナウイルス対策をとる「ゼロコロナ」政策への抗議活動が広がっている中国で、抗議を「外国勢力」の企てとみなされることへ、参加者らの警戒が広がっている。中国の指導部がこれまで展開してきた「陰謀論」を乗り越えようとする攻防だ。(これは有料記事なので私も続きを読めない)
報道写真
「これらの抗議行動は、1989 年の天安門事件以来、中国における最大の抵抗行為です」と、33 年前に民主化運動を経験した、北京を拠点とする学者で元清華大学講師の Wu Qiang 氏は述べた。
China COVID protests mark 'biggest act of resistance' in decades - Nikkei Asia
中国共産党指導者は「愛国」ではない。ソ連指導者も然り。
中国における皇帝の系統はそれに沿って変わるのも歴史的必然である。(日本とは違うという原因)
中露の指導者は「愛国」とは程遠い、多くの国民は黙らされてきた。毛沢東時代に起きた大量餓死事件だが、これは各地方を任された責任者が「飢饉」を隠し、「豊作です」と嘘を言ってきたこと。それを知ってか知らずか認めてきた政治、政府に逆らう意見(とみなされた者も含め)の者は「投獄」「獄死」などを繰り返してきた。
・・・「15年以内にイギリスを追い越す」と宣言した毛沢東が始めた「大躍進」政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と産業・インフラ・環境の大破壊をもたらした。香港大学人文学教授が中国各地の公文書館を精査。同館所蔵の未公開資料と体験者の証言から「大躍進」期の死者数を4500万(大半が餓死者。うち250万人が拷問死、裁判なしの処刑死)にのぼると算出。中国共産党最大のタブーの全貌を明らかにし、北京が震撼した衝撃の書!」
毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962 | フランク・ディケーター, 中川治子 |本 | 通販 | Amazon
ソ連も自国民の殺戮やシベリア流刑など、また世界的な芸術家をも国外追放・・・ソルジェニーツイン「収容所群島」、ソルジェニーツインを匿ったチェロ奏者のロストロポーヴィチへの迫害、など。
中国は昔から「国家」という意識よりも「族意識」が強い。中国大陸の代々の帝国は「漢民族」が打ち立てたものは漢(前漢・後漢)、宋、明など大変少ない。隋・唐や金・元・清などは漢民族ではない。
多くの民族が入れ替わって「王朝」を建てたために前王朝などの文化まで破壊したこと、これは日本と違う。
背景の歴史を知らないと日本と比較するのはどうかと思われる。私は二度中国に旅行したことがあるが、ガイドも北京・上海・西安・その他で、言葉が違うので「通してできない」と聞いた。私はたくさんの質問をしたので各ガイドは用心したのかもしれないが。中にはヤバイ質問をした恐れもある。
【速報】東京都立大学教授の宮台真司さんが首を切りつけられる 南大沢キャンパスで 男は現在も逃走中
宮台さんは東京都立大学・人文社会学部の教授で現代社会や戦後思想など幅広い分野を論評する論客として知られています。 警視庁によりますときょう(29日)午後4時半まえ、東京・八王子市の東京都立大の南大沢キャンパスで「都立大の中で男性が顔を切られた」と目撃者の男性から110番通報がありました。 切りつけられたのは東京都立大教授の宮台真司(みやだい・しんじ)さんで、キャンパス内の路上にいたところ頭を後ろから殴られたうえ、刃物のようなもので首を切られ病院に搬送されましたが命に別状はないということです。
犯人の男は現在も逃走していて年齢20代から30代、身長はおよそ180センチ、髪は短めで黒っぽいジャンパーにズボン、がっちりした体格だったということで警視庁が男の行方を追っています。
★ テロは絶対に許されない。思想信条の自由の敵である。早く犯人が逮捕されることを願う。
先日はご心配をおかけいたしました。
またこの度は素敵な曲を有り難うございます。
シャンドール・コーンヤという
お名前は初めてお聞きいたしました。
非常に柔らかくリリカルな歌声ですね。
可憐で奔放なマノンに
一途な思いを語るシャンドールの歌は
高潔で眩しいほどの輝きが感じられ、
教養ある好青年のデ・グリューの
清潔で真摯な姿そのもののであり、
そしてその歌詞はまるで彼を通して
プッチーニがマノンに語る愛の言葉のようにさえ
聞こえてくるようです。
一見、可憐で奔放で舞う蝶のようなマノンが
彼を巻き込み墜ちていくように見えながら
一途で重すぎる純情なデ・グリューの愛が
ふたりを追い詰め破滅的な生き方を
選択せざるを得なくしているのではないかと感じます。
『ローエングリン』を拝聴しながら
やはり思い浮かぶのはルートヴィヒ2世です。
そして彼が築城したノイシュァァンシュタイン城に
重なる白鳥を思い起こさずにはいられません。
聖杯の騎士のローエングリンは
エルザへの思いの裏で
己の立場を裏切っていることへの自責の念に
苦しんでいたのだろうと思います。
そして禁断の問いであっけなく壊れてしまう関係は
時代を問わず普遍的なテーマであり、
ワーグナーの凄さを感じます。
ルートヴィヒ2世は自分が死んだ時には
ノイシュヴァンシュタイン城を壊すように命じたと
伝えられます。
選ばれた者しか入る事が許されないはずの城は
今や年間130万人もの人が訪れると言います。
今は無き城主にはどのように映るのでしょうか・・・
ゆっくりお誕生日をお過ごしになれたらいいな、と思っていました。
私がお祝いに選んだ曲は、プッチーニのは題名も
ステキなので、しかしこの曲をこんなに美しく歌えるテノールは少ないと思いました。
シャンドール・コーンヤはヨーロッパでは第一人者でしたが、声が美しいだけでなく珍しくイタリア・ドイツ両方を最高のレヴェルで歌える稀有な歌手です。
今はこんな名歌手はもういないと思っています。
「ローエンクリン」は、この場面本当に大好きです。チャイコフスキーの「白鳥の湖」の旋律に似ていますのは、チャイコフスキーがこのオペラを
聴いていたから、似たような旋律をバレエ曲に
書いたのでしょう。
ブログが大変な時に、この「ローエングリン」の
ことを書いていたのを思い出します。
さらりんさまは「ローエングリン」の話に多くのご感想を書いてくださって、あの頃を乗り切れた思い出があります。
美しいエルザ姫は無実の罪をきせられていたのですが、夢にみた「白鳥の曳く小舟」に乗って救いにきてくれる、そして本当に騎士はきた。
しかし「名前や出身をきいてはいけない」という約束でその誓いを護ります、と約束してエルザは救われるのですが・・・やがてどうしても気になり
問いただしてしまう、騎士は自分の名を「ローエングリン」と名乗り、聖杯を護る騎士であること、
また自分の名前などが知れたら、帰らねばならないこと、・・・ドイツがまだドイツでない昔、ゲルマン神話と新しく入ってきたキリスト教の緩やかながら厳しい線引きに何とも言えない素晴らしい旋律で
心を揺さぶり、特にこの場面は最高です。
お気にいってくださって、しかもさらりんさまの美しい言葉で名曲を書いていただけて大変嬉しいです。
幸せになるために生まれてきた記念日がお誕生日と思っています。もう今年もあと一か月でますますご多忙のことと思いますが、ご無理をなさらないように。たまにはゆっくりとなさってください。
世界の動きがとても気になります。
ロシアの駐日大使が決まっていないことも、中露で合同演習をしたことも、たえず不安ですが、中国の民衆が本当の怒りをあらわしたこと、これは良かったと思いました。
リコメを有り難うございます。
詳しいお話を拝読しとても勉強になりました。
音楽も絵画もあらゆる芸術において
その時の政治や社会情勢が色濃く反映されており、
その芸術に触れることは歴史の扉を開き
壮大なスペクタクルを目の当たりにすることであり
なんと贅沢な時間なのだろうかと
改めてその思いを抱きました。
祖父と同じ誕生日と出生時刻で生を受け
その祖父の名前を受け継いた
ヴィテルスバッハ家の期待の王太子
ルートヴィッヒ2世。
ワーグナーへの眷恋と築城への情熱は
傍から見れば荒唐無稽と思えますが
太陽王のような王に憧憬を抱きながらも
統治能力を養うことも出来ず
現実を生きる術を持たなかった
国王の悲しみのようなものを感じるのです。
(国民からすれば悲劇ですが・・・)
先日帰省した折り空を見上げると
明け切らない空を
落ち穂拾いのために
美しいV字になり飛んでいきました。
白鳥の持つシンボリズムを
ベッラさまが贈って下さった曲を通して
改めて考えています。
あのころ、いろいろ予期しないことがあってブログをやめようか、っと思った時でしたが、おかげさまで何とか続きました。
それからお誕生日に美しい曲をプレゼントすることになりました。それ以上に私はさらりんさまの文学のことで学ぶことも多く、さらりんさまの聡明なお考えにハッとしたものです。
今もそうです。
コロナの感染予防から、外へ出ていったりすることがだんだん面倒になり、ブログも休みがちです。
しかし音楽だけは一日も休みなく没頭しているのが幸せです。
さらりんさまのご多忙さはあの頃の私よりはるかに大変とお察ししています。
中国やサッカーのことで、ニュースが良い方向になってきているのではないかと・・・願っているだけなのかもしれませんが。
これからますます寒くなります。
どうぞご無理をなさいませんように、と願っています。今日はうっかり夜明けに「サッカー」を見てしまって何もわからないのに、ちょっとうれしい気分です。いいことがひとつでも多くありますように。