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稲村公望先生 『フーバー大統領回想録』 その3 未定稿

2015年08月20日 | 政治

フーバー大統領回想録(その3)未定稿

第九文書と題する記録を仮に翻訳してみたい。

「日本 1946年5月、4,5,6日  東京

私は、ダグラス・マッカーサー大将と、5月4日の夕方に3時間、5日の夕方に1時間、そして、6日の朝に1時間、サシで話した。

マッカーサーは、アジアの同盟国と南太平洋の全ての運命が大切な時期に補給が細って飢餓状態になっているとして、

ルーズベルト大統領に対して苦々しく考えていた。

マッカーサーは、ひとりあたり3トン半の補給を受けているが、北アフリカがひとりあたり14トンの物資の補給があったのに比べると

非常に少なかった。

マッカーサーは、ルーズベルトは、いろんなやり方で 復讐心(vindictiveness)を示したと述べた。

マッカーサーだけが、集団での意見交換の会合に呼ばれていなかった。

ホワイトハウスのコラムニスト連中は、マッカーサーを卑下することが多く、(その点、ルーズベルトが、マッカーサーのことをマクレラン

(南北戦争の時にリンカーン大統領に反対した軍人)と呼び、問題児と呼んでいたことを確認できる)。

ホノルルでの意見交換会議があったときに、マッカーサーは、大統領との個別の会見は予定されていなかった。

大統領の演説を起草を担当していたローズマンと海軍の連中が、海軍の指揮下で、北太平洋のルートで軍をすすめる計画を推した。

そこで、マッカーサーは強硬に10分間、サシで大統領に会見をすることを要求している。

マッカーサーは大統領とサシの会談で、もし、194年の選挙以前に進展があることを期待するのであれば、南ルートで、

島伝いにフィリピンに侵攻することによってのみ、達成されると大統領に述べた上で、

1944年の十一月にもフィリッピン上陸が可能であると進言している。

マッカーサーは、ルーズベルトの関心を喚起して、承認を取り付けた。

この会談の一部始終を、ローズマンは壁耳をして、聞き耳を立てていた。

ルーズベルトは、ニミッツ提督が激怒したとされるが、海軍の提案を受け付けなかった。

マッカーサーは、ニミッツが、自分を許していないと述べた。

マッカーサーに寄れば、ルーズベルトが関心を持ったのは、自分自身の政治的な可能性だけで、優れた戦略を論じる観点からは、

効果のない話であったとしている。

マッカーサーはフィリピンを取り返して以降は、いつでも日本と和平ができたと考えている。

日本の軍事的なギャングどもは、自分たちを支えている足が切り落とされれば、敗北することを知っていたからである。

しかし、ルーズベルト大統領は、日本に対して最後の詰めの行動を自ら指揮することをしないと決め込んでいた、とマッカーサーは言う。

最後の(日本を降伏させる)式は、ニミッツ提督に行わせる手順であった。

沖縄戦での被害が比較的に大きかったことが、そして、(1語単語が欠けている)トルーマン大統領に影響をあたえ、

それに、世論が加わったことで、最後の決断が行われた。

私は、マッカーサーに対して、トルーマンにあてて1945年の五月半ばに、覚え書きを提出したことを紹介して、

その内容は、日本と和平を達成することができれば、我々の主な目的は達成されるという内容であったことを伝えた。

マッカーサーは、その通りが正しく、そうしていれば、すべての大損害、複数の原子爆弾、満州に対するロシアの侵入も避けることができたと述べた。

私は、日本の戦争の全体が、戦争に入りたいという狂人の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、

又、1941年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、日本が、その制裁が除去されなければ自殺行為になったとしても、

戦争をせざるを得ない状態に日本を追い込んだ。

制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するもので、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった。

マッカーサーは言葉を続けて、ルーズベルトは、1941年の九月に近衛と和平を達成できた筈だと述べ、

そうすれば、太平洋と、中国の自由、そしておそらく満州の自由を確保するという米国の目標を全て獲得していたに違いない。

また、マッカーサーは、近衛は、天皇から、完全撤退に合意することの承認をもらっていたと述べた。

マッカーサーは、ポーリーとFEC それに報復的なリベラルの連中は日本を破壊しようとしていると述べた。

マッカーサーは、そのリベラルの連中の報告や態度については、感情を高ぶらせた。

その一例として、ポツダムでの合意挙げて、マッカーサーは、建設的な計画であると言う対局の精神から作られたとした。

マッカーサーは、日本が平和時の経済を取り戻して、産業を再構築すれば戦後の賠償を払うことができるが、そうでなければできないと、述べた。

そうした理由で、必要なことは、武器の製造工場を破壊し、日本人を武装解除して、それを監視するための委員会を継続して、

一時間くらい離れた島に飛行場の持つことであるとした。

マッカーサーは、日本の軽工業あるいは重工業のいずれをも抑制することは必要ではないとして、

現在工場施設を取り除くという脅しがあるために、産業再生に向けた行動ができない状況にあると述べた。

マッカーサーは、マーシャルが中国で成功する確率は、2千分の1であるとして、また、ソ連との交渉においてロシアの妨害を細部に亘って説明した。

ソ連は、持続的に日本ジャップに政治宣伝をおこなっており、日本の捕虜の間で共産主義の学校を作り、日本に浸透作戦を行っている。

もし、日本の生活水準が低下して重い賠償金が課せられることになれば、日本は、自由を求めて、又ロシアの保護を求めるために共産化する可能性があり、

アジアにおける共産主義の潮の流れに対抗して、日本から太平洋に広がる思想的なダムを造ることが必要だと述べた。

迅速に止めなければ、ソ連は満州国に傀儡国家を作る可能性があるが、軍事手段を持って阻止するのではないと、マッカーサーは考えている。

一般的に言って、マッカーサーは、太平洋における戦争の結果について悲観的な見方をしている。

私は、マッカーサーに対して、米国内で、1948年の大統領選挙の立候補になることを期待する向きが多いとのべて、

自分もマッカーサーが当選することを信じるとのべたところ、マッカーサーはその気がないとのべたので、そうだろうと結論づけた。

本国アメリカでは、道徳的なそして政治的な退化現象が大きくなっており、不満や、極度の華美、賭博などが、大きくなっていると述べて、

1946年の選挙のあとの適当な時に、帰国して米国国民の評価を受けるためには、道徳問題と、政府、そして外国との関係の

三つの課題についての演説会を行うことができれば、洗者聖ヨハネのようにアメリカが必要とする人物になることができると

のべたところ、マッカーサーは、何時が適当な時期なのか教示して頂ければ、実行に移そうと述べた。

マッカーサーは、30年から32年までの、我々の関係について同情的に述べ、更には、マッカーサーが、(フーバーの)

準備計画を防御する為に、ルーズベルトとの確執が起きた最初の理由であったことや、ルーズベルトがその計画の削減のために

いかにこだわったかなどについて縷々述べた。

私が、日本人のための食糧計画に反対するのではないかとおそれていたらしく、マッカーサー将軍の部下から提案されていた、

栄養の最低を千キロカロリーにすることに賛成ことに感謝した。

その数字は、生存するためには低い数字であるガ、それまでは、もっと以上の栄養がとれないと失望状態にあったからである。

マッカーサーの部下の一ダースくらいの数の人と、戦争と平和、日本経済、アジアの諸問題について意見を交換した。

彼等の心を占めていたのは、ロシアの脅威であった。

だから、日本を訪れていた空軍の司令官のひとりは、私に真剣な顔をして、90日以内に戦争にならないだろうかと尋ねてきた。

空軍の組織をガラガラにしたばかりの時だったから、早く、何とか空軍の組織の立て直しをしなければならないと考えたらしい。

私は、大丈夫だ、ロシアは、収穫時期を過ぎなければ戦争を起こさない(時は五月で、北半球の秋の収穫の時期は八月か9月である。)、

答えておいた。

注. マーシャルは、中国で国民党と共産党を和解させるために訪中していたし、統一中国を造ることを
めざしていた。
ポーリー(Edwin A. Pauley)は、トルーマンが任命した人物で、ヨーロッパではドイツの賠償についてのアメリカ代表を務め、
日本と、ソ連が占領した朝鮮と満州の日本の財産についての米国の賠償問題に関する代表団の団長を務めた。)(つづく)


★ まだ続きますが、この文の掲載を許可して下さったチャンネルAJER様、そして稲村公望先生に心から感謝を捧げます。この続きは日をあらためて。本日はここまでです。
  








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2 コメント

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Unknown (神社百景)
2015-08-22 05:42:40
フーバー回想録
歴史がひっくり返るような事がかいてありますね。
渡部昇一か、渡辺惣樹がなぜ、この本を翻訳しようとしないのか
あるいは翻訳したくても、邪魔されるのか
理由を知りたいところです。
それはアメリカの非があきらかになる為です。 (神社百景さまへ)
2015-08-22 11:57:03
アメリカの非が明らかになることを怖れているからでしょう。しかし歴史は覆い隠せるものではない。
先日は竹田恒泰氏が『アメリカの戦争責任』戦後最大のタブーに挑む、原爆投下の正当性を問わずに、日本の戦後は、絶対に終わらない、・・・としています。

フーバー回想録の和訳は、日米両政府の圧力が
あったと思います。
平沼先生はそれを明らかにして知らせよと仰っているのでしょう。
稲村先生の論文はまだ続く予定です。

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