ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

語り継ぐべき怖ろしい大水害と土砂崩れ

2018年07月07日 | 政治

あわや大惨事 土砂崩れの瞬間「雷のような轟音」 災害前に予兆も

7/6(金) 19:40配信 神戸新聞

 6日昼すぎから神戸市垂水、須磨区で断続的に発生した土砂崩れでは、山陽電鉄の線路が複数箇所で土砂や倒木に覆われた。乗客約80人が乗った山陽姫路発阪神梅田行き直通特急は、土砂などに巻き込まれかねない危険な状況だった。

 会社に向かうため直通特急の先頭車両に乗っていた男性(53)=同市垂水区=によると、電車は進行方向の小規模な土砂崩れに気付いて停車。運転席に同乗していた係員がスコップで土砂を取り除く作業をしているさなか、20~30メートル先で大規模な土砂崩れが発生し、線路が完全にふさがれたという。

 電車停止から約30分後、避難誘導のアナウンスがあり、係員の案内で最後尾から1人ずつ降車。少し西側の踏切から国道2号に避難したという。男性は「先頭車両から土砂崩れの様子を見ていたので、また崩れるのではないかと身構えていた。早く電車から出たかった」と話した。

 現場近くに住む主婦(42)=同市垂水区=は線路に土砂が流れ込んだ瞬間を「家の中にいると、雷のような『ドーン』という音が鳴った。子どもに『危ないから家の中にいなさい』と声を掛けた」と声を震わせて振り返った。(以上)

 

★ 幼い時、水害で膝まで水につかって、母に手をつないでもらって歩いたことがある。ごく幼い時だったが、その時のことは今も鮮明に覚えている。

しかも両親や近所の人たちに、はるか昔の怖ろしい話をきいた。大水害で山は崩れ、土砂が南下し、逃げ惑う人たちを次々とのみこんでいったこと。その中で「健脚」のスポーツマンはスレスレのところで助かったことなど・・・。

この教訓は大変怖ろしかった。昔は家も少なくまだ「村」のようだったらしいが、山が花崗岩でできているのでいつ何があってもおかしくない、などときかされた。

じゃあ、ご老人や幼い子供はどうなるの? そして足の速くない人たちは?

だからこそ早めに避難しなくてはならないのだ。阪神淡路大震災の頃までは中心になって人々を叱咤激励し身を粉にして世話された方々はもう老いられた。

新しい世代が頑張らなければならないのにいつのまにか「安易な考え」「自分は無事だった、何を大騒ぎするのか」などと笑う声もあった。災害の恐ろしさは代々語り継がなければならないのに、それさえ失われようとしているのか、それも地元でも。

インフラの整備も日本の先達が敗戦のご苦労の中から声をあげてなされてきた。しかしもう明らかに老朽化しているのもある。外国のインフラに手助けや投資もいいが、日本国民の税金はまず日本のインフラ整備を頭にいれてっもらいたいものだ。そして避難所の整備も備蓄その他、阪神淡路大震災の教訓で当時はしっかりしていた。それが今は・・・実際にまわってみてわかったことだ。もちろん全部がそうだとはいわないが・・・。「明日は我が身」それがわかるのは自分が大災害にあった時だけ、というのではあまりにもあわれではないか。

 

ブログのティールーム

巨匠クラウディオ・アラウが奏でるリスト作曲「ため息」

Claudio Arrau Liszt Trois Etudes de Concert S.144 III Un Sospiro


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2 コメント

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暑中お見舞い申し上げます。 (さらりん)
2018-07-19 11:58:55
べッラさま こんにちは。

痛ましく大変は豪雨被害となりました。
心も身体も少し落ち着かれましたか?
豪雨の後は連日の酷暑となっています。
くれぐれもお大事にしてくださいませ。

私も幼い頃、川の近くに住んでいた頃があり、
大雨による増水で自宅が浸水被害に遭った記憶があります。
小さな長靴などなんの役にも立たず、
どんどん増えていく水は、
子供のおもちゃのバケツでなど、
なんとも仕様がなかったのですが、
子供ながらに必死だったことを覚えています。

数年前の広島で起きた豪雨被害のときも
後にその土地を知っておられた方のお話があり、
(諸説はあるようですが)
その土地は古来より
大きな水害の被害に遭ってきた土地であり、
以前は蛇や谷の付いた地名でした。
東日本大震災の津波の被害の時も、
古来より津波の来た印が残されていたと、
後に多くの人が知ることとなりました。

どれほどこれまでも日本列島は災害が多く、
先人達は大きな悲しみと苦しみを受け、
それを語り継いできたことの証左であると思います。

それでも傾斜地や埋め立てた土地に
住まざるを得ないのも事実でしょう。
安易な地名の変更や古来の言い伝えを封印し、
綺麗な名前で開発されていくことへは、
危機感を感じます。

3.11のとき古くから伝えられてきた
『津波てんでんこ』は多くの命を救いました。
良い意味での集合知が大切なのだと思います。
あれから心身ともに疲れていたのか、ブログ休んでしまいました。 (さらりんさまへ)
2018-07-19 22:10:35
やはりいろいろ心配して、動き回ったあと、
体力消耗で何もやる気がでなくなりました。
しばらくブログも書かず、書いても思っていることの
半分も書けない、そして口の横がピクピクして
お医者さんに伺うと「ストレスです」って言われました。
気持ちはしっかりしているつもりでも体力が。

また一昨日、山手の住宅の方が仰っていましたが、
私と同じように「避難所」になっている学校に行くと
「施錠」されていたということです。

そこは実際に土砂崩れが起きている近くです。
どうしてこんなにたるんでしまっているのでしょうか。
地域力の低下は確かですが、「避難指示」が出ても
避難できないので帰ってしまわざるを得ないのでしょう。私だけではないので、市に忠告するつもりです。
次も心配ですから。

地名は危険なところも伝えていたのですね。
山から流れる川の位置を変えたり、谷を埋め立てたり
狭い日本は工夫をしたようですが、このような時に
地形はしっかり覚えていて大変な災害になるのですね。山は削ってはならないと思います。

子供の時より遊んでいた海岸もいつのまにかなくなっていました。
台風も脅威です。
避難所すら「施錠」・・・

災害に鈍感になってしまったのは政治家もそうです。
私は小野寺さんをしっかりしていて謙虚な大臣と
勝手に思ってpりましたが、どうも違うようです。

与党であるという意識を持たないと「あの子もこの子も
遊んでいた」と子供のようなことを言っていてはならない・・・これは支持者ですが。

こんなこと残念に思います。
さらりんさまの仰るように昔からの災害も
地元でしっかり知るべきと思います。
私の住んでいるところでは戦前に土砂崩れがあり、
山からの土砂が逃げる人々をのみこみ、
陸上の選手がスレスレで助かったということは
伝えられています。それが国道までの土砂だったとか。当時はほとんんどが畑や田でしたので人口は
少なく「村」だったそうです。
これももう忘れられているようです・・・。

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