4-9-2.かみそりで切った手相
骨が見えるような痩せ細った自分の手を解説書の説明を読みながら、照らし合わせてみるとかなり運命線が悪い手相だった。
「あ、私の運命が悪いのは手相にも表れているんだな。運命ってこんなもんか。さほど遠くない未来に死ぬのかな。」
毎日、体温を計るたびに手相をみて、悲しい思いをしながら不安に落ちていた。病気が治る前には体温が下がることはないのになんで来る日も来るも体温を計るのかと不満に思いつつ、計らないと不安になって体温計を手に取る。そうすることによって自然と手相を見るといった繰り返しの毎日だった。それから徐々に自分の生れ付きの悪い運命を決めている手相にこのまま従ってたまるかという反発心が芽生えてきた。
豊臣秀吉も運命線が悪かったが、刃物で手相を変えたとう話を聞いたことがあった。私も運命を変えてみたいという考えで、かみそりで手相を切った。しかし、そのことで私の人生が変わったかどうかは知る余地がない。だけど、それから体の具合がよくなった。すると名前占いのことや手相のことなどすっかり忘れてしまった。
今、私の手相を見るとその時、切った細い線が残っている。しかし、私は断言する。当時、私がそのようなことをしたのは病で心身が弱っているからのことだ。運命という言葉が持っているニュアンスの「すでに決定されている人生航路」というは真理ではないと確信している。手相も志で変えることができるというのが私の信念だ。
当時、父は鉄道公務員を退職して、銭湯を経営したが、燃料の石炭不足で赤字を強いられた。そのため、持っていた土地を売って生活費と私の治療費に当てていた。酒が好きだった父はそのころ、さらに飲むようになって一日中酔っている日が多かった。
銭湯の経営はうまく行かず、期待していた次男(私)は結核で、高等学校への進学の夢を畳んで、病床での生活をしているばかりだったので、かなり心労が多かったはずだ。よりによって東京で勉強中だった兄も強制学徒兵志願から逃げて実家に戻ってきた。父の心労を考えれば、酒を求めていても可笑しくはない。その回顧録を書きながら、当時、父のことを理解しようとしなかったことに改めて申し訳なく思う。
つづく
【挑戦しない人生は香りのないお酒】は、【百歳酒】誕生の実話の回顧録です。
2007年11月2日から掲載をはじめした。
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