Seize the day.

May the Force be with us all.

その六百二十三 明るい方へ追い詰められる

2022-05-31 13:18:00 | 日記
いかなるときも、悪思考は許されない。
どんな状況でも、悪感情・悪思考は正当化できない。
悪感情を持つこと、悪思考をすることに言い訳は成り立たない。

そのことをとことん理解すると、人間はどこまでも明るい方に追いやられていきます。
明るい方向にしか行けなくなる。

未熟な人間はどうしても悪感情を持ってしまう。
不完全な人間は、出来事や環境に応じて様々な悪感情を抱いてしまう。
それを正当化しようとして悪思考をしてしまう。

そのどれもが、許されるものではない。
正当化できない。言い訳はいっさい成り立たない。

悪感情をいだいてしまった、と落ち込んだり後悔したりすることも悪感情です。それも許されないのです。

でも未熟で不完全だから、どうしても悪感情をもってしまいます。
でもそれに対して暗い感情をもつこともダメなのです。

だから、より善くなろうと明るい気持ちで心がけるしかできないのです。
悪感情を抱いた自分を明るい気持ちで戒めるしかない。

どこまでも悪感情、悪思考が許されないので、

落ち込んだり苦しんだりできないのです。
でもやってしまうのです。未熟で不完全だから。
そうなるともう、自分が未熟で不完全であることを明るく受け入れて、より善くなろうと心がけるしかない。

他人に対して見下したり、他人を嫌だと思ったりすることも悪感情です。
いっさい生命への慈しみがないからです。

でも、ついそんな感情をもってしまう。
だけど、もちろんそれもいっさい許されない。
でもやってしまう。
そして、そんな自分に落ち込んだり嫌悪感を持つことも悪感情ですからダメです。
それもダメかと、追い詰められたように感じて暗く悩むことも悪感情ですからダメです。

結局、より善くなろうと明るい気持ちで心がけるしか選択肢はないのです。
 

その六百二十二 苦なく幸福であるために

2022-05-28 11:33:00 | 日記
「仕事」とか「通勤」とか「デート」などは【概念】なのですね。

ひとつひとつの動作に分解していったとき、そうしたひとまとまりの概念は一体なんなのかよく分からなくなります。

少し前に書きましたが「食事」もそうです。「食事」という動作、ひとつの行動は存在しない。様々な腕の動作、口腔付近の動作の連続を総称して「食事」と呼んでいる。


そうやって分解していったとき、

通勤で電車に乗るのと、デートの待ち合わせ場所に向けて電車に乗るのでは、動作上なんの違いもないわけです。

でも、通勤電車で気分があがらないこと、楽しみにしているデートに向かう電車で気分が良いことは、当たり前のように正当化されています。

しかし、それを正当化して何か良いことはあるのでしょうか。
それはつまり、苦しみを正当化しているわけです。

仕事で徹夜をすれば「あー、それはめちゃくちゃストレスだね!」と。
友達と徹夜で遊べば「楽しかったね!」と。

ストレスや苦痛を正当化し、それを解消するために少しぐらい善から逸脱した行為をすることも正当化しかねない。
もしくはそれを我慢していることを美化したりする。

ストレスも苦痛も悪感情だと理解したとき、悪感情を持つことは正当化できなくなります。
「いや、仕方ないじゃないか」という言い訳も成り立たない。
悪感情は、より善くなるうえでなんの妥当性もない。つまり、そんなものをあらゆる言い訳をして正当化しても、その主体の幸福にはいっさい結び付かない。

仕事であろうが遊びであろうが、動作にたいした違いはない。立つ、座る、しゃがむ、歩く…物を運んだり、車を運転したり…

やりたいか、やりたくないか。
望むか、望まないか。
それが抱く感情に大きく影響する。

それを正当化することは、苦痛を正当化する。
根本的に苦痛をなくしたければ、そこをなんとかするしかない。

やりたいことも、やりたくないことも、望むことも、望まないことも、

動作において違いはなんなのか。

同じ動作について、思考によって悪感情と善感情を抱いているのだとしたら、

その思考は正当化はできない。
悪感情の正当化は成り立たない。

思考によって悪感情を抱いてしまうこと自体は仕方ない。人間は未熟です。
しかし正当化はできない。

悪感情を感じたら、向上させるチャンスです。

本当に、根本的に苦痛をなくしたり、
より善くなっていくということは、実に厳しい道のりだとは感じます。
でも、その努力はとてもすがすがしく爽やかなものです。厳しいことをやって、そこに悪感情がいっさい無いからでしょう。

悪感情を正当化していたら、やりたくないことや望まないことに出逢うたびに悪感情を抱く人生になります。

悪感情を抱くたびに向上のみちを確認していけば、どんどん善くなると思います。
そこには幸福感がありますが、
それは幸福感情とは何かが違う感覚なのです。

感情という感覚ではないんですよね…
悪感情を抱かずにひたすら善を為そうとするときの感覚も、言葉にすれば
「楽しい」としか表現できませんが、それは感情とは何かが違います。

そのへんを言葉にするのはいまの僕には難しいです。
 

その六百二十一 なくならない理由

2022-05-21 18:45:00 | 日記
修行していると、色々とトラップが出てきます。
あまりに素晴らしい変化を実感して多幸感に包まれたり、
神や大いなる存在を覚知してしまうようなちょっとした神秘体験をしたり、
底知れない絶大な癒しを覚えたり。

それらは、僕にとっては危険なトラップです。
なぜなら、それらは「快」だからです。
快感情を生むからです。
快感情は固執のもとになります。
その状態でいたい、その状態を失いたくない。
そこに執着すれば、それを失うことへのおそれなどから、再び悪感情が芽生えてしまいます。
快感情と悪感情はセットになります。

感情を蔑ろにしてはなりません、が、
感情というのは抱く個体のことなど何も考えてはいません。
ただ理不尽で不条理でいい加減で破壊的で破滅的で、本当に無知蒙昧なものです。
蔑ろにしてはなりませんが、そんなものに人生や人格の主導権を握らせない方が善いと理解しています。快であろうが不快であろうが、感情の扱いは気を付けた方が善いと思います。

向上しよう、より善くなろうということより、堕落や悪行の方が容易い。
より善く、というみちは容易くはないのです。
快感情に身を任せた方が良いように思っていましたが、それがもとで悪感情も芽生えるということを理解できていなかった。
快感情を追い求めたなれの果てが破壊行為になっていく。
ただただ望み通りの環境や出来事しか起きないならば、ひたすら快感情に身を委ねて生きて問題はないですが、そんなことはないですね。快感情を邪魔する出来事は必ず起こる。

向上は容易くはないです。
堕落は容易い。

健康的にダイエットしようとすることと不健康になることを比較しても、
信用してもらうことと不信を買うことを比較しても、
とにかく向上というのは大変です。
で、ちょっと向上したらやめちゃう。
向上を実感したときの多幸感に執着したりする。


そんな修行の日々のなかで、
「弱肉強食」とか「適者生存」を言い訳にいままでなんと無慈悲な考えでいたか…と思いました。

この世の中は、なんと堕落を正当化する社会なのか、と。

give & takeなんて言いますが、
give & receiveなんですよ…とスマナサーラ氏が口にされているのを聞いて、
なるほど…と納得すると共に人間の傲慢さを改めて想いました。

弱肉強食か適者生存かなんてどちらでもいい。
必要なのはいっさい生命への慈しみ。
堕落させる思考はどうでもよい。
より善く。

それじゃ生きていけないとか、
善行でメシは食えないとか。
そう考えて、
悪行してメシ食って生きるわけですね。

だからイジメも虐待も戦争も…ありとあらゆる「なくしたほうが良いもの」がなくならんのでしょう。
 

その六百二十 アイスクリームの日②

2022-05-09 17:43:00 | 日記
ただひたすらに善行為をして生きる。
なんの見返りを求める動機もなく、ただひたすらに。

ただただ善行為をして生きているのになんの見返りもなく、世間的に良くないとされる出来事ばかりが起こるとしても、
それは善行為をしない理由にはならない。

悪行の限りを尽くしているかに見える誰かが、その見返りとしての報いを受けるかどうかも、おのれが善行を為すこととは関係がない。

悪行の限りを尽くす誰かに素晴らしい出来事ばかりが起き、その人が幸福に満ち足りていたとしても、関係なく我はただひたすらに善行を為す。

ほかのなにも関係なく、ただひたすらに善行を為す日々というのは、
ただひたすらに満ち足りた日々となる。


…と、そのように自然と感じられること。
そのような境地は、とても貴重で尊いと思うのです。無敵なのです。


それにしても肌寒いですね。こんなに肌寒いですが今日は「アイスクリームの日」なんですね。
ちょうど一年前にもアイスクリームの日にちなんで記事を書いていますね。
一年前とは僕もだいぶ変わりました。
とりあえず今日は寒くてアイスクリーム食べる気にはなれないですね…笑
 

その六百十九 夢も希望もない

2022-05-05 18:07:00 | 日記
悪思考を正当化してはならんと思います。

そんなことがあれば怒って当然だとか、
傷付くのが当たり前だとか、

そんなことはないのです。

普通には、出来事に傷付いたり、つい怒ったりしてしまうのが人間ですが、

みんなしてそれを正当化して、より善く変わることをしない言い訳を全人類でつくっては、

この世の善くないことはなくならない。

より善くなろうとするならいっさいの言い訳を正当化せず、常により善くあろうとせねばなりません。

一瞬たりとも悪思考する自分を正当化してはならんのです。
たまには酒を飲んでストレス発散…とかも成り立ちません。
より善い日々にストレスなど存在しません。

悪思考をしないでより善くなろうとする日々は最高ですよ。
夢も希望もありません。生きているその瞬間一瞬が最高で、そして生きるほどに善くなっていくみちにあるわけです。
夢や希望はいまでなく将来に抱くものですが、善思考をしてより善くなる日々はまさにいまなのです。

なにが起きても充足感とエネルギーに満ちて生きることができるみちです。

いっさい苦しむことがない生き方なのです。


文章だけ読むとなんだかヤバい奴みたいですね…笑

宗教とかに入ったりしてませんよ。ただ現実的な思考の変化、生き方の変化があらわれただけです。
相変わらず仕事して術技の稽古して楽しく生きております。