色々と事件も起きますね…
なんというか、やっぱり、
煮詰まるようなのは良くないんでしょうね
真面目は良くない…いや、真面目も大事ですね。真面目すぎると良くない。
突き詰めすぎも良くない。
真面目で突き詰めるのが好きなとこがある人は、すぎやすい気がします。
いいかげんに、てきとうに。節操なく。
そんなテイストを加えてあげないと、どんどん突き詰めて、思い込んで、煮詰まって、
事件でも起こしてしまうようなところまでいってしまう。
僕もちょっと気を付けないといけないです。
真面目に突き詰めるとこがあるもんだから、
いいかげんに…テキトーに…となると、
いいかげんとはなんぞや
テキトーとはなんぞや
どの程度が"良い加減"なのか
どのぐらいが"適当"なのか
突き詰めだす。
ぜんぜん、いいかげんにもテキトーにもなれない。
放っておけばいいって言われても、
放っておくとは?
どうやって放っておくのが正しい?
なんて。
いいかげん、ってのは
いい加減、であって、野放図とは違うだろ?どの程度の加減を「いい」っていうんだ?
テキトーってのは
適当、であって、つまりちょうどいいってことでしょ?テキトーにしてたらちょうど良くならないでしょ。
…そんなふうに、真面目に突き詰めようとする
そして、真面目に突き詰めようとすると、際限がなくて、どっかで煮詰まりだす。
そうすると怒りが湧いてくるように思う。
真面目なもんだから、明快に正解に辿り着かないと納得できない。
その怒りをどうする?
そうやって起こる事件もあるんじゃなかろうか。
それこそ、いい加減に、適当に生きてたら、だんだん生きるのがラクになるのが当たり前でしょう。
長く生きてるのに若いときと苦悩が相変わらずだったり、受け入れられないことが増えたりするんだったら、
なんか加減を間違ってると思った方がいい。なにかが適当じゃない。
長く生きてきたら、
どんどんラクになって、どんどん色んなことを放っておけるようになって、
受け入れられないことが減ってきて、
比較することがなくなってきて、
そして慈しみのこころがどんどん浸透してくる…
それが、いいかげんでてきとうな、
妥当な生き方なんじゃなかろうか。