Seize the day.

May the Force be with us all.

その五百八十三 まさにいま

2022-01-28 11:53:00 | 日記
高校生のときに漢文の先生がくれた写真です。なんとも強烈なジジイですよね(笑)
でも、僕はなんか癒やされるのです。


どんな老人になりたいか、最近たまに考えます。
ただただ穏やかで、いつも微笑みを絶やさないような好好爺…気の良い、善意の塊みたいな。そんなイメージもありましたが、

本人はいたって平和でニコニコしてるようで、実はまわりは迷惑してる…みたいな場合もあるんですよね。世の中そう甘くはないもんです。

どんなおじいちゃんになりたいか、というのは、
実は、どんなおじいちゃんに見られたいか、ということなんじゃないだろうか。
つまり、人からどんな風に思われる人になりたいか。

それを抜きにして考えると、
別にどんなジジイになっても構わない気がしてきます。


本人はいつもニコニコ平和だけど、言動がすごい鈍感で無神経でまわりはいつもイライラしたりガッカリさせられている、なんて人。
そんな風にはなりたくはないです。

一方で、
以前あこがれていた知り合い達は、60、70代なのにとにかく元気、エネルギッシュで、若者と格闘技で汗を流し、しかも本当に強くてそこらの選手じゃ互角になってしまう。
スキルス胃ガンを含む複数回のガンを乗り越えた怪物ジジイもいる。
けれども最近気がついたことは、彼らは若者の如く相変わらずまわりとぶつかる。老境に達しながら、受け入れられていないことが多い。よく言えば、どうにもならないことと戦うエネルギーがある。
ああなりたいかと考えると、いまでは否、なのです。
どうにもならないことと戦うほどエネルギーが余っていることは素晴らしいと思います。ならば、そのエネルギーはもっとよいことに使いたい。


まわりからどう思われたいかを考えて紡ぐ人格はハリボテみたいなものかもしれません。
どんな老人になりたいか考えるのも悪いことではないでしょうが、
「いま」を紡いで生きる先に老境があるわけですから、なによりやるべきは「いま」に最善を紡ぐことなのだろうな…と、まさにいま記事を書いていて思いました。
 

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