今回のは面白かった。
犯人がしたのかと思われた、冒頭のラジオ番組への電話リクエストは、実は被害者の元婚約者による狂言と判明。
番組中盤で、早くもそうして最初のホシが上がり、それが肩透かしだったのは、前回の「剣聖」と同じ。
でもこちらの方が意表をついていた。
え、じゃあ犯人は誰?と、ふだんは犯人捜しにさほど関心を持たないあたしでも、身を乗り出したもの。
(どちらかといえばストーリー構成の方に興味を持ってるもんで汗)。
それにしてもこの婚約者、美しいクラシック音楽と殺人現場を重ねるとは、犯罪者の素質ありかも(って狂言も犯罪ですが)。
いくら捜査陣の関心をひきつけたいからって、そこまでやるだろうか。
でも、おかげで犯人の父親が足を出し、時効前に真実がわかったんだから、やっぱり一番の殊勲賞はこの人なんでしょう。
その狂言エピソードを種火に、様式美の極致であるバロック音楽の構成さながらに、美しく展開したのが、殺人事件を追う側と追われる側に、相似形のように表れた、二つの壊れた親子関係。
不倫の結果、母を自殺に追い込んだ父に憤って、意趣返しに不倫相手の女性とよく似た顔つきの女子大生を殺害した息子。
その事件を追う刑事の父が、捜査に没入するあまり、母の死に目にも顔を見せなかったことに憤慨し、10年以上父と関係を絶った娘。
クローズ・アップされるのは父と子の関係だけど、その裏に影を大きく落とすのが、全く顔を見せない、もはや不在の母の強烈な存在感。
殺人犯となった息子も、刑事の娘も、どちらも母親に強く感情移入をしてて、まるで母の代理人のように、激しい怒りと憎しみを父親にぶつけてくる。
冒頭、電話でリクエストされたバッハのアベ・マリア(ですよね)が、全てを許し、受け入れるマリアを崇拝する歌であるのとは、まるで逆。
許さない、と憤怒の顔をのぞかせる、妻の、女の、もう一つの姿が浮かんでくる。
そう、この回のテーマは復讐と許し。
子供二人は母になり代わって、父に復讐しているとも言える(母親の絶大なる権力ですねー)。
最後まで復讐の鬼(?)に化して、父親とその事業にダメージを与えることだけを目的に残忍な犯行に及び、そのうえ自分の人生まで滅ぼしてしまった息子。
一方、その死の直前、病魔に冒された父を許し、彼の心を慰める嘘を右京さんたちと共有するに至る娘。
この最後のオチの方は、本来の「アベ・マリア」の歌にあるような慈しみの心が蘇り、勝利するということで、曲が流された冒頭から織り込みずみではあったけど。
冒頭もう一曲、ラジオで流された「アメイジング・グレイス」と、もともとペアになっていたし。
この「アメイジング・グレイス」って歌は何だろう、とググってみたら、奴隷貿易に携わったイギリス人男性が、その非人道的な行いをその後悔い改めて、キリスト教の教えを学ぶうち、作詞したものらしい。
こんなひどい所業をした自分にも「神のすばらしい恩寵」(アメイジング・グレイス)はあるのだ、という気持ちが込められているとか。
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、と言った親鸞上人と同じような意味なのかな。
でもとにかくまあー、凝ってましたねー。
と、見終わった時は満足していたのだけど、ドラマの中のある一点がちょっと気にかかって、この感想を書くために、その一点について考え始めたら、だんだん、うーんという気になってきた。
その一点とは・・・この刑事の娘に、捜一トリオや薫ちゃんが「お父さんと会ってやれ」「わかってやれ」と、やいのやいのと言うところ。
人の家庭の話だから、他人の自分にはわからないところもあるかもしれない、と、もうちょっと遠くから様子を見るような態度を取ってもいいんじゃないかと思うけど(まあ、でもそれだと話も進まないけどね)。
あんな「コワイ顔をした人」ら三人に囲まれてどうこう言われたら、それだけでビビるじゃないか。
オヤジさんは”プロの仕事をした”だけだ、などと同じ刑事として、説明をしてあげていたけど。
でも、あたしが思ったのは、この父親の刑事さん、奥さんが危篤の時だけじゃなくて、ふだんからずっと家庭を放りっ放しにしていた人なんじゃないか、ということ。
でなきゃ、娘もこんなに怒らないし、もっと早く許すでしょ。
舞台俳優は本番中は、親の危篤にも駆けつけられないとか、そうした、私生活が犠牲になりがちな仕事が、世の中にあることは理解できる。
刑事の仕事もそうした過酷な職業の一つなんでしょう(刑事と家庭不和って、よく映画とかでつきものの話になってるし)。
でも現実には、子煩悩な刑事さんもたくさんいると思うよ。
家族とそんな関係になってしまったのは、むしろこの父親刑事の性格のせいなんじゃ。
なぜだかわからないけど、家族を避けるために仕事に精を出すって人も、世の中にはけっこういるから。
第一、毎月被害者の命日に遺族宛に手紙を書くことまでしているなら、どうして奥さんの命日にも欠かさず何かをしてあげるというような気持ちが持てないのか、不思議(そうしたら娘さんもちょっとは軟化していたでしょうに)。
やっぱりこの父親刑事の内面のバランスは、ちょっと崩れていると思わざるを得ない。
まあとにかく、九時五時じゃない仕事って、家庭との両立が大変なのは確かだと思う。
だから刑事さんの奥さんって、美和子さんみたいに自分の世界を持って、自由に飛び回っている、ぐらいの方が本当は本人も気楽。
(それで右京さんは離婚して、たまきさんを自由にしてあげたということも、もしかしたらあるのかも。逃げられたんじゃない、っていうのは、まあほんとにその通りで?)。
だって一日のうち、何時に帰って来るかわからないような人と生活を共にするのって大変。
現実的に、そんな人に合わせていられないから、そのうちその人抜きで暮らすようになって、たまに早く帰って来たら、「あら、どうしたの」と奥さんは言い、子供は振り向きもしないようになる。
そうやって、一種の家庭崩壊しちゃった家族なんて、日本にごまんとある。
だから、そういう両親を目にして育ってきた率が比較的高いと思われるあたしたちの世代は、わりとそうならないように、家庭内の人間関係のメンテナンスを心がけている人が多いと思うんだけど(少なくともあたしの周囲では)。
そうでなくても、家の中が単なる共同下宿生活にならないように、子供に「何、このオジサン」と思われないように、心を砕いている人はけっこういると思う。
そういうところで、独り身の伊丹ンや芹沢刑事、そうした苦労をあまりしなくていい相手がパートナーの薫ちゃんに、「家族をつなげる努力を全く人任せにしてきたのを、許してやって」と言われても、素直にはいとは言えません(笑)。
でも注目すべきは、最後にそうやって娘から許されたこの父親刑事さんが、実は真犯人はとっくに死亡していて、長年の捜査はその意味では全くの徒労だった、という冷徹な現実を知ることなく――まるでそんな現実に立ち向かうのは、彼には厳しすぎる試練のように――亡くなっていったことだ。
彼にそうした嘘をつくことを含めて、全てを受け入れた娘さんは、この時完全にその父親と、親と子の立場が逆転していたと思う。
逆に言えば、この刑事さんはプロとされながらも、同僚の刑事たちに、北風に当てるには過酷すぎる、真綿にくるまれた子供のように扱われた、と言ってもいいのではないか。
慈愛に満ちたマリアの裏には、憤怒と復讐に燃える恐ろしい女の顔があるとしたら、「すばらしい恩寵」を与えてくれる神のもう一面は、人の身には理解しがたい不条理を突きつける非情な存在だったりする。
そうした神の持つ「父の非情さ」に直面させずに、マリアの中にある「母の慈愛」で、死に行くこの刑事さんを包むというのが、薫ちゃんがとっさに下した判断であり、右京さんも一瞬躊躇したけど後に続いた。
この行動が正解だったかどうか、最後の花の里でのシーンでみんなが考え込んでいたのと同じく、あたしにはとてもわからない。
録画しなかったのが残念だけど、また見直したら、そのたびごとに感想が変わるようなものかもしれない。
でも優れた古典がしばしばそうであるように、見るたびに考えさせられる、そんな力のこもったテーマが今回の相棒にはあって、冒頭に流れたクラシックにまさにふさわしい調べの作品だったことは確かだ。
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番組中盤で、早くもそうして最初のホシが上がり、それが肩透かしだったのは、前回の「剣聖」と同じ。
でもこちらの方が意表をついていた。
え、じゃあ犯人は誰?と、ふだんは犯人捜しにさほど関心を持たないあたしでも、身を乗り出したもの。
(どちらかといえばストーリー構成の方に興味を持ってるもんで汗)。
それにしてもこの婚約者、美しいクラシック音楽と殺人現場を重ねるとは、犯罪者の素質ありかも(って狂言も犯罪ですが)。
いくら捜査陣の関心をひきつけたいからって、そこまでやるだろうか。
でも、おかげで犯人の父親が足を出し、時効前に真実がわかったんだから、やっぱり一番の殊勲賞はこの人なんでしょう。
その狂言エピソードを種火に、様式美の極致であるバロック音楽の構成さながらに、美しく展開したのが、殺人事件を追う側と追われる側に、相似形のように表れた、二つの壊れた親子関係。
不倫の結果、母を自殺に追い込んだ父に憤って、意趣返しに不倫相手の女性とよく似た顔つきの女子大生を殺害した息子。
その事件を追う刑事の父が、捜査に没入するあまり、母の死に目にも顔を見せなかったことに憤慨し、10年以上父と関係を絶った娘。
クローズ・アップされるのは父と子の関係だけど、その裏に影を大きく落とすのが、全く顔を見せない、もはや不在の母の強烈な存在感。
殺人犯となった息子も、刑事の娘も、どちらも母親に強く感情移入をしてて、まるで母の代理人のように、激しい怒りと憎しみを父親にぶつけてくる。
冒頭、電話でリクエストされたバッハのアベ・マリア(ですよね)が、全てを許し、受け入れるマリアを崇拝する歌であるのとは、まるで逆。
許さない、と憤怒の顔をのぞかせる、妻の、女の、もう一つの姿が浮かんでくる。
そう、この回のテーマは復讐と許し。
子供二人は母になり代わって、父に復讐しているとも言える(母親の絶大なる権力ですねー)。
最後まで復讐の鬼(?)に化して、父親とその事業にダメージを与えることだけを目的に残忍な犯行に及び、そのうえ自分の人生まで滅ぼしてしまった息子。
一方、その死の直前、病魔に冒された父を許し、彼の心を慰める嘘を右京さんたちと共有するに至る娘。
この最後のオチの方は、本来の「アベ・マリア」の歌にあるような慈しみの心が蘇り、勝利するということで、曲が流された冒頭から織り込みずみではあったけど。
冒頭もう一曲、ラジオで流された「アメイジング・グレイス」と、もともとペアになっていたし。
この「アメイジング・グレイス」って歌は何だろう、とググってみたら、奴隷貿易に携わったイギリス人男性が、その非人道的な行いをその後悔い改めて、キリスト教の教えを学ぶうち、作詞したものらしい。
こんなひどい所業をした自分にも「神のすばらしい恩寵」(アメイジング・グレイス)はあるのだ、という気持ちが込められているとか。
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、と言った親鸞上人と同じような意味なのかな。
でもとにかくまあー、凝ってましたねー。
と、見終わった時は満足していたのだけど、ドラマの中のある一点がちょっと気にかかって、この感想を書くために、その一点について考え始めたら、だんだん、うーんという気になってきた。
その一点とは・・・この刑事の娘に、捜一トリオや薫ちゃんが「お父さんと会ってやれ」「わかってやれ」と、やいのやいのと言うところ。
人の家庭の話だから、他人の自分にはわからないところもあるかもしれない、と、もうちょっと遠くから様子を見るような態度を取ってもいいんじゃないかと思うけど(まあ、でもそれだと話も進まないけどね)。
あんな「コワイ顔をした人」ら三人に囲まれてどうこう言われたら、それだけでビビるじゃないか。
オヤジさんは”プロの仕事をした”だけだ、などと同じ刑事として、説明をしてあげていたけど。
でも、あたしが思ったのは、この父親の刑事さん、奥さんが危篤の時だけじゃなくて、ふだんからずっと家庭を放りっ放しにしていた人なんじゃないか、ということ。
でなきゃ、娘もこんなに怒らないし、もっと早く許すでしょ。
舞台俳優は本番中は、親の危篤にも駆けつけられないとか、そうした、私生活が犠牲になりがちな仕事が、世の中にあることは理解できる。
刑事の仕事もそうした過酷な職業の一つなんでしょう(刑事と家庭不和って、よく映画とかでつきものの話になってるし)。
でも現実には、子煩悩な刑事さんもたくさんいると思うよ。
家族とそんな関係になってしまったのは、むしろこの父親刑事の性格のせいなんじゃ。
なぜだかわからないけど、家族を避けるために仕事に精を出すって人も、世の中にはけっこういるから。
第一、毎月被害者の命日に遺族宛に手紙を書くことまでしているなら、どうして奥さんの命日にも欠かさず何かをしてあげるというような気持ちが持てないのか、不思議(そうしたら娘さんもちょっとは軟化していたでしょうに)。
やっぱりこの父親刑事の内面のバランスは、ちょっと崩れていると思わざるを得ない。
まあとにかく、九時五時じゃない仕事って、家庭との両立が大変なのは確かだと思う。
だから刑事さんの奥さんって、美和子さんみたいに自分の世界を持って、自由に飛び回っている、ぐらいの方が本当は本人も気楽。
(それで右京さんは離婚して、たまきさんを自由にしてあげたということも、もしかしたらあるのかも。逃げられたんじゃない、っていうのは、まあほんとにその通りで?)。
だって一日のうち、何時に帰って来るかわからないような人と生活を共にするのって大変。
現実的に、そんな人に合わせていられないから、そのうちその人抜きで暮らすようになって、たまに早く帰って来たら、「あら、どうしたの」と奥さんは言い、子供は振り向きもしないようになる。
そうやって、一種の家庭崩壊しちゃった家族なんて、日本にごまんとある。
だから、そういう両親を目にして育ってきた率が比較的高いと思われるあたしたちの世代は、わりとそうならないように、家庭内の人間関係のメンテナンスを心がけている人が多いと思うんだけど(少なくともあたしの周囲では)。
そうでなくても、家の中が単なる共同下宿生活にならないように、子供に「何、このオジサン」と思われないように、心を砕いている人はけっこういると思う。
そういうところで、独り身の伊丹ンや芹沢刑事、そうした苦労をあまりしなくていい相手がパートナーの薫ちゃんに、「家族をつなげる努力を全く人任せにしてきたのを、許してやって」と言われても、素直にはいとは言えません(笑)。
でも注目すべきは、最後にそうやって娘から許されたこの父親刑事さんが、実は真犯人はとっくに死亡していて、長年の捜査はその意味では全くの徒労だった、という冷徹な現実を知ることなく――まるでそんな現実に立ち向かうのは、彼には厳しすぎる試練のように――亡くなっていったことだ。
彼にそうした嘘をつくことを含めて、全てを受け入れた娘さんは、この時完全にその父親と、親と子の立場が逆転していたと思う。
逆に言えば、この刑事さんはプロとされながらも、同僚の刑事たちに、北風に当てるには過酷すぎる、真綿にくるまれた子供のように扱われた、と言ってもいいのではないか。
慈愛に満ちたマリアの裏には、憤怒と復讐に燃える恐ろしい女の顔があるとしたら、「すばらしい恩寵」を与えてくれる神のもう一面は、人の身には理解しがたい不条理を突きつける非情な存在だったりする。
そうした神の持つ「父の非情さ」に直面させずに、マリアの中にある「母の慈愛」で、死に行くこの刑事さんを包むというのが、薫ちゃんがとっさに下した判断であり、右京さんも一瞬躊躇したけど後に続いた。
この行動が正解だったかどうか、最後の花の里でのシーンでみんなが考え込んでいたのと同じく、あたしにはとてもわからない。
録画しなかったのが残念だけど、また見直したら、そのたびごとに感想が変わるようなものかもしれない。
でも優れた古典がしばしばそうであるように、見るたびに考えさせられる、そんな力のこもったテーマが今回の相棒にはあって、冒頭に流れたクラシックにまさにふさわしい調べの作品だったことは確かだ。
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読んでいただいて、ありがとうございます。
よろしければ、クリックで応援お願いします。
TBありがとうございます。
現在、ヤプがメンテナンス中なんで、終わり次第、こちらからもTBさせていただきます。
>でも、あたしが思ったのは、この父親の刑事さん、奥さんが危篤の時だけじゃなくて、ふだんからずっと家庭を放りっ放しにしていた人なんじゃないか、ということ。
たぶん、そんな感じでしたよね。ただ、逆に言えば、あの刑事さんが家庭よりも仕事を徹底して優先する、ってことは結婚前からわかっていそうなものなんで、奥さんはそれを承知で結婚している筈では?と思います。娘さんが父親を嫌った理由は「自分に対して何もしてくれなかった」からであって、母親を引き合いに出すのは卑怯じゃないかなぁ、と思います。母親が仕事至上主義の父親を恨んでいたか、そんな人だから好きだったかは、母親にしかわからない筈ですし。私はどちらかと言うと、娘の方が先に逃げたんじゃないかと思ってしまいました(笑)
母親の死ぬ間際の言動が一切描かれてなかったんで、見る人によって受け取り方変わるのかもしれませんね。
そうですねー。
娘の母親が実際どう思って亡くなったかはわからないですね。
>あの刑事さんが家庭よりも仕事を徹底して優先する、ってことは結婚前からわかっていそうなものなんで、奥さんはそれを承知で結婚している筈では?と思います。
そうかもしれませんね。
ただ結婚生活でしばしばあるように(笑)、当初の予想をはるかに超えるとんでもない現実、という実態があったりしますから。
結婚後(お互い)豹変することもあるし。
あと、最初はなんとも思わなかったけど、年月がたつうちにだんだん鬱憤がたまっていくとか。
人の気持ちって変わっていくものだと思いますから。結婚前、相手のことをどう思っていたか、結婚後はきれいに忘れてしまう人の方が世の中にはけっこう多いような・・・(笑)。
>母娘さんが父親を嫌った理由は「自分に対して何もしてくれなかった」からであって、母親を引き合いに出すのは卑怯じゃないかなぁ、と思います。親が仕事至上主義の父親を恨んでいたか、そんな人だから好きだったかは、母親にしかわからない筈ですし。
うーん、母親がもし父親を許してたら、母親が亡くなった時に父親が来なかったことを、娘があんなに恨んでいるかな、と思ったんですね。
母子家庭状態の子供って、けっこう母親の鏡になっちゃう場合もあるんじゃないかという気がしました。
父親と娘の関係について、個人的な意見では、娘が父親の愛情を強く求めることってそんなにない気がするんです(父親が家にいなくても、娘は全然平気というか。あ、息子もそうかもしれませんけど)。
むしろ父親の方が娘には愛されたいと思う気持ちが強いような・・・って、もちろんケース・バイ・ケースかもしれませんが。
親ってなぜか、同性の子供より異性の子供に甘いことが多いし、子供もそれがわかっていて、それを利用することも知っている場合があるのではないかと思います。
でも優しいおせっかいなんですけど。
絶縁状態だった娘も、父の死期が近いと知ると父親を許せるんですね。
やっぱり実の親子ってそういうものなのかもしれないなーって思いました。
一方で、息子の殺人をひた隠しに隠すんですから、面白い対比でしたね。(^^)
>でも優しいおせっかいなんですけど。
そうですね。
私も優しいおせっかいだなとは思います。
実際、相手の気持ちを配慮したつもりで、何もアクションは取らずに周りから見守るというより、こうやっておせっかいでも、ダイレクトに行動を起こすのは、ずっと優しいことかもしれません。
いろいろ考えると、かえって行動が起こせないこともあるでしょうから。
キャラとして薫ちゃんが迷わずそうしたのは、うなずけますね(そして、右京さんはそうはしなかったですね)。
しかし、同僚の娘にあそこまでおせっかいができるのは、刑事というのはかなり特殊な強い輪の中にいるんだなという感じがしました。
でも、たぶんそれぐらい人に強くかかわれる能力がなければ、捜査をするモーティベーションも保てないものかもしれません。
刑事だって赤の他人の捜査をするわけで、被害者の無念をはらしてやろうという強い思いがなければ、なかなかそんなに粘り強く捜査はできないでしょうから。
(ただ、だからといって事件を解くことができるかといえば、残念ながら必ずしもそうではないのは、今回の事件の通りですが)。
あとたぶん私の場合、そのおせっかいの仕方が、なんだかまるで親族の娘に対するように、一線を超えてずかずかっと入って来られたような感じにとれて、天邪鬼な性格なものですから(笑)そこのところもちょっと、うう・・・と思ったのかもしれません。
>一方で、息子の殺人をひた隠しに隠すんですから、面白い対比でしたね。
そうですね。
ここでも、薫ちゃんと右京さんの態度の違いが出たのも、また面白かったですね。
息子の罪を隠して、しかも自分の立場や会社への損害を考えていた父親に、薫ちゃんは怒りましたけど、この怒りはほんとにもっともだと思いますね。
でも右京さんは薫ちゃんの爆発を抑えましたよね。
一方で、この父親もずっと苦しんできて、救いがないことを感じたんでしょうね。
私はどちらかといえば、たぶんだいたい右京派の方なんでしょうけど(だから相棒を見てるんだと思います笑)、薫ちゃんと右京さんは、二人でいろいろと、いいバランスを取っているんだと思います。