きょうの朝日新聞から、「メディア、牙にも蜜にも」先月の選挙の話題。この記事には直接関係ないが、民主党前代表・岡田克也氏のコメントで、「(政治に関心のなかった人も)冷静に考えれば、民主党の方が良いと思ってくれるだろう」というものがあって、ほんの少し考えることがあった。
学説の場合、その説自体の理論的強度や完成度から客観的に良し悪しが判断されてひとつにまとまっていくのが普通である。しかし、これは政治の場面とは異なるものだ。政治では掲げた政策・マニフェストをただ実行するだけではなく、状況の変化に合わせて臨機応変に対応することも必要であるし、トップになる人は国の顔としての役割をもたれることになる。指導者としてふさわしいか、という観点は常につきまとう。政治家にはどうしても国民が使用する者という意義をこえて信頼して任せる者という部分がある。また、学説と違い政策は理論的強度にしても、将来予測の部分があるため明確な答えがでるものではない。
このような側面があることからすると、「いいマニフェスト作ったからみんな支持してくれるだろう」という態度は妥当なものではない。何もしなくてもみんな自分たちのように考えてくれる、と認識が甘くなりがちだ。以前サンデープロジェクトで地方の選挙区で民主党の選挙活動が相変わらず低調であったことをみた。逆に少々乱暴な議論でもこれを押し通してしまおうと意図するならば、積極的な活動が必須である。また、指導者を選ぼうとなると、人間的魅力があるほうに好感をもちやすくなることもあるだろう。冷静にみるみないではなく、実際の需要にきちんとこたえるかこたえないかという問題だろう。
キオスクでみかけたきょうの夕刊紙の一面に「塩野七生氏が入閣か」みたいな見出しがあった。もし実現したら面白いですね。
学説の場合、その説自体の理論的強度や完成度から客観的に良し悪しが判断されてひとつにまとまっていくのが普通である。しかし、これは政治の場面とは異なるものだ。政治では掲げた政策・マニフェストをただ実行するだけではなく、状況の変化に合わせて臨機応変に対応することも必要であるし、トップになる人は国の顔としての役割をもたれることになる。指導者としてふさわしいか、という観点は常につきまとう。政治家にはどうしても国民が使用する者という意義をこえて信頼して任せる者という部分がある。また、学説と違い政策は理論的強度にしても、将来予測の部分があるため明確な答えがでるものではない。
このような側面があることからすると、「いいマニフェスト作ったからみんな支持してくれるだろう」という態度は妥当なものではない。何もしなくてもみんな自分たちのように考えてくれる、と認識が甘くなりがちだ。以前サンデープロジェクトで地方の選挙区で民主党の選挙活動が相変わらず低調であったことをみた。逆に少々乱暴な議論でもこれを押し通してしまおうと意図するならば、積極的な活動が必須である。また、指導者を選ぼうとなると、人間的魅力があるほうに好感をもちやすくなることもあるだろう。冷静にみるみないではなく、実際の需要にきちんとこたえるかこたえないかという問題だろう。
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