順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
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ブログっぽいことをやってみる

2005年10月27日 | 時事
きょうの朝日新聞から、「メディア、牙にも蜜にも」先月の選挙の話題。この記事には直接関係ないが、民主党前代表・岡田克也氏のコメントで、「(政治に関心のなかった人も)冷静に考えれば、民主党の方が良いと思ってくれるだろう」というものがあって、ほんの少し考えることがあった。

学説の場合、その説自体の理論的強度や完成度から客観的に良し悪しが判断されてひとつにまとまっていくのが普通である。しかし、これは政治の場面とは異なるものだ。政治では掲げた政策・マニフェストをただ実行するだけではなく、状況の変化に合わせて臨機応変に対応することも必要であるし、トップになる人は国の顔としての役割をもたれることになる。指導者としてふさわしいか、という観点は常につきまとう。政治家にはどうしても国民が使用する者という意義をこえて信頼して任せる者という部分がある。また、学説と違い政策は理論的強度にしても、将来予測の部分があるため明確な答えがでるものではない。

このような側面があることからすると、「いいマニフェスト作ったからみんな支持してくれるだろう」という態度は妥当なものではない。何もしなくてもみんな自分たちのように考えてくれる、と認識が甘くなりがちだ。以前サンデープロジェクトで地方の選挙区で民主党の選挙活動が相変わらず低調であったことをみた。逆に少々乱暴な議論でもこれを押し通してしまおうと意図するならば、積極的な活動が必須である。また、指導者を選ぼうとなると、人間的魅力があるほうに好感をもちやすくなることもあるだろう。冷静にみるみないではなく、実際の需要にきちんとこたえるかこたえないかという問題だろう。

キオスクでみかけたきょうの夕刊紙の一面に「塩野七生氏が入閣か」みたいな見出しがあった。もし実現したら面白いですね。

梅よろし

2005年10月24日 | 紹介
メーカーサイト

梅ジュースは飲むと疲れが取れる感じがします。この商品は最近知ったのですが昨年から発売されていたみたいですね。今は値段を下げて自動販売機で120円で売られています。ダイドーの自動販売機は運がいいともう一本おまけがつくことがあります。私はまだ1回しかこの好運にめぐり合っていないのですが。


中学時代MY BEST SONGS

2005年10月21日 | ミュージック
今ではMDにアルバムまるごと録音してしまうのだが、昔はカセットテープに自分のオリジナルの順番を練って録音していたものだ。中高時代の話題が下で出たので当時の「マイベスト」カセットテープの曲を発掘してみる。50分テープ、SONYの画期的なスライド式のケースに入っている。

A面
 ニシエヒガシエ/ミスターチルドレン
 You Are My Love/ジャミロクワイ
 今夜はブギーバック/小沢健二
 STORM/LUNA SEA
 Hello Again~昔からある場所~/MY LITTLE LOVER

B面
 美しさ/小沢健二
 FACE/globe
 夢が夢なら/小沢健二
 終わりなき旅/ミスターチルドレン

明け透けに明るい曲というよりは、しっとりだったり影のある曲が多い感じがする。小沢健二とミスターチルドレンに偏っている。私はタイムリーに小沢健二ヒットの世代ではなく、姉の影響でお気に入りになっていた。だから学校の友人たちは小沢健二をあまり知らなくて、その分「自分だけのお気に入り」みたいな感覚が楽しかったのだろう。ジャミロクワイはアルバムの中でいいな、と思った曲を。出だしのメロディーが好き。土曜日のお昼、「王様のブランチ」のカウントダウンTVリピートをよくみたものだったなー(遠い目

規律の一人歩き

2005年10月19日 | 時事
最近更新ペースが遅くなっていて、まぁこれは学業に専念している証でもありいいことなのかもしれませんが、少し軽めの話を。

先日電車に乗っているときのこと。電車は混雑具合は中くらい程度、ラッシュの時間帯より前という感じでした。若いサラリーマンの携帯電話に着信が入り(マナーモード)、小声で応対し始めました。すると近くにいた中年男性が「マナーが悪いぞ!」と一喝。男性は平謝りして電話を切っていました。

「電車の中での通話はマナー違反」という認識は定着していますが、私はこれ、携帯電話が登場したての頃通話品質が悪いため大声で話がちであったことにより「迷惑」という感情が定着してしまったためだと思っています。今となっては小声でも話せますし、小声で通話する分なら普通のおしゃべりよりも大きい音を出すわけでもありません。携帯電話にかかってくるということは急ぎの用であることも多いので、大目にみてもいいのではないかと思います。

携帯電話の通話が迷惑であると感じる理由には他にもあるでしょう。私が推測するに、携帯電話での通話は会話の一方の話しか周囲の人がききとれないので、会話の意味内容が把握できません。このことにより「雑音」と認知されやすくなるでしょう。大声でもおしゃべりは意味が完結しているので周囲の人にも会話としてある意味退屈な車内での小さな楽しみにもなるかもしれません。しかし、このような事情があったとしても、通話を大目にみてもいいのではないかな、と思います。マナーの問題だしね。

規律を盾に注意しようとするとき、どうして自由にさせてはいけないのか、考えるのもたまには必要なことでしょう。注意された人から「なんで?」と訊かれるときのために用意するためというよりは、自分が注意しようとするのは何故か答えを持っておくことで安心して注意を行うことができるためだったり、考えているうちに寛大な気持ちになるためだったり。

このブログ口調が丁寧だったりそうでなかったりするのは、そのときの気分や内容との兼ね合いによるものです。

週末

2005年10月16日 | 未分類
携帯から投稿~

ここ数日は目が痒くて更新する元気がありませんでしたが、今はかなり調子が戻ってきています。大学で借りた本を読んだりピアノ弾いたり走ってみたり田中達也の足に驚いたりしていました。

月曜から金曜まで一週間頑張ろう。

やらなきゃいけないこと

2005年10月14日 | 未分類
トラックバック練習板より。

やらなきゃいけないこと。
大学の予習復習をすること。これが大変。
英語をやること。これも大変。
体調を良くすること。といっても秋の花粉症っぽいので処置は難しい。
寝つきをよくすること。

具体的じゃないな。それなら…

あいのうたを毎週見ること。
ヤングサンデーを毎週読むこと。

義務じゃないな。それなら…

将来について、まず行動をおこしてみること!
もっとガツガツした気持ちになれること!

勉強日記の効用

2005年10月11日 | essay
リンクに貼ってあるとおり私は勉強日記っぽいものをこことは別にネット上に公開している。こういうものを不特定多数の人にみせることのメリットは何であろう。

まず考えられるのは公開しても恥ずかしくない勉強を実生活でもしよう!とモチベーションを高めることがある。勉強日記系のブログではよく「目指せ○○大学!」など目標を掲げているものがある。こうすることで更新するたびに目標を確認することができるだろう。宣言することであとに引けなくなり諦めにくくもなる。以前「私はやらないけど」と言ったものの実は似たようなことをやっている。

次に考えられるのは、疑問点や自分の考えについて読者からコメントがつくことで新たなヒントが生まれることが期待できそう、ということだ。特に身近に質問したり考えをぶつけたりする相手がいない場合は大切になるだろう。様々な環境にいる人がみる可能性があり、これまで予想もつかなかった視点が得られることもあるだろう。

やってはいけないネゴシエーション

2005年10月11日 | 時事
今日テレビ朝日で北オセチア学校占拠事件を特集していたが、不法の極まりに憤る思いがした。そんな中での脳内シミュレーション。内容的に問題があれば削除します。

「我々の要求は祖国の独立だ!」
「国を脅迫するとはな。力の差を思うがいい。こちらは国際社会の支持を得てお前らの祖国を人質に取った。テレビかラジオをつけるがいい」

ここで嘘のニュースが流れる。情報戦で騙してやろうという作戦。

「・・・ガガ・・○○共和国の指導者××氏は国連安保理の提案に従い共和国領土を灰燼にすることを了承しました。早速住民は代替地へ向けて移転の準備に入りました・・・」
「なんだって!これはどういうことだ!」
「・・・××氏の声明です。『我々は平和的解決に向けて努力してきた。このようなテロ行為は我々の努力を水泡に帰すものであり、断じて許されない。これまで数々の事件があり、もはや国際的支持が得られず、過激派の行動を制御できなかった我々も責任をとって今回の提案を受け入れるに至った。』・・・」
「なんてことだ!祖国が裏切ったということか?」
「・・・共和国の住民の談話です。『過激派は、自分が祖国の英雄だなんて思い込んでるみたいだけど、結果的には祖国を破滅に導く悪魔だよ。家族に死なれて自暴自棄になったのだろうけれど、冷静になってもらわないと皆が迷惑する!国自体がなくなっちゃうじゃないか!』・・・」

祖国と同一化して頑張ったのに肝心の祖国が有難がらないという悲しい展開。
政治家一般も滅私奉公したのに私利私欲のためと思われがちな悲しい存在ですね。
しかし、さらに自暴自棄になっては最悪の展開になるので逃げ道を用意。

「わかったか、テロリストたち。6時間だ。6時間以内に人質を解放して投降すればお前らの命も保証するし祖国も無事のまま決着する。意味のないことはやめろ。これまで同様な事件で祖国は独立へ前進したか?」

立場が逆転。以上、やってはいけないネゴシエーションでした。

テレパシー

2005年10月07日 | essay
今日霞ヶ関で追い風が吹いたならばエイベックス問題に言及しつつアスキーアートに結果報告させようと思っていたのですが、結局のところ別の記事を書くことになりました。

人間関係において意思疎通がうまく取れないときが多くある。そんなとき、テレパシーでもあって以心伝心できたなら、と思うことがあるだろう。しかし、ラッセルはこんなことを言っている。
「もしも、私たちがみんな、魔法によってお互いの考えを読み取る力を与えられたとしたら、その最初の効果は、ほとんどすべての友情は解消されるだろうということだ」
私たちは他人の全人格を見透かせるわけではなく、表に出された断片的な事情から判断をするのみである。そして、直感的には肯定的にも否定的にも評価を抱き、公的な空間で触れ合うときには前頭葉でそのような生の感情を制御して節度と礼儀を以て接している。しかしテレパシーで相手が抱く否定的な生の直感を知ってしまうと、自分が批判されることについては通常耐えられないので、友情は解消されてしまうだろう。といっても、この話には続きがあり、誰もがお互い完全無欠だと思っていないことを知り、誰しも欠点はあるものだ、として最後には深い相互理解が得られるようになるだろう。

インターネット掲示板の世界は、匿名性の故か「生の感情」で溢れている。自分に対する否定的な生の感情を知ってしまうことが大いにありうる。しかし、彼らは手に入れた断片的な情報から評価を下しているにすぎないこと、生の感情のぶつかり合いから完全無欠な人がいないことを自覚するようになれれば、今よりおおらかに対応できるのではないか、と思う。そうすれば安易な表現の自由規制に走らずともよいことになるが、全ての人がこのような精神的強さを得るのはなかなか難しい。私にも無理である。

個人的な話としては、なるべく慎重に発言しようと心がけているが、場合によっては疲れ等により思慮が足りず軽率なかたちで話してしまうことがある。私はよく後悔してそのことが頭から離れず(小学校の頃のこともよく憶えている)、一回そういうことがあった人に対して修復する勇気がなくなってしまう。その人が傷つけられたことを忘れることができるくらい幸せになることを願うばかりである。

現状肯定的雑感

2005年10月05日 | 時事
私は現状肯定的な見方をすることがよくある。というのも、素直な感情の発露はそれなりに評価されるべきであるし背景があるだろうと思うからで、最初から無下に否定するのは避けている。

あやふやな記憶に基づくものだが、高校一年のとき、夏目漱石の「現代日本の開化」を授業で読んだ。内容は、世間は日本が強くなったと浮かれているがまだ表面上の開化でしかない、といったものだったと思う。感想文で、日本の国力が上がったことは事実でそれを素直に喜ぶ姿勢は無闇に否定されるものではなく、漱石の意見は留学経験から広い視点を持って先進諸国との比較を念頭に置きながら発されたもので、両者の違いは視点の違いに基づくものであろう、みたいなことを書いた。

太平洋戦争について、アジア解放のためという考えは、たとえ軍部による正当化論理で実際は違ったとしても、実際に動いた兵士の多くが信じていたのは事実である。親戚に会って話すとき戦争体験した年長者では結構正当な戦争という人が多いが、私は彼らに対して全て間違った戦争で戦友や家族の死を無駄ということはとてもできない。韓国に言いたいことがあるとすれば、国内的な悲劇を慰めるために使う分には許容して欲しい、ということだ。いくら批判しても正当化が全てなくなることはないだろう。安重根の行動で韓国併合が進んだという皮肉な事実を全て受け入れることができないように。

先日の選挙で自民党が大勝したことにつき、「国民はバカ」のような言葉がメディアを中心にしばらく行き交った(まあ今では不満も吐きつくしたでしょう)。自称知的エリートは自分の一票の力を超えて選挙結果全体をコントロールしたい、自分の予想通りにしたい、と思う節があり、自分の意見を「正しい」他人も同じように考えるだろうと踏んでいることが多い。今回は事前予想が「自民党圧勝」ではなく「自民党優勢」であったため、圧勝を阻止するための投票がなかった結果こうなったのだと思うが、個別の有権者が自分の一票を考えるに自民党を選ぶことは決してバカなことではない。総体として行き過ぎた結果になりちょっと困ることもかもね、みたいなことはあるけれども。

人質事件で話題になった自己責任論のどこが問題なのかと曖昧なまま過ごしてきたが、どうやら国が本来すべきことを放棄している、安全すら保護しない国に愛着をもてるわけがない、みたいな感じなのだろう。私は「国」についてのみかたが違っているのであると思う。国と国民が対立する構造のように捉えて国は国民を守るためにそもそもあるのだ、という見方をすれば自己責任ケシカランとなりそうだ。対して、国が助けるってことは税金が使われるってことでその税金を払っているのは私たちで、それがrecklessな人たちに膨大な額使われるなんてやりきれない、少なくとも謙虚な態度をとるべきだ、と思うことも可能であろう。ここでは国が社会の体現として捉えられているのだと思う。国際ボランティアのような活動は、その存在からして普通に生活をしている人に対して道徳的優位性を感じさせてしまうもので、時には善意の押し売りと同じく反感を持たれやすい、ということもあっただろう。

長々と書いてしまった。夜中に何か書くとあとで後悔するのはなぜだろう。

ブログは災いのもと?

2005年10月01日 | 紹介
最近は個人のブログを発端にする事件が多い。
私が知っている限りでは次のようなものがあった。

ホットドッグ屋のバイトが客を軽蔑→会社が謝罪
FC東京サポーターが自身の不正入場を暴露→FC東京公式ページに掲載
ジュビロ~(上に同じ)
大学4年生が器物破損行為を自慢→内定取り消し?
元雑誌編集者がバス会社とのトラブルの腹いせに相手の個人情報を公開→閉鎖

軽い気持ちで書いたことがネットユーザー全体から非難の対象となる。
威力を発揮しているのが検索サイトの「キャッシュ」機能。
ネット空間では全世界に情報が発信されていることを意識しておかなくては。

サボテンブラザース

2005年10月01日 | 未分類
gooのトラックバック練習板からのテーマ設定。おすすめの映画。私のいちオシは「サボテンブラザーズ」。あまり有名ではないけれど、ウエスタンモノの痛快な喜劇です。

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笑いモノはネタバレすると面白くなくなるので内容は伏せます。私がこの映画を最初にみたのは数年前、テレビ東京のお昼の映画番組でした。ここで大笑いし、地元の図書館にDVDが入っていたのでまたこれをみて笑いました。笑いの種類は下品なドタバタではなく安心して笑えるものです。アミーゴがいっぱい。

他にお気に入りの映画は、
グレンミラー物語(絵に描いたような良妻っぷり)
恋に落ちたシェイクスピア
また、映画ではなくドラマだけど、
冬の運動会

いつかトラックバック練習板で一番乗りをしてみたいと思っているのだけど金曜日をうっかり忘れてしまいなかなか難しい。