華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

私も国家を否認する

2006-03-23 02:39:28 | 非国民宣言(反愛国心・反靖国など)
ずっと体が本調子でない。微熱が下がらず、間歇的にそこそこの熱が出る。別にたいした病気ではなくただの風邪なのだが、なかなか治らない。ストレスたまっているのかなあ……(愚痴)。

ひょっとしたら「日の丸・君が代」問題が剥き出しになる時期だからだろうか?――というのは冗談だが、否応なくそれらを考えさせられる季節であることもまた事実(結構いつも考えているのだけれども、特にこの時期は……)。

「国! 国! 国!」の大合唱。私はこのブログで繰り返し言っているように(実生活でもはっきり言っており、友人・知人その他、顔合わせる人々はほとんど耳にタコの状態なのだが)、国というものに対して何の思い入れもない。「日本という国に」ではない。何処の国に生まれ育とうと、私の存在と「国家」とはさしたる関係はないのだ。ましてや国旗や国歌を制定してくれなどと頼む気はない(だから日の丸が別の旗になり、国歌がまったく別の歌になっても、私は敬意をもつ気は毛頭ないのである)。

確かに日本の国籍を持ち、日本語をしゃべっているけれども、それはいわば「たまたま」である。たまたま生まれ育ったからといって、帰属意識を強制されてはたまらない。頼むからほっといてくれ、という感覚である。

私が参加しているMLで、「我が国という言葉」について苦言を呈するメールが転送されてきた。ジャーナリズムは国の代弁者ではないのだから、我が国という言葉を使うのは間違っているという内容である。本当にその通りだ。以前、ある集会に参加したとき、もと巨大メディアの記者だった方が「自分は“我が国”という言葉は使わない」と発言された。我が国という場合、それは国益を代表することになるからだという。

「国益」の何が悪いのか、という意見もあるだろう。それもまたある意味の正論であるかも知れないが、「国家? それ何さ」という人間にとっては寝言のようなものに過ぎない。私も「我が国」という言葉は使わない(使うとしたら、皮肉を言う場合である)。ちなみに組織に属している時も、「ウチでは」といった言葉は意識して使わないようにしていた。何ものにも帰属せず、何ものにも依らず、それでのたれ死ぬなら私は本望だ。国家などという虚構に(会社とか家とか、その他もろもろのものも同様)、たった1度の人生を賭けられるか。たったひとつの命を捧げられるか。

愛国心教育などが不気味に本気で語られるようになった今、私たちは「愛国心とはどういうものか」というむなしい論議は捨てて、「国家など我々にとってなにものでもない」と宣言することが必要であるかも知れない。むかし、「私は国家を否認する」と言ったヒトがいた。私も遅ればせながら、そして小さな声ではあるけれども、しつこく言う。「私は国家を否認する」と。

まとまりのつかない変なエントリになってしまった……。覗いてくださった方、すみません……(こういう思いつきの駄弁を書くのはよくないことかも知れないが、まあいいんじゃない? 私は評論家でも学者でもない一介の庶民、そしてブログは私の備忘録なのだと、熱のせいで少々開き直っている。国家についての私の嫌悪感については、今月の16日・17日あたりのエントリで、今夜よりはやや詳しく触れた。もし関心を持っていただけたのでしたら、そちらを御覧いただければ幸甚)。明日も仕事だ、もう寝なくては。

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