華氏451度

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小中学校の「特色づくり」?

2006-11-05 23:56:26 | 教育

 既に皆さん御存知で、唖然としておられるのではないか。学力テストの結果に応じて公立小中学校に配分する予算の一部に差をもうける、という話。昨日はそれに関する簡単な感想を書いたが、さらに続けて考えてみたい。私は教育関係の専門家ではなく、子供もいないため、小中学校の現状については常識程度の知識しか持っていない。はっきり言って疎いほうかも。専門家や子供を持つ人達から見ればピントはずれなところも多々あるかも知れないが……それでもやはり、もの言わぬは腹ふくるるわざとやら。自分が考えたことの記録という意味でも、書き留めておこうと思う。

〈差がつくのは特色づくり予算〉

 配分に差がつくのは、「特色づくり予算」というもの。特色づくりなる言葉がいつ頃から学校教育の場で声高に言われるようになったのかわからないが、おそらく10年足らず前に文部科学省(当時は文部省)が新学習指導要領を策定した頃からではないか。その中で「『生きる力』の育成を目指して各学校が特色ある教育を」といった類のことが言われていた。教育白書等を見ても、たとえば『平成12年度・我が国の文教施策』(2000年11月)には「教育改革の実現には、各学校が子どもや地域の実情に応じた創意工夫ある教育活動を展開」しなければならない、といった文言が見える。そして最近は、各都道府県・市町村の教育委員会でも、「特色ある学校づくり」をお題目に掲げるところがたくさんあるような気がする(細かく調べたわけではないので、あくまでも感触であるが)。

〈特色づくりと学校選択制〉

 特色ある学校づくり。あるいは学校の特色づくり――という言葉を聞くと、私の頭の中には連想ゲーム風に、2000年頃から出現し始めた「公立小中学校の自由選択制度」が浮かんでくる。公立の小中学校は指定校制度が採られており、原則として通学区域に基づいてどこの学校に通うかが決められている。その枠を外したのが「自由選択制度」だ。文部科学省の発表によると、2005年3月時点で小中学校共に自由選択にしている自治体は227(8.8%)、中学校のみ自由選択の自治体は161(11.1%)。都道府県別に見ると実施の割合の最も多いのは東京都で、特に区部では実施していない所の方がはるかに少ない。ほとんど圧倒的、と言ってもいいほどだ。むろん、今回問題の方針を打ち出した足立区も、選択制を採用している。

 選択制を導入した自治体は、口を揃えて次のようなことを言う。「好きな学校を選べるとなれば、各学校の特色づくりにも拍車がかかる。バラエティーに富んだ学校が出来、その中から自分に適した学校を選べるようになります」

〈学校格差の拡大〉

 学校選択制は「選択の自由」という旗印を掲げて登場したため、おおむね好意的な目で迎えられた。しかし本当に、すばらしいことなのか。

 東京で真っ先に選択制を導入したのは品川区だった。小学校は2000年、中学校は2001年にスタート。導入前から反対の大きな理由として「学校格差の拡大に対する懸念」が言われていたが、蓋を開ければそれがはっきりと証明された。「名門校」「伝統校」と呼ばれる学校への入学希望者が多かったのである(むろん器に限りがあるから希望者全員が入学できるとは限らないが)。最も人気のあるのは大井第一小学校。昔はここから伊藤中学→東大、というのが品川の典型的エリート・コースだったそうで、今でも私立中学への進学率が高い。品川区だけでなく、選択制を採った自治体では多少の差はあれ、ほぼ同様の問題が起きていると言ってよい。

 学校がはっきりランク分けされ、予算に差がつくとなれば、いっそう学校ごとの人気の差、学校間の格差が広がるだろうなあ……。

〈特色も横並び!?〉

 で、問題の特色づくりであるが……。こちらはいったい、どうなっているのか。最近は小中学校でもホーム・ページを作っている所が多いが、どこが個性的なのかよくわからない。豊かな人間性をはぐくむとか、一人一人の個性を大切にして教育するとか、似たような理念が書かれている。(失礼かも知れないが)似たような品揃えで、看板だけは麗々しい土産物店が並ぶ、観光地の駅前を歩いているような感じだ。それを言うと、ある公立小学校の教師が苦笑した。「そうかも知れません。みんな、一生懸命、作文してるんです……PRになるような文章作れと言われて」。個性的と言われても、あまり他校と違ったことを唱うと失敗した時が怖い。だから勢い、隣近所を見ながら横並びの「特色」を出してしまうのだ。

 中身にしても同じことで、どこかの小学校が「英語教育をやる」と言うと、ほかの学校も我も我もと「特色メニュー」に加える。あそこは英語を教えないから、と保護者からそっぽを向かれるのが心配であるらしい。みんなが同じことをやるならば、それは特色とは言わないと思うのだが……。横並びの独自性なんて、アリスの不思議な国にでも行かなければお目にかかれまい。もしかすると誰かの考えている特色とは、「学力」が高いとか低いとか、そういう話であるのかも知れない。

〈日本で「特色づくり」は可能か?〉

 教育学を専門とする知人に聞いたところ、そもそも今の日本では「公立校の特色づくり」など不可能――とまではいかないけれども、非常に困難だという。世界で最も学校選択制が進んでいるのはオランダだそうだが、同国では公教育に関する「上からの枠組み」は非常に緩やか。教科書検定などというものは存在せず、学校ごとに独自の教科書を選べるし、カリキュラムも大枠(最低のガイドライン程度のもの)が決めてあるだけでかなり自由に決められる。親たちが集まって子供達のために自分達の考え方に適した学校を作ることも出来、設立された学校には公費が支給されるそうだ。これなら確かに、「特色ある学校」ができる。

 それに引き替え、日本では指導要領によって教えるべきことが決められ、教科書も学校や親が自由に選べない。その上、公立小中学校の教師には人事異動があって都道府県単位で職場(学校)を移る(ヨーロッパでは原則として学校ごとに教師を採用するので、人事異動の形で他校に移ることはない)。特色を作りにくい仕組みなのである。

 本当の意味で学校ごとに独自性を持たせ、それを自由に選択できるようにするためには、日本の教育システムそのものを大幅に変える必要がある。その根本部分に眼をつぶったままでは、結局のところ「目先が変わった」程度のものにしかならない。最近、愛国心を涵養するとか、伝統がどうとか、口うるさく枠をはめようとする動きがある。それは本当の「選択の自由」とは相反するものではないのか。
 

 

コメント (1)
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