華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

いつのまにやら今年もどん詰まり

2007-12-18 23:58:07 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

 えっ、もう12月!?とうろたえている間に、今年もあと2週間足らずになってしまった。それにしても今年はほんとに(個人的に)無茶苦茶せわしない年だったなぁ……。
仕事で振りまわされるのが一段落したら、身近で葬式なんぞがあるし。新テロ法案、ビラ撒き有罪判決、こども戦略会議、薬害肝炎、etc,etc,etc,…… 自分の中で整理しておきたい課題は山のようにあるのだが、このところまともにメモ書きもしていない。何か、宿題をためた小学生のような気分である。

 メモはぼちぼち思い出しながら書き留めることにして……

 先月、(財)日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」を発表した。2007年の漢字は「偽」だそうである。思わず笑ってしまいますネ。でも、これって「今年の」漢字なのだろうか。現代日本を象徴する漢字、じゃないだろうか。

 「偽」といえば賞味期限偽装など随分騒がれたけれど、そんなもの、考えてみれば大した話じゃあない(いや、賞味期限を偽るのがいいと言ってるわけではありませんよ。念のため)。もっともっと根深い「偽り」が、この国の根っこを腐らせている。いわゆる新テロ法案でも、いったい誰のためのものなのか。国民のためだと政府は言うけれども、落ち着いて考えてみれば「ちょっと待てよ」。

 我々はいったいいつまで、猫なで声のおためごかしに騙されて、肩をすぼめていなければいけないのだろう。

◇◇◇余談

『ビューティー・クイーン・オブ・リナーン』を観に行った。久しぶりの観劇である。主演の白石加代子と大竹しのぶはどちらも癖のある役者で私は好きだし、作者のマーティン・マクドナーにも興味があったので観に行きたく、先月チケットを取っておいたのだ。本当に行けるかどうか不安もあったのだが、何とか時間が作れてよかった……。劇の枠組みだけを言うならば親子のすさまじい相克を描いた喜劇(悲劇、というべきか?)だけれど、舞台であるアイルランドがイングランドから受けている差別、イングランドに対する憎悪、閉塞状況を抜け出すことに対する激しい欲望等々が隅々まで漲り、筋立てとはまた違った世界が二重写し三重写しになっていたように思う。小説であれ劇であれ、すぐれた作品はこんなふうに何重もの構造になる。そして読み手や観客に、否応なく心の何処かの部分で痛みを強いる。痛むことは生きている証であり、痛むことをやめてはいけないのだと――不意に思ったりする。 

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守屋のオッサン、悪いに決まってるけど

2007-12-04 23:47:22 | ムルのコーナー

 ゴミ置き場の隅っこで野良猫ムルが丸まっているところに、トマシーナがひょっこり顔を覗かせた(※)。

トマ「兄貴、おっひさしぶりぃ~。」

ムル「ん? ああ、トマ公かよ……」

トマ「そんなとこで、なにしんみりしてるのさ。」

ムル「しんみりしてるわけじゃねぇよ。もう寒くて寒くて。せめて風を除けてるんじゃねぇか」

トマ「兄貴ったら、じじむさいなあ。そんな年じゃないでしょ?」

ムル「うるせぇやい。猫は寒がりなのっ。猫はコタツで丸くなる、って言うじゃんか」

トマ「コタツってなーに?」

ムル「げっ……最近のガキはコタツを知らねぇのかよ……。ま、いいや。ほんと久しぶりだよな。元気だったかい」

トマ「うん。まぁね。華氏がバタバタしてるもんで、ご飯食べたり食べなかったりだったけど。それはそれとしてさぁ、人間の世の中って、ほんとヘンだよね」

ムル「な、なんだよ、いきなり。人間の世界のケッタイさなんて、別に昨日今日始まったことじゃねぇだろうが」

トマ「そりゃそうかも知れないけどさ、変だなぁって思うことが、どんどん溜まってくるんだよね」

ムル「いっちょまえなこと言いやがるなぁ。で、いったいどういうことが変なんだよ、おまえから見てさ」

トマ「だからさ、いっぱいあるけど……たとえばさぁ、最近ていうか、ちょっと前から、新聞とか毎日『守屋、守屋』じゃん?」

ムル「ああ、防衛汚職ってやつか。で、それのどこが引っかかるってんだよ」

トマ「うーん。いや、もちろん守屋ってオッサンはひどいなあ、ろくでもない奴だなあ、って思うよ、僕だって。て言うか、人間て汚いことするんだなあという典型だよね。僕ら猫世界じゃあ、考えられないことじゃん?」

ムル「ま、そうだよな。猫に賄賂はねぇもんな。賄賂ってのは、権力ふるえる奴がいて、そいつに取り入ったらズルイことができる、っていう世界でしか成り立たねぇもんなあ」

トマ「でしょ? ああいう話が出てくるっていうのは、人間の世界がそういうズルが出来る構造になってるってことじゃん。その辺の……根本って言うの? オオモトのとこをダメじゃんって言わなきゃいけないのに、たまたま守屋っていう汚いオッサンがいて、山田洋行だっけ、ズルイことすうる会社があって、あいつら悪い奴ですよね~見たいなことで終わってるんじゃないかって、僕はそんな気がするの」

ムル「おまえの言ってることは混線してよくわかんねぇけどさあ……つまり、悪いのは守屋というオッサンと山田洋行っていう会社だけヨ、みたいな雰囲気が気にくわねぇってわけかい?」

トマ「気に食わないってのとも、ちょっと違うけど。そりゃさ、何度も言うけど、あのオッサンもあの会社も悪いのは確かだよ。弁護の余地ないよ。ただね、僕はさ、あのオッサンもあの会社も、『表に現れた汚いもの』なんだなって気がするわけ。やったことは徹底的にダメって言わなきゃいけないけど、個的な悪事で終わらせちゃいけないんじゃないかなあ」

ムル「おまえの言ってること、ますますわからなくなってきたぜ。……ほんともう、おまえは語彙が乏しいからなぁ」

トマ「ほっといてよ~~。モノゴトを自分の血肉になってもいないむつかしい高尚な言葉で説明してみせるなんざ、恥ずかしいことだって兄貴もいつも言ってるじゃんか。僕はこれで精一杯なのっ」

ムル「わかったわかった……続けろよ」

トマ「あのさ。悪い部分を切りました、だから残ったところは綺麗ですって、そういう話はよくあるじゃん? 全体が腐ってるんじゃないかって何となく感じたりする時って、特にそういうことがあると思わない?」 

ムル「うん……ま、変な言い方すれば、すごくいい事件だったかもな。ひでぇ役人がいたってのは政府にとってマイナスだけど、それをしっかり摘発しました、反省もしましたってことになれば、善男善女は安心するわな」

トマ「福田さん、いいヒトだね、って?」

ムル「おまえは単純だなあ……ま、そこまで単純じゃねぇだろうけどさ。マイナスをプラスに転化できるかどうかというのは、ひとつの勝負所だよな」

トマ「それにさぁ、今、すっごく気になることって、防衛汚職だけじゃないじゃん? 新テロ法案とか、人間が気にしたほうがいいことって、いっぱいあるじゃない。それが霞んじゃうんじゃないかなぁ、とかも僕は思うわけ」

ムル「新テロ法案とかに特別に敏感にならなきゃいけない、というわけでもないとおいらは思うがね。それこそ個別の課題に振りまわされることになっちまうだろ。何がよくて何が悪いのか、生きるってどういうことか、何を目指すのか、生き物のモラルって何だろ、……とかその他何でもいいけど、本質的なことというのは多分、どういう問題を通してでも考えられるとおいらは思う。防衛汚職も新テロ法案も知らなくても……いやまあ、知ってるほうがいいに決まってるけどよ、それはモノゴトを判断するには情報は多いにこしたことないっていう話でさ」

トマ「うん?……」

ムル「テレビ観ない新聞読まない、今の総理大臣の顔も名前も知らない、ケータイ持ってない、パソコン使えない、難しい本読むとすぐ眠くなるなんつーバアサンでもさ」

トマ「きゃはっ。華氏のおっかさんだ~」

ムル「バカ、話を逸らすなっての。ともかくそういう状態でも、日常のホントちっぽけなことから、本質を見通したりするのさ。今の日本の人間って、情報追うのでいっぱいいっぱいなんじゃないかなぁ、なんて気もすンだよなぁ……」

トマ「話の筋道が変わってきちゃったけど、たしかにその辺も考えちゃうよね。続きは明日」

ムル「ま、明日か明後日か……そのうちに、な」

※トマ=都の東北を縄張りとする年齢不詳のボス猫。トマシーナ=華氏宅の居候で、ムルの腰巾着。通称トマ。

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地味な敵が怖い――『本格保守宣言』を読む

2007-11-24 05:41:50 | 本の話/言葉の問題

 適当に山積みしている本を掻き分けていたら、足元に新書版の本が1冊転がり落ちた。新潮新書『本格保守宣言』(著者・佐藤健志)である。たしか、2か月ほど前に斜め読みし、妙に気になっていたのだということを思い出す。

 帯には大きな文字でこう書いてある。〈ニセモノの「保守」にだまされるな〉

 まず、本書の一部を引用してみよう。

【保守とは、もともと政治的な立場を指す概念ではないのである。たとえば『広辞苑』は、この言葉の意味として、「たもち(、)まもること。正常な状態などを維持すること」をまず挙げ、「機械の保守」という表現を引き合いに出す。つまりは「保守点検」や「保守サービス」という場合の「保守」だが、より普遍的な形で定義するなら、次のようにまとめられよう。――特定のシステムに関し、年月の経過や環境の変化にかかわらず、望ましいあり方が持続的に成立するよう努めること。】(18ページ)

 著者は【歴史の大部分を通じて、人類はきわめて保守的だった】と書き、前近代においては抜本的・急進的な改革によって社会を変革することはほとんどなかった(ゼロではないが、きわめて少なかった)と述べる。したがって保守主義という概念も存在しなかったのであるが、18世紀後半になって「未来」や「進歩」の概念が成立し、急進主義が誕生するにいたったことで、そのアンチテーゼとして保守主義が生まれたのだというのが著者の認識であるようだ。

 この本の紹介をするのが主旨ではないから適当にはしょってしまう(興味を持たれた方は立ち読みでもいいがどうぞ)が、著者は「保守」を「社会の大枠の維持を心掛け、急進的な改革も過度の守旧も廃して」「何をするにあたっても作用と反作用を充分に検討して慎重に取り組む」ことである、と定義しているように思われる。社会システムを慌てて変革しようとすると人々の想定範囲が突き崩され、世の中が不安定になるからである(というのが著者の主張であるようだ)。要するに「バランスのよさ」が保守の生命線、ということであるらしい。

 だから――著者は、憲法改定を目論んだり、戦前の日本を肯定したり、愛国心をむやみに強調するのは「本格保守」ではない、と断言する。

 ますます話をはしょってしまうが……この本を読んだ時に感じたことを次第に思い出してきた。細かなことは別として、私がひっかかっているものは大きく分けてふたつある。

(1)せめてこの程度は
 私は……自民党支持という人々に対して、こんなことを呟いてしまった。「あんたら、せめてこの程度の認識を持ってんか」。著者は【人々が一丸となりすぎない体制の方が、じつは効率的】と言って国家主義を否定し、愛国心には適正範囲があると主張する。そのあたりで、私はふっと目眩のようなものを感じたのである。せめて……この程度のバランス感覚?の持ち主であればと。

(2)こういう「保守」が怖い
 だが、読み終えた私は「こういう『保守』こそが怖い」とも思った。これは私の、ごくごく素朴な印象である。著者は改憲しなくても戦争はできる、という意味のことさえ述べている。「望ましいあり方が持続的に成立する」というのは、基本的に大きな問題はない。こんなふうな持ちかけられ方をすると、つい頷いてしまう自分のアホさ加減がイヤになるが(賢い人にはかまわんで、ほんま)……だが、その「あり方」の像こそが問題なのではないか。

 安倍・前総理のように、神経に障るような挑発的な(もっと言えば、アホかいなと言いたいような)言動を繰り返す権力者は、実のところそれほど怖くない。私の周囲の「保守的と自称する人々」でさえ、眉をひそめていたぐらいだ。失言閣僚の面々にも、冷ややかな視線が向けられていた。

 安倍内閣はいわば、きわめてわかりやすかったのである。私の正直な気分としては、彼にもう少し政権を担当して、恥をさらしていただきたかった。ところが……坊ちゃまはプッツンしてしまい、次に妙に地味で温厚そうな人物が首相の座に着いた。これは手ごわいです。キャンキャン吠える犬よりも、落ち着いて構える犬の方が怖い。「恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」……あ、ちょっと違うか。

 またしても脈絡なくなってきたけれども、……そろそろ言葉遊びはやめんとアカンなぁと、いえ、これは誰かに対して言っていることやおまへん。自分に対して言い聞かせとることなんですわ。保守とは何か、革新とは何か、なんてのはヒトサマと議論するネタとしてはおもろいけど、私みたいな生かじりがやってしまうと、二匹の蛇が互いの尻尾くわえて呑み合うような雰囲気になってしまいまするな。

 と、いうことで。またいずれ、もっとグチャグチャと書くかもですが。 

◇◇◇◇◇注

【】でくくった文章は、本からそのままの引用。「」は私なりのまとめや言い替えによる。


◇◇◇◇◇余談

 実はもっともおもしろかったのは、著者が『鏡の国のアリス』を取り上げ、その中でおこなわれるチェスのゲームを〈近代の比喩〉と述べている個所だった。空想(妄想、かも)を無限大にふくらませてくれる物語は数多いが、アリスの物語も確かにそのひとつではある。

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生活扶助切り下げに反対する

2007-11-21 23:25:36 | 格差社会/分断・対立の連鎖

 ようやく超多忙な仕事が一段落したと思ったら……身内の葬式があったり、別の身内の者が末期がんでそろそろ危なくなったり、「はあ??」という感じの人間関係のゴタゴタに巻き込まれたりして、落ち着かない日々が続いている。

 PC立ち上げてもメールをチェックするだけで終わることが多く、少し余裕があってもTBいただいたブログを読むのが精一杯。こんがらがった頭をまとめつつ、ブログを書いてみるという時間がなかなか作れない。

 ……てな話はどうでもいいけれども。

 アッテンボローさんから、「生活扶助の切り下げに反対する緊急集会」の記事をTBしていただいたので、急遽お知らせする。いま、厚生労働省は生活扶助の減額を計画中。それに反対する緊急集会が11月29日におこなわれるという案内と、賛同のお願いである。詳しいことは、ぜひこの記事を御覧いただきたい。

 いわゆる生活保護について、冷ややかな眼を向ける人は少なくない。怠けているんじゃないかとか、甘えている的な物言いをする人は、私の周囲にもいる。

 その、うそ寒さ。

 すべての国民に最低限の文化的生活を保障するというのは日本国憲法の理念であるが、同時に「人間社会の普遍的なモラル」であると私は思う。「自分さえよければいい」ではなく、「つながりのあるすべての人達が泣かずにすむようにしたい」。そうきっぱりと言えて、はじめて人間は自らの存在の崇高さを誇りうる。

 真夜中の走り書きになってしまったが、私はいま心底、怒っている。自己責任という一見美しい言葉の背後にある冷血と、それを是とする社会とに。人間が、人間であるということを誇れるかどうかの瀬戸際にあって、我々は試されているのだ。

 友よ。同志たちよ。我々は――他者を蹴落とし、他者を卑しめ、ひとりヌクヌクと暮らすことを絶対的な恥であると再度認識したい。

 

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水たまりと、そしてひとつの扉

2007-11-10 23:52:59 | 雑感(貧しけれども思索の道程)
 東京は雨が降り続いている。いわゆる時雨というやつだろう。激しく降るわけでもなく、休みなく降り続けるわけでもなく……だが晴れやかな空が見えることはなく。まるで今の、この国の姿のようだ。

 もっとも、私は雨が嫌いなわけではない。結構、好きだったりもする。道路を奔る水がまたたくまにズボンの裾をぐっしょりと濡らしてしまう豪雨も、視界を菱田春草の絵か何かのように高湿度にけぶらせる時雨も。

 だが、それよりも好きなのは多分、雨上がりのひとときだ。今日、雨が小やみになった街を歩いていたとき、小さな児童公園の片隅に水たまりが出来ているのを見つけ、何となく近寄ってその水面に見入った。

 私は都市部(地方都市)の生まれ育ちだが、それでも、小さい頃は舗装していない道路が多かったように思う。小学校は町外れの丘にあったから、とくに通学路は大半が未舗装の道だった。雨が降ると道はぬかるみ、そして雨が上がればそこかしこに水たまりができた……。

 その水たまり達を覗くのが、私は好きだった。水たまりの水はむろん泥水で、とてものこと泉のような透明さにはほど遠かった。それでも、長靴を履いた小さな子供の姿を、ほんの微かに映し出して揺れた。時にはあまり泥が混じらず、すぼめて手に持った傘の色などを思いのほか鮮やかに映すこともあった。

 その水たまりに足を入れたくて、実際におそるおそる長靴の爪先を漬けてみて、慌てて足を引く。そんな仕草を私は何度繰り返したことだろう。

 子供の頃の私にとって、水たまりはただの水たまりではなかった。おそらく異界への入り口のように思えていたのだ。同じ「水」でも、池や泉は常にそこに在る。いつも同じ表情を見せてくれる。だが水たまりは、雨上がりのひとときだけ此の世に現れる、不思議な扉であったのだ。そこに足を踏み入れるというのは、もしかすると帰れない世界へ行くことになるのかも知れないと、おそらく幼い私は思ったのだ。『ニルスの不思議な旅』が好きで、水底に沈んだ街がほんのひとときだけ地上に甦るという話に魅惑されていた子供は、ちっぽけな水たまりに沈んだ街の入り口を見たように思ったのかも知れない。

 おいでよ――と水たまりは誘う。行きたいよ、と子供は呟く。「でも怖い」。未知の世界への憧れと恐れとを、子供は体いっぱいに持っているのだ。

 当時から比べれば年を経てすっかりくたびれ、すべてのことを斜に構えて見てしまうようになった現在の私にとっては、水たまりはただの水たまりに過ぎなかった。それが涙が流れるほど哀しかったということを、あなたはわかってくれるだろうか。

 しばらくの間――と言ってもおそらくは数分に過ぎないのだろうが、私は水たまりを睨み、そこに「ここではない世界」への扉を見ようとした。見ることが出来たかどうかはわからない。ただ……在るかも知れない、という思いだけは――鈍くではあるけれども甦った気がする。

 ここではない世界へ。違う地平へ。……いくら憧れても翼など生えないのだと思い知ったくたびれ中年も、憧憬だけはまだある。そしてその憧憬を、見果てぬ夢にしたくないという熾火のようなパッションも。
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都民税、返せ~

2007-11-02 23:37:28 | 東京都/都知事

 首都圏在住・在勤で都営地下鉄に乗る機会のある方は、当然御存知のはず――都営地下鉄の中吊り広告のなかに、最近、「オリンピック招致」のポスターが目立つ。私は都営バスにはあまり乗る機会がないのだが、どうやらそちらにも掲示されているようだ。「オリンピックを東京に!」と、うるさいことこの上なし。

 オリンピックというイベント自体には、別に恨みも何もない。個人的には好きではない(注※)。ただし好きな人がいることは認めるし、そういう人は大いに楽しんでいただいて結構です、文句はないです、というのが私の基本的なスタンスだ。

(注※前にも書いた気がする。各国の国旗がはためき、国歌が流れる図というのが感覚的にどうしても受け入れられないのである。私は日の丸・君が代だけでなく、すべての国旗・国歌なるものが大の苦手なのだ)

 ただ、何と言うのかね……スポーツの祭典、世界的なお祭りというのであれば、何処で開催されたっていいじゃんと私はどうしても思ってしまう。招致の競争なんぞ、聞いただけでウンザリである。われらが都知事はオリンピック招致が夢であるそうだが、都民全員がその夢を共有していると思われては困る。そもそもスポーツを含めた文化というものは、国家だの何だのとは別の次元で息づいているはずのものだろうに。

【9月14日、国際オリンピック委員会(IOC)が2016年オリンピックの申請都市を発表しました。東京のほか、バクー(アゼルバイジャン)、シカゴ(アメリカ)、ドーハ(カタール)、マドリード(スペイン)、プラハ(チェコ)、リオデジャネイロ(ブラジル)の計7都市。東京は有力な候補とみられていますが、勝利のためには都民のみなさんの支持が不可欠です。熱いご声援をよろしくお願いします。】(東京都広報紙より)

 オリンピックの開催地が何処になるのか、なんていう話が、なんで「勝ち負け」の問題になるのかね。私にはわからない。一生、わからないだろう。そして、これが「わからない」ことを私は恥だとはどうしても思えない。

 東京都には、「オリンピック招致本部」などというものが作られている。当然、予算もつく(細かいことは今わからないけれども、ポスターの費用などもその本部から出たのだろう)。ちょっと待てよ、というのが都民のひとりである私の素朴な気分だ。

 あのポスターの紙代も印刷費もデザイナーに支払った費用も、みんな都民税でまかなわれているんだよね? オリンピック招致のためということで都内各地でやたらにフォーラムとやらがおこなわれているけれども、その費用も都民税から出てるんだよね? 私はしがない自由業者だからスズメの涙程度の税金しか払っていないが、それでも払っていることは確かだ。その使い途に、ひとこと言う権利はあるはずだ。

 だから、言う。「そんなものに使ってくれとは言ってなーい!! 税金、返せ!!」

 都営地下鉄に乗るたびに、ため息が出る……。

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ひとは自分の経験を通してものを見る

2007-10-28 23:04:55 | 本の話/言葉の問題

 

 4日ばかり目玉が溶けるほど寝て暮らした……。「一杯のお茶と引き替えに世界が滅びてもかまわない(と思った)」という、ロシア作家の有名な一文をふと思い出す。まぁ、とてもじゃないがそんなカッコイイことは言えないのだけれども、ちょっぴり「目覚まし時計無視の熟睡と引き替えに……」という気分でありました。

◇◇◇◇◇

  先日、題名だけ紹介した家永三郎著『歴史家のみた日本文化』(発行・雄山閣)について、読みながら思ったことなどをメモ風に少しだけ書き留めておこう。【 】でくくった斜体の文章は、著書の引用である。

◇◇◇◇◇

 まずは内容の一部の紹介から――

「天皇制批判の伝統」という章の中に、こんな言葉があった。

ひとは常に自分の経験という色眼鏡を通して歴史を回顧するものである

いわゆる「国体観念」をこどものときからくり返し学校で吹きこまれてきた私たち戦前世代の人間は、天皇制を否定するものはごく少数の共産主義者だけであって、これに正面から批判的否定的な考え方が、共産主義出現の以前から日本の思想界の一隅に脈々としてつづいていたというようなことは想像もできなかった】という文の後に続く言葉である。(ちなみに著者は1913年生まれ)

 ある大学院の学生がおこなった「天皇制に対する意識」の社会調査について、著者は簡単に紹介している。それによると、40代から60代は天皇制を支持する人が多かったのに対し、80代では消極的・否定的反応を示す傾向が見られたという。ちなみに『歴史家のみた日本文化』が書かれたのは今から40年余り前、1960年代前半である。当時の80代は既にみな故人であるから、現在は「高齢者は天皇制に消極的・否定的」というわけではない。

 当時の80代は、明治20年以前の生まれである。まだ天皇制の権威が充分に確立していない頃に成長したため、天皇制に対して深い尊敬だの畏怖だのを持たずにすんだのだろう、と著者は語る。それに対して、著者自身を含む明治半ば以降に生まれた人々は、「国体の尊厳」で心理的にガンジガラメにされており、違った考え方もあり得るのだということに思い至らなかった――のだそうである。

 そして、大昔からずっと、日本人は皇室を崇めていたと思い込んでいた。表面的・形式的な文献だけ見れば、確かにそのように思えもした。

しかし、考えてみれば、古代や封建社会で書かれた文献というものは、すべて支配階級に属する人々か、そうでないまでも支配階級の文化の洗礼を受けた人々の手で書かれたものばかりであって

 被支配階級の人々が本当に皇室を崇めていたかどうかを明確に示す史料は、はじめから存在しないのだ、と著者は続ける。

(この後に、庶民の感覚を垣間見せる断片的な史料などが挙げられているが、紹介は割愛する)

◇◇◇◇◇

 冒頭に挙げた一文を、私は自分の頭のなかでこんなふうに読み替えた気がする。

「ひとは常に、自分が刷り込まれた価値観というプリズムを通してモノゴトをみる。歴史を見るときも、現実の事象を見るときも」 

 天皇陛下は神様です、太古の昔から日本人は天皇を尊崇してきたのですと教えられて信じ込んでいた「戦前世代」を、我々は嗤うことはできない。「日本文化って繊細だよね」でも「北朝鮮って怖いよね」でも、「自由ばかり主張するのは間違いだ」でも何でもいい、我々もいろいろなことを刷り込まれ、違った考え方が成り立つということに思い至らない。
 
 こんなことを言うと、おまえがギャアツク言ってること――たとえば愛国心は不要とか、憲法は改定するなとか、そういうのも刷り込まれてるんじゃねぇの?という批判もあるかも知れない。うん、あるだろうなきっと。

 しかしですね。うーん、さぼってここでも家永三郎の本から引用してみる。

支配階級はそれぞれの歴史的理由によって天皇の存在を必要としていた。だから天皇の地位はついに廃止されないで今日に至ったのであり(以下略)】

 支配階級、という言葉は違和感があるかも知れない。実は私もある。階級として鮮やかにカテゴライズされるものではなく、もうすこし輪郭の曖昧な、ぶよぶよしたつかみ所のないものだと思っているので……。だからここは、「オカミ、および表舞台の人達」と言い替えてみようか。

 オカミ、および表舞台の人達――は、自分達が是とする社会をつくるために(正しいか正しくないかということは、このさい関係ない。彼らにも彼らの考え方があり、私はそれを否認するけれども、否定しきることはできない)なりふりかまわず狂奔する。いや、なりふりかまわずってのは言葉のアヤでね、それなりにかまってるけれども。でも本質はやっぱり、なりふりかまわず――かな。で、彼らは金もある、地位もある、権力もある。大人と子どものレスリングみたいなものですよ。だからスタートとして、ともかく彼らの言うことは疑ってみる。それぐらいで、実はちょうどバランスがとれていると言っていい。

 声高に、シャワーのように浴びせかけられてくる価値観を、まず疑う。さもなければ、しらずしらずのうちにガンジガラメになるに決まっている。 

◇◇◇◇◇
 
「天皇制批判の伝統」の章のなかで、著者は、むろん明治政府が無から有を造りだしたわけではないと述べている。日本人の生活に深く根を張っていた天皇制の根源のようなものがあり、それが存在していたために、新しい天皇制の権威を築き得たのだという。では、天皇制の根源とは何か。

――というところでかなり酔いが回ってきたので、一時中断。続きは次回。 

◇◇◇追記(10月29日)◇◇◇

家永三郎って何者だ?というヒトのためにひとこと解説。(ある程度以上の年齢の人はよく御存知のはずだが、若い人は知らない……かもしれない)

5年ほど前に亡くなった歴史学者。東京教育大学で教鞭をとっていた。若い頃は体制翼賛傾向がつよかったことから変節漢とも批判されているそうで、そのあたりについては実は私はよくわかっていない。ただ、私の子どもの頃は「家永教科書裁判」(※)で名高く、私はこの裁判によって「教科書というもの」や、「国が教科書をチェックするということ」をボンヤリとではあるが考えさせられた記憶がある。

※教科書検定は違憲だとする訴え。南京大虐殺などについて記述した教科書が検定でハネられたことが、第一次訴訟をおこすきっかけだった。第一次から第三次まで三回の訴訟があり、30年以上を費やしてあらそわれた。第三次訴訟の最高裁判決が出たのは10年ほど前。

 

 

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お久しぶりです。生きてました

2007-10-24 23:38:23 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

 ここ数か月、なぜか多忙な日々が続いていた(なぜか、なんて言うのは変か。多忙の理由と、なぜそうなったかという原因は自分でもよくわかっているのだが。感覚としては、やっぱり「なんでや~」なのだなあ)。やっと一段落と思ったら、また面倒ごとが現れ……。
 私は何年かに一度の割合で、こういう事態を引き起こしてしまう。というか、巻き込まれてしまうのだ(何か憑いてるんじゃないか、お祓いしてもらったらどうだと友人たちにからかわれるぐらいで)。四年ほど前だったか、十人足らずでチームを組む仕事に誘われて気楽に参加したところ、途中でややこしくこじれ、コーディネーター役が突然オリてしまったものだから大混乱。さらに決断の早い人間から順に一人辞め、二人辞め。結局、私を含めて逃げそびれたのろまな人間たちがオロオロウロウロしながら何とかゴールインまで持っていったのだが、いやぁ、あの時もひどい目に遭ったなあ。それでも懲りずに、すぐ巻き込まれる私はいったい何だろう。

 でもまあ、明けない夜はなかったのだ。やっとこさ、ほんとうに今度こそ一段落。今週は休むぞと自分自身に宣言し(自分以外に宣言する相手はいない。何しろ一人で仕事してるんで)、今日は久しぶりに一日中、古書店巡りをして遊んでいた。買い込んできた本を傍らに積んで、ニヤニヤと喜んでいるところである(キモチ悪いって? す、すみません……)。

 さっき読んでいたのは、家永三郎著『歴史家の見た日本文化』(雄山閣)。読みながら少し考えてみたこともあるので、それはまた明日にでも。

 ひとつだけ、なるほどなぁ、おもしろいこと言うなぁと感心した一文を紹介しておこう(まるで予告編)。

【日本というのは、こういう国なのだ。日本の顔を片側からみただけで判断すると、とんでもないまちがいをひきおこす。眉目秀麗の横顔の向こうには、ひっつりだらけの物すごい横顔がついているのである】(「汚い社会と美しい文化」の章より)

 日本文化をこよなく愛する一方で、必死で隠蔽されてきた汚さにも眼を向けずにおれない歴史学者の言葉である。

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肯定的こだわりと否定的こだわり(UTSコラム再掲)

2007-10-03 23:41:44 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

  息苦しい世の中はイヤだ――というブロガーのゆるやかな輪「Under the Sun」 で、複数のブロガーがコラムを書いています。なかなかおもしろいので、気が向いた時に覗いてみてください。(私もときどき書いておりまする。あ、私のはあんまりおもしろくない)

 今回のテーマは「こだわり」。自分の書いたものを、ここに再掲しておきます。

◇◇◇◇以下、再掲

 こだわる……ということを、実のところ今まで真面目に考えたことはない。自分の「こだわり」や、こだわりの是非についても含めて。だから今日は、「こだわる? えっ? 何やねん、それ」という感覚のままに、脈絡なく文を綴ってみようと思う。

 ひとは肯定にこだわるのだろうか、それとも否定にこだわるのだろうか。いや、おそらく両方ともアリなのだろうけれども、どちらのベクトルが強いかは人によるような気がする。妙なたとえになってしまうが、たとえば誰かとメシ食おうよという話になった時――「中華を食べたい! それも四川料理がいいな。四川料理だったら上野に○○って店があってさぁ、あそこの麻婆豆腐が……」などと言うのは前者。「あ、麺類だけは苦手なんよね。それと、今日は胃腸の具合がよくないから脂っこいものはちょっとなー。それ以外なら何でもいいや」と言うのは後者、という感じだろうか。
(毎度のことながら、どうでもいいようなしょうもないたとえで失礼。日常的な些末な場面を背景にして考えないと、アタマがまとまらない癖がありまして……。これも一種の貧乏性だろうか)

 自分自身のことを考えると、どうも私は後者であるようなのだ。「これだけは勘弁して」というものはある。でも、それさえ忌避できれば後は割とどうでもいいような。少し前、同業者数人と組んで、10巻だったか12巻だったかの子供向けの本を作る仕事をした。その準備段階で誰がどの巻を担当するかという話になった時、私は自分が苦手とするテーマのものを1つ2つ取り除けて、「ほかはどれだっていいや」と言った覚えがある。で、他の仲間がそれぞれに選んだ残りのものを担当した。
 思えば、いつも私はそんな生き方をしてきたようだ。むろん、時には「これでなければ」とコダワル局面もないではなかったけれども、子供の頃から多くの場合は消去法的なこだわり方であったような気がする。

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ビルマに雨の降るごとく――ムル&トマの対話

2007-09-29 23:47:54 | ムルのコーナー

 相も変わらず、野良猫ムルと腰巾着のトマの真夜中の会話などを――

トマ:ねぇ兄貴、兄貴は「みゃんまぁ」っていう国、知ってる?

ムル:みゃんまぁ? ああ、ビルマのことか……。

トマ:あ、そうそう。華氏もビルマとかって呼んでたけど……でも正式名称はみゃんまぁなんじゃないの?

ムル:あれは1989年に今の軍事政権が強引に呼称変更したものなんだぜ。ビルマの国民でも、認めていない人達、多いんだ。日本とかはミャンマー連邦っていう国名表記を認めてそれしか使ってないけどさ、ほかの国では、ビルマという国名で呼んだり、「ビルマ」と「ミャンマー」を併記するところも多いらしい。おいらはどうせ国境なき野良猫だから国名なんざどうだっていいみたいなもんだけどさ、でもやっぱし、感覚として「ミャンマー」は使いたくねぇなあ、という気がすンだよな。

トマ:ふうん……。

ムル:で、そのビルマが何だって言うんだよ。

トマ:うん。今さあ、すごく大変なことになってるみたいじゃん。僕にはよくわかんないけどさ、反政府デモを起こした市民とか坊さんとかに対して軍隊が武力行使をしたとか何とか。日本でも随分、抗議行動が起きてるじゃん? 全日本仏教会とかも、抗議声明を出したんだってね。

ムル:デモの参加者を警棒で殴り倒したりするだけじゃなくて、銃も向けたんだよな……。 

トマ:そういう話聞くだけで、僕なんかすっごく「怖い」という気がするの。なんで、国民に銃を向けなきゃいけないのさ? 人間はよく言うじゃない? 国を守るために軍隊が必要なんだ、武装が必要なんだって。その理屈も僕にはよくわかんないけど、国民に発砲するっていうのは、わからないなんて次元を通り越してるよ。

ムル:国を守ってるつもりなんだろうよ。たださぁ、そこでイメージされてる「国」は、その地に住み暮らしている人達、じゃねぇんだよ。国体とか政権とかのことなのさ。

トマ:国体……を守るために、国の中に住んでる人達に暴力をふるってもいいというわけ?

ムル:政権にとっては、反対する人間は「敵」なんだよ。そして、軍事政権というのは、要するに「武力」……というか、「力」による支配の形だからなぁ。敵は武力で制圧すべき、ということになって当然なのさ。あいつは敵だ。敵を殺せってやつさ。

トマ:なーんか昔々、一揆を起こしてお城に押しかけた人達を、銃を撃ちまくって殺したみたいな図……。

ムル:何をイメージしてるのか知らねぇけど、人間の歴史の中で、ウンザリするほど繰り返されてきたことなんだぜ。そうそう、村野瀬玲奈さんって人がさ……村野瀬さん、知ってるだろ?

トマ:うんっ! だいぶ前だけど、お嬢さまと一緒に遊びに来てくれた人だね~。

ムル:おまえなぁ……遊びに来たんじゃなくて、死刑廃止の話をしにきたんだけどな……。何聞いてたんだか。ま、いいや。村野瀬さんがブログでこう大書してる

【ビルマ(ミャンマー)の情勢を悲しみをもって見ながら、軍隊と独裁政権は民衆を守らずに自己の暴虐を隠そうとするものだとあらためて確信する。】

トマ:なるほど……。

ムル:軍隊ってのはさ、国家という概念に忠誠を誓う存在であって、個々に息づいている人間……国民と言っても民衆と言っても大衆と言ってもこのさい何でもいいけどよ、ともかくひとりひとりの人間に対して忠誠を誓ってるわけじゃあねえ。上のほうの連中はさぁ、そこんとこをあんまりはっきりさせるとまずいんで、どこの国でもいつの時代でも適当に誤魔化し続けてきたわけだけどさ。

トマ:「愛する者達を守るために~」なーんて言ったりしたわけだよね? ほんと不思議なんだよね……僕たち猫もさぁ、餌の取り合いで争ったりはするけどさ、僕らは軍隊とかって持たないからほんとわかんない。

ムル:ま、人間に猫の真似しろったって無理だけどよ。ともかく「国家」なんてものはもともと取扱注意の危険物だからさぁ、何重にも枷をはめて使わないとほんと危なくって仕方ねぇんだよ。ましてや武装なんかさせちゃあいけない。人間もだんだんそれに気がつき始めたんだと思うな。ミンシュシュギという考え方も、要するに国家を暴走させないために最もいい方法として選択されたんだとおいらは思ったりするんだ。

トマ:でも、まだまだ武装し、こわもてで通そうっていう国もある……。

ムル:日本だって、ヒトのことは言えねぇんだぜ。dr.stoneflyさんっていう人のブログに、こんな一文があった。

【ミャンマー軍事独裁政府は近い将来の日本政府の姿と重なる。】

トマ:兄貴もそう思うわけ?

ムル:ほんとに民主主義国家か、って聞かれるとさ、つい考え込んじゃうようなところがあるからなぁ。そりゃさ、カタチは一応、それらしくなってるさ。でもなぁ……ま、その話してると長くなるから、別の時にゆっくり話すけど。それに何よりさ、「こわもてになりたいよぉ」の政治家とか、競争や自己責任のだーい好きな政治家がうようよしてるじゃんか。「優しくなければ生きている資格がない」のは、何もハードボイルドの探偵だけじゃねえんだぜ。国家ってものこそ、「優しくなければ存在する資格がない」とおいらは思うんだよな~。

トマ:なんで急にフィリップ・マーロウが出てくんだか……。

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