普請道楽

建築家との普請の記録のためのブログ。
しかしすでに家も建ち、今では徒然なるまま感じたことを書く「日日雑記」であります。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

才能

2008-03-30 23:14:33 | Weblog
休みになると体を動かしたい欲求にかられる。
つまり走りたくなる。
しかし今は花粉症真っ盛り。
ジョギングをするなど、僕にとっては狂気の沙汰、自殺行為である。
しかし体を動かしたい。

ならばと久しぶりにスポーツジムに出かけた。
なんていうマシーンだか名前は知らないのだが、
ランニングマシーンより高負荷であるという取っ手を持って足を前後するマシーンにのる。
お供は、ipod。
いつもなら音楽を聞きながらなのであるが、今日は違った。
仕事の仲間から勧められた、これを聴くことにした。


タモリである。
今や笑って良いともとかタモリ倶楽部とかに出ている好々爺との印象しかない。
正直、あんまり好きではない。
なんかこうヌメヌメとした得体のしれない感じが嫌だ。
しかし、その昔はすごかったという知識だけはあった。
故に、好奇心もあり聴いてみた。

これが本当に凄かった。

伝説の芸と言われた中国人と韓国人の麻雀の再現。
外国語としては全くデタラメなのであるが、なぜかそう聞こえる。
しかもどんな話をしているのかが、なんとなく分かるのである。

他にも歌舞伎中継の再現。
これも凄い。
言葉は全くのデタラメ。
しかし男が口上をのべて、女形が嘆いて、そして見栄を切りまくって、
なんてことが分かるのである。

それはただのモノマネではない。
もっと別次元の唯一無二のジャンルである。
タモリにしかできなかったであろう芸である。
しかも下品ではない。
頭が相当良くないと出来ない。
物事の本質を見抜き、再現する能力がきっと桁違いなんだろうと感じさせる。
スネークマンショーも、彼の前では色あせてしまう。

しかもタモリは、この芸を血の滲むような努力でなし得たわけではない気がする。

才能。
天賦のものとはかくのごときものなのか。
そんな事を考えさせられた。

しかし、12、12、と体を動かしつつも、笑いがこみ上げてくる。
大笑いをするようなことはないのであるが、ついついニヤニヤしてしまう。
さぞかし周りの人は気味が悪かったであろう。

なーんて事を考えて、マシーンに乗ることを40分間。

今回の消費カロリーは、チャーハン1皿分。
メタボ解消にはほど遠い。
しかしタモリのおかげであっという間の40分なのであった。

だまされたと思って一度、聴いてみて下さい。
これ、ちょっと凄いかも・・・。
コメント (1)

自転車通勤励行中

2008-03-28 04:52:12 | ジテンコ
徹夜続きであっても、自転車通勤励行中。
気持ちいいんですよね、単純に。

体を使って、風を切って、前に進む。
渋滞もなんのその、すいすいと進む。

移りゆく季節を肌で感じる。

片道20分。
往復40分。

今日は、深夜帰宅の道すがら夜桜を堪能した。

過酷な日常の中のささやかな愉悦である。
コメント

救われた夜

2008-03-27 05:31:44 | 観た、聴いた、読んだ
高い高い壁が、目の前に立ちはだかっている。
仕事の話である。

うまくいかないことがあると、気持ちが前に向かない時がある。

しかし殆どの場合、時間に追われ、立ち止まっている暇はない。
だから歯を食いしばって前へと進まなければいけない。

もやもや、もやもや。

深夜、風呂に入り、グールドの「リトル・バッハ・ブック」を聴く。
グールド自身が曲を選んで作られたアルバム。
長きにわたって僕のお気に入りであり続ける数少ない1枚である。



グールドは、椅子をギシギシ言わせて、ウンウンうなりながらピアノを弾く。
背中を丸め、セオリーを無視して、音楽に身を委ねて鍵盤を叩く。
バッハが好きで好きでたまらない自分を隠さない。

そこから瑞々しい響きが立ち上がってくる。

その無心に音楽に奉仕する姿勢に、何か救われた気がした。

僕も、ギシギシ、ウンウン、がんばってみよう。

コメント

朝型と夜型

2008-03-26 13:23:16 | Weblog
私は夜型である。
仕事が佳境になるとどんどん深夜へとコアタイムがシフトしてゆく。
自堕落な性格なんだと思う。
今も夜型真っ盛りの仕事ぶりである。

時間の使い方は、現代人の永遠のテーマ。
「時間活用術」は今やビジネス誌のレギュラー企画だ。
必ず出てくるのが、「朝型礼賛」。

朝5時に起きて、一仕事。
そして誰よりも早く出社し、人より早く帰宅する。
睡眠時間と余暇が確保できるという、アレである。

読む度に、ほんまかいな、と思う。
朝の方が向いている人は、朝の作業がはかどるのは分かる。
しかし与えられた時間は有限。
その中でどうやりくるかだけである。

だったら朝も夜も同じ。
誰にも邪魔されないのも、昼も夜も同じ。

夜型で一体、何が悪いのか。
朝5時まで働けば、帰宅して風呂に入り、家族と朝食を取ることが出来ますよ。

それもちょっとアレですか・・・。
コメント

心の息継ぎ

2008-03-26 01:50:46 | Weblog
また仕事に追われる日々が始まった。
自席にいるだけで、仕事が増えてゆく。
1つ片づける間に、3つの仕事が舞い込む。
そんな感じ。

ナツコ・ランチ倶楽部もしばらくオアズケ。
おにぎりランチの日々が続く。

しかし時に「小春日和」のようにポッカリとたゆたう時間が出来ることがある。
1人でいるときのこともあれば、誰かと突然、ぽっかりと時を過ごすこともある。
短いけれど、とても心に優しい時間。
精一杯、心の息継ぎをする。

そんな時が持てた日は、仕事もはかどるような気がする。

いずれにしても、また仕事の海へと飲み込まれてゆくのだが・・・。
コメント

何もない日曜日

2008-03-23 22:40:36 | Weblog
先々週から先週にかけては、怒濤の如く様々な事があった。

急な里帰り。
長蛇の列の確定申告。
義妹の結婚式で福岡日帰り。
その合間に賓客が2泊し、連夜、身体性などについての講義を受ける。
充実しつつも、バタバタとして心身共にやや疲労気味。

そしてぽっかりとあいた本日、日曜日なのであった。
妻子は、福岡の実家に里帰り中。
それならば、とにかく何もしないと決める。

午前中、ダラダラと起き、HDDに録画してあった「カッコーの巣の上で」を観る。
ミロシュ・フォアマン、さすがなり。

昼は冷蔵庫にあるものですます。

首と腰が痛いので、マッサージをうけに自転車で外出。
途中の善福寺川では、桜が一部、咲き始めていた。
ぽかぽかと暖かい。
春ですね、これで花粉さえなければいいのに。
マッサージはあまり巧くはない人にあたってしまった。
それでもしばらくすると涎を垂らして寝息を立てていた。

帰宅後は、入浴。
森達也の「死刑」を読みながらぼーっと30分ぐらいお湯に浸かる。
途中、何度も意識が遠のき、本を湯船に落としそうになる。

そして再びカウチ族。
HDDに録ってあった「バベル」を観る。
菊地稟子、ぶっきちぎれてますね。
ブラピが、息子と電話するシーン、無邪気に話す子どもが自分の息子と重なり、
胸がグーッと締め付けられるようななんともいえない気持ちになる。
あらゆる意味でとてもクレバーな映画、面白かった。

夜も家にあるもので済ませる。

明日からは、また激務に身を投じる。
まあ、今日くらい早く寝ますか。
コメント (3)

世代交代

2008-03-19 00:12:31 | Weblog
生命が躍動する春。
世代交代の季節でもある。

隣の庭からやってきた「ほにゃほにゃ草」。
必死の水やりも係わらず、だんだん枯れ始め生気を失いかけていた。

なんか葉っぱが茶色ですよね。
「ほにゃほにゃ」が「かさかさ」に変わっているのであった。
一言で言えば、枯れ始めていた。

やっぱり鉢に植え替えたのが失敗だったのではとか、
日当たりがあまりよくないからではないかとか、
水やりが足りなかったのではないかとか、
まあいろいろな事を考えていた。

しかし数日前、別の変化に気づいた。

なんと根本から大量の新芽が芽吹いていた。
そのなんとも力強いさまよ。

今、この「ほにゃほにゃ草」くんは、世代交代の真っ最中なのであった。
老いてゆくものがあれば、伸びゆくものもある。

伊丹十三の映画の中で、三國連太郎扮する老人が、「春は残酷な季節である」とつぶやくシーンがある。
つまり一斉に命が芽吹く春の中で、自分はより一層老いを感じるというのである。

そんな事をふと思い出した。
コメント

薔薇

2008-03-18 02:22:01 | Weblog
薔薇の蔓である。

同僚の妹さんが、選定に来てくれて、そしてこのように仕上げていってくれた。

手前は建築家・アリメさんお手製のポスト。

それ以前は、全く持って伸び放題であったのであった。
この状態で美しい花をつけてくれれば、きっと素敵な光景になることでしょう。

同僚の妹さんは、薔薇の専門店勤務。
会社が休みの日に、わざわざ我が家まで出向き、作業をしてくれた。
ありがたいことである。

花が咲いたら、薔薇見酒でもやりましょうね。
コメント

帰省

2008-03-16 23:24:11 | Weblog
久しぶりに実家に帰った。
祖父が一時、かなり危ない状態だった。
実際には、僕が会ったときには峠を越え、かなり元気になっていたけれど。

とにかく知らせを聞き、時間をやりくって1人で帰省した。

新幹線「こだま」で2時間半あまり。
ただ1人何もすることがない。
東京にいる間は、常に時間に追われている感じがある。
折角の貴重な時間、とことん楽しんでやろうと考えた。

座席がガラガラなので、シートを回転させ、足をのびのびとして使ってみる。

持参の首枕をセット、ipodも装着。

よし、読書だ!と思った瞬間、猛烈な睡魔が襲う。
グーッとよだれを垂らして寝てしまった。
過酷な労働+花粉症で体はかなり消耗している模様であった。

目が覚めると、車窓からはあの山が見えた。

さすがの山容、抜けるような青い空と相まって、心が洗われた。

祖父は、かなり回復していた。
91歳。いろいろな局面で衰えは隠せない。
ズボンの履き替え、車の乗り降りなどにはかなりの注意が必要だった。
母親と祖父と3人で、数年前他界した祖母の墓を参った。

祖父にとって僕は初孫。
僕が生後3ヶ月くらいから、祖父は車の助手席に乗せ、
おむつ持参で取引先を回っていたらしい。
大きくなってからも、祖父とは親和性が高いのか、よく一緒に出かけた。
僕の留学中には、たった一人で飛行機に乗り、ドイツまでやってきた。
体を動かすのが好きな伊達男だった。
かつての姿を知る僕には、今の祖父は、とても小さく見えた。

ひさしぶりに会う僕の前では、かなり気丈に振る舞っていた。
しかし時折、記憶が混乱したりすることもあった。
切ない光景だった。
いずれにしても会えて良かったと思う。

祖父のところに、従姉妹が娘を連れて遊びに来ていた。
あっという間に仲良しになり、会話を楽しんだ。

この間会ったときは、まだ赤ちゃんって感じだったんだけどなぁ。

育つ命と老いる命。
そんなことを考えた。

そしてなぜか父に連れられ、新しくできた温浴私設で湯浴み。
マッサージも受けたのだが、途中で寝てしまったらしい。
中国人らしきマッサージのおばさんに、
「すごくお疲れのようですねー」と言われた。
ゴウゴウいびきもかいていたらしい。
恥ずかしい限りであった。

夕食は、叔父が営む寿司屋へ。
僕は小さな頃から、この店で寿司を食べてきた。
叔父の握る寿司は、年々、旨くなっている。
叔父は、すでに60近いはずだ。
それでも進化し続けるのは、凄いことだと思う。

帰りは再び、新幹線。
日帰りのバタバタの帰省。
コーヒーをすすりながら、ブログをしたためる。

いろんな事を心に刻んだ良い一日であった。
コメント

ナツコ・究極の癒し系呪文

2008-03-16 13:10:12 | Weblog
復帰後、多忙を極め、心身共に疲弊をしていた。
そこで先日、NLCに申し込み、晴れて癒しのランチに導かれてきた。

極上の癒しランチ、今回は、「うどん」である。
ナツコの持ち札の中でも、屈指の「癒し力」の強いメニューである。
店の名は、「やしま」、さぬきうどんの名店である。

もともと渋谷・センター街のはずれの雑居ビルのB1Fというかなり場末にあったのであるが、
老朽化したビルの立て替え工事に伴い、1ヶ月あまりの休業を経て、代々木八幡の近くに店を構えなおしたのであった。

ここうどんは、かなりやばい。神通力すら感じることがある。
その味を想像するだけで、脈が速くなり、果ててしまいそうになる。。。

とにもかくにも、はやる気持ちを抑えながら、新たに開店したお店まで歩く。
参加者は、同僚の女子2名と男子1名。

写真、一番後ろがナツコさま。

道すがら、今回、初体験となる男子に、皆で、講釈をたれる。
ただ頼むだけではダメなのである。
ナツコの編み出した究極の別注メニューの頼み方があるのである。
「アツアツキリコブノザワナカットゲソでお願いします」
この呪文によってこれまであまたの者が、天国へと上り詰めた。
ランチ天使ナツコの究極の癒し系呪文とも言われる。

解説しよう。
「アツアツ」は、釜ゆでされたアツアツうどんに生醤油、そして天かすがかかったもの。刻みネギ付き。
「キリコブ」は、トッピングメニューで煮昆布の千切り。
「ノザワナ」は、刻み野沢菜、やはりトッピングメニューである。
「カットゲソ」は、げその天ぷらで、食べやすくカットされている。

手前が刻みネギ、奥は野沢菜とキリコブ。

これらのものを、すべてアツアツうどんにぶっかけて、まぜまぜして食べる。
その味は、筆舌に尽くしがたい。
脳髄に直接、うまみ成分を注入されるかのごとくの快楽が押し寄せる。
あー書いているだけで、果ててしまいそう。

その店は、新しくなったものの、働いているおぢさんおばさんの顔ぶれも変わらず、
昭和レトロの風情もそのままであった。

着席すると参加者全員であの呪文を唱えた。
「アツアツキリコブノザワナカットゲソでお願いします!」
強欲は私なぞは、さらにトドメの究極呪文、「オオモリ!」も付け加えてしまった。

そしてお味は・・・、
全く変わることない、神通力うどんでありました。
ナツコは、この日もまた、私を含め、4人の迷える子羊を天国へと昇天させたのであった。

ナツコさま、多謝。
そして合掌。
コメント (4)

息子の卒園に寄せて

2008-03-16 01:12:21 | Weblog
本日、というかすでに昨日の事だが、息子が3年間あまり通った幼稚園を卒園した。
幸いな事に仕事の都合も付き、娘を抱いて妻と出席した。

キリスト教の教会の運営する幼稚園のため、式は礼拝堂で行われた。



卒園証書を、順番に園長先生から渡されていくわけだが、
名前を呼ばれての返事が、ウチの息子はことさらでかく、少し笑いも起きる。
元気が良くてよろしい、と思う反面、声のでかいのは僕譲りと妙に納得した。

子どもだ、子どもだと思っているともう小学校、
きっとこの先はもっとあっという間なんだろうと思う。

息子は、4人で揃って卒園式に臨めることをとても喜んでいた。
娘は、少し泣いたりもしてのだが、別のお母さんが抱いてくれている間に寝入った。


粛々と卒園式は進行し、そして終わった。
お母さん方は、ほとんど泣いている。
専業「主夫」を経験済みの僕も少しだけジーンときた。
やっぱ色んな苦労があるんだよね、それぞれ。
その分、喜びもひとしおなんざんす。

まあ、何はともあれ良かった、良かった。


そういえば、娘の出産に際しまして、
本当に多くの方に「お気遣い」を頂き恐縮しております。
今もって、ポロポロとお気持ちが届く。
いやいや、本当にどうぞお気遣いなく。

でも嬉しいモノですね、祝ってもらうということ自体は。
心の奥底より、皆様に感謝申し上げます。

近いうちに娘のお披露目宴会なぞを催そうと画策中。
「お気遣い」は無用ですが、どうぞ娘の顔を見に来て下さい。
世界一可愛い赤ちゃんですから・・・。

おっと、ばかハリケーン、またふいちまったぜ、ふっ。


「寝ていても、目をあいてても、泣いてても、げに可愛いきは、吾が娘なり」
親ばか太郎
コメント (2)

使い物にならず・・・

2008-03-15 00:33:34 | Weblog
「春の狂気」は劇症化の一途を辿っている。

目はシバシバし、鼻水はダラダラと出っぱなしである。
喉も痛いし、頭もフラフラする。

何を食べても味がしない。
何も考えられない。

こればっかりは、抗う方策が全くない。
ただやられっぱなし。

とても理不尽な何かを感じる39歳の春なのであった。
コメント

虚無

2008-03-14 01:24:23 | Weblog
たまに、どうしようもない虚無感に襲われることがある。

40にして惑わずというけれど、僕の感じでは違う。
「40にして惑う」の方が的を得ている。

39歳の春、確信を持てることなど何一つない。
されど人生は展開してゆく。

だからどうってことはないわけだけど・・・。

コメント

春の狂気、錯乱を極める

2008-03-13 11:48:50 | Weblog
昨日夕刻より花粉症が劇症化した。

目がかゆい。
目の玉を取り出して洗浄したくなる。
鼻もむずむずし続けている。

朝起きても症状が続いている。
こういう日は何もする気にならない。

いっそ花粉のない、南の島に逃亡したい。。。
コメント

自転車近景

2008-03-12 10:13:04 | ジテンコ
息子の幼稚園への送り迎え、そして通勤に自転車にのる。
これまで寒いだけの日が多かったが、少しずつ暖かさを感じはじめた。
自ずと気持ちもややゆったりとする。

幼稚園へ送っていった通り道、梅が咲いているのに気づいた。
芽吹きの予感。
もうすぐ一斉に命の躍動が始まることに想いをはせる。
そう考えただけで、何かワクワクする。

視野角をほんの少しだけ広く持てれば、人生は楽しい。
コメント