教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

なぜ差別は起きるのか?

2015-07-04 22:57:07 | 経済/経済/社会
現代社会に差別は残っているか?
…と問われたらどう答えよう。

とりあえず
「先生! 差別は根強く残っています!」
…とでも答えておけば日教組の教員はいい点くれるはずだ。

しかし!

歴史的に見れば差別は大幅に低減している。

リバタリアン(自由至上主義者)の教祖様であるフリードマンによれば、

・差別は世襲の時代には根強かったが自由主義になって大幅に緩和した
・なぜなら、たとえば白人ばかり優先して雇用するとその分だけ人件費がかさんで競争力を失うし、モノの買い手は白人が生産したものか黒人が生産したものかをいちいち気にはとめないからだ
・しかし競争に敗れた少数勢力からすれば、差別のせいで不遇な扱いを受けていると人のせいにすることはたやすい

としている。
したがって差別は根強くは残ってはいないと答えるのがたぶん正しい。

だが。
差別は無くなってはいない。

なぜか?
なぜ差別は起きるのか?

たとえばわたしの例で差別の発生原理を説明したい。



当blogには例としてたびたび取り上げていることだが、わたしは
「お見合いになったとき相手が中学校の教員だったら書類審査でNGにする」
と公言している。

これは差別なのか?

職業で人を判断しているのだから差別だろう。

なぜそんなことをするのか?

わたしの中学校時代を振り返るに、いま判断してもこんな大人にはなりたくないと思うようなヤツしかいなかった。
中学校時代のわたしがすごく凶暴だったのはこいつらの素行に起因する。

だから
「中学校の教員とお見合いをした場合、わたしの中学校時代の教員と同一傾向の人間が来る確率が1000倍になるため、はじめから排除しておいたほうが効率が良い」
と考えるからだ。

復唱するが、これは数倍ではなく1000倍である。

フリードマンの説にならえば、
「わたしがお見合いをした場合に中学校の教員ですごく良い人が来る可能性を排除してしまっているので損失が発生している」
となる。

だがこのように説明するのは間違いだ。

中学校の教員であるかどうかと、こいつといっしょにいるなんてまっぴらゴメンだとわたしが思う人かどうかとの間に相関が無いことを前提にしているのがフリードマンの説である。

しかし。
わたしの人生から得た範囲の統計では、この2つの間には強い相関があるのはほぼ間違いないと語っている。

だから、
中学校の教員ですごく良い人が来る可能性を排除したことで発生する損失の期待値にくらべ、
中学校の教員と結婚したことでガッカリな人生になってしまう損失の期待値が圧倒的に上回るから、
わたしは職業で人を排除しているのだ。



仮にここで自称良識派の人々が
「差別はいけませんよ」
と滔々と語ったところで何の意味もない。

わたしは
「話しはそれで全部か?
中学校の教員と結婚したことでガッカリな人生になってしまうリスクの全てを負うのはわたしであって、
例えそうなったところでおまえは何のリスクをかぶらない。
そんな立場にいるヤツの机上の空論など聞くつもりはない。
わたしはおまえの忠告を無視する」
と答えよう。

差別をなくす方法は
「差別はいけませんよ」
と言うことではない。

中学校の教員がほかのカタギの人間と同程度にマトモな人間であることを自ら生徒に示し続けてはじめて差別は無くなるものだ。



差別とは、統計から来るリスク回避志向である。
リスクを回避するためにわずかにプレミアムを支払う事は市場原理にかなうものだ。



韓国では偽証が日本の671倍である。
韓国はウソをつくことは悪いことだとはされていないため、自分をとりつくろうためにあたりまえにウソをつく。

もし仮に、誠実で正直な要素がとても重視される職種の求人があったとしよう。
その職種で求人を出した雇い主は韓国人を雇いたいと思うだろうか?

べつにこれは韓国人だから雇わないと言っているのとは少し違う。
AさんはBさんにくらべ671倍も誠実さに欠けるというテスト結果が出たのであれば、そりゃあ雇い主としてはBさんを雇いたくなるのは自明であろう。
求人を見てやってきた韓国人の個体が一般的な日本人と同程度に誠実で正直であることが証明できれば雇用主としても雇うことに対しやぶさかではなくなる。

つまり。
まず韓国人が今の671倍誠実にならなければ差別はなくならない。

わたしだって韓国人とは関わりたくない。


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