教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

シューティングとはシューティングにあらず (下巻)

2009-05-04 00:09:25 | シューティング
(・・・前回からのつづき)



死と隣り合わせの恐怖、精神集中によりアドレナリンが過剰分泌される弾避けのハイテンションな快感、難所をくぐりきった自らの腕前への確かな手ごたえ、それこそがシューティングの本質だ。

世間のシューターのみなさんを見てみるといい。

ボス戦で
「死ねぇぇぇい!!!」
と叫びながら戦っているか?

そうではないであろう?
逆に、ボスに
「死ぬがよい。」 @怒首領蜂の大佐
と言われて、生命の危機におちいりつつ大喜びしているのが現実だ。

そうだ。
シューティングは弾を撃つことが目的ではないのだ。
シューティングは敵の弾を避けることが目的なのだ。

当時の大人の主張はどうだったか。
シューティングでは敵を攻撃してやっつけるからそれをやった子供も攻撃的になる。

さてどうだろう。
シューティングは敵を攻撃してやっつけるのが目的ではないのを理解していない。
さきの批判は物事の本質を理解するまえに、表面だけ見て理解したつもりになっているだけのことだ。
これでは整形大国の韓国人なみに見た目で中身を判断するような愚かな行為だ。
少なくともシューティングをまともに遊べる程度には理解して批判してほしいものだ。

さて表題にもどる。
わたしはこう言いたい。

シューティング(ゲーム)とはシューティング(射撃)にあらず、と。



追伸:

最近のTVゲーム批判には、上記批判はほとんど聞こえてこない。
おそらくシューティングそのものをほとんど見なくなったためであろう。

そのかわり、民主党副代表の円より子議員のように
「アダルトゲームで青少年は心を破壊され、人間性を失う」
とまで断定で批判するようなことになっている。

世の中には、アダルト成分がはいっていなくても心温まり涙を流すすばらしい作品があることを知ろうともしない。

それに、アダルト成分についても理解不足が甚だしい。
欧米に比べて性犯罪が極端に少ない日本の事情を性犯罪の多い欧米基準に適合させようとするのだから、理解不足と思い込みと感情論とインチキフェミニズムによって本来回避したいことが逆に激増するように自ら望んで選択しようとしていることに気が付かない。

TVゲームをやったこともないようなクソ女がTVゲームを語るとこうなる。

失笑ものの愚かさとはまさにこういう行為のことを言う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿